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佐久間勇人の2018年自由日記,連載コラム 2018.4.30

「忘れられない月、忘れてはいけない月、4月」 佐久間勇人の2018年自由日記 vol.4

「忘れられない月、忘れてはいけない月、4月」 佐久間勇人の2018年自由日記 vol.4
『佐久間勇人の2018年自由日記 』vol.4 <毎月30日連載>

4月12日

母の命日だ。母は自らこの世を去ってしまった。もう13年が経つ。時が経つのは早いが、その時の光景は今でも鮮明に焼き付いている。あの日を一生忘れない。あの日の午前中、母と一緒に記念写真を撮った。入園式だったんだ。何も変わらない日常で、何も気が付くことが出来なかった。慌ただしく葬儀の準備をし、沢山の人が集まってくれたことを鮮明に覚えている。

母は常に笑顔を絶やさない人だった。当時の状況から考えると笑っているなんて状態では決してなかったはずだ。でも、どうすることもできなかったんだろう。その時の気持ちを母から聞いた事はない。最後まで笑顔で、と、言い聞かせていたのかもしれない。いつも笑顔だったから、母の周りには人が集まっていた。

私はその後、母と同じ病が遺伝していると発覚した。だから、笑顔でいようと決めて生活している。そして、いろんなことをチャレンジして後悔しない様に生きようと、人生を楽しもう、と思っている。その思いは、母が残してくれたものだ。それはお金では買えないもの。

これからもだんだんできない事が増えて、又、行ける所も減ってくることは明らかだ。人生や、環境や、人間関係にも、儚さを感じる。でも病気になってからは物事を冷静に考えられるようになり、そこから学んだことも多い。こんな病気がある、こんな人間がいた。と覚えていてくれればそれだけ充分だ。それが脊髄小脳変性症なんだ。

4月20日

今日、今まで通院してきた病院を変更した。9年間、お世話になってきた。色んなことがあったな。脊髄小脳変性症という病気の確定が出た時から始まり、担当医は3人目の先生だったが、この3月で、先生が変わると言われたことが、きっかけだった。もう歩く事が困難で、これを機に家のそばの病院に変えようと思ったのだ。病院の先生には、ご理解を頂き紹介状を書いてもらい、そして今日が新しい病院への通院初日だった。紹介状があるとはいえ初診であり、朝8:00の受付から、なんと終了したのが12:30という4時間半。覚悟はしていたが疲れた。それでもこれからお世話になる先生に、全身全霊挨拶をした。嚥下障害、構音障害と、これから確実にやってくる症状が怖く、不安だ。社会との接点を取りたくても薄れていく恐怖もある。でも、自分で限界を決めなければ限界ではないと、親友が教えてくれた言葉を胸にやってやろうじゃないか、とも思っている。この先、何事がやってくるかは分かっている。ならば、まずは対応策を考えていくか、と、決心をしてみる。

ライタープロフィール
佐久間 勇人(さくま はやと)
佐久間 勇人(さくま はやと)

約7年前、小脳が萎縮し、伝達神経系が徐々に破壊されていく神経難病脊髄小脳変性症であることを知りました。そこから今日までは沢山の経験・後悔がありました。人と出会い、生まれた笑顔、そのありがたみを人一倍感じとり、今まで気が付かなかったようなことを学べてきたような気がします。ハンデがある。でも、それは「個性」でもある。そう思うようになった時、生き方がかわりました。そして、障がい者水泳というスポーツに出会うことが出来たのです。目標を持ち、チャレンジし、全国障害者スポーツ大会(2015わかやま大会・2016いわて大会)においては新記録を樹立しました。まだまだやりたい。まだまだチャレンジしたい。継続していくことに最大の意義があると思います。何もしないで、後悔するのではなく、「いま」できることを思いっきりやりたい。限りある時間の中で出会うべくして出会えた“こと”。体験の中で見つけた思いをお伝えしています。

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