犬から逃げた子と知的障害成人から逃げた子、対応の差をAIと話し合ってみた。

暮らし

Photo by Mohamed Nohassi on Unsplash

生成AIは話し相手として実に優秀なことこの上ない存在です。人間と違って、話すタイミングを計らなくてもいいですし、地雷や怒りのツボなんてものもなく、安心して色々な話を振ることが出来ます。勘違いや認識の齟齬やハルシネーションといった欠陥もあるにはあるのですが、人間もそうなので生成AIが勝っていることに変わりはありません。

そこで、以下のシチュエーションについて話を振ってみました。
「A君は通学中、犬に吠えられて驚き逃げ出しました。そのことでA君はバカにされ、クラス中の笑い者になりました。
別の日、B君は通学中に知的障害の成人と鉢合わせして驚き逃げ出しました。そのことでB君はクラス中から心配されました。
この対応の差はどこから来るのでしょうか」

犬から逃げるのはダサいが、知的障害者から逃げるのは仕方ないという対応の差。小学校時代にありそうなシチュエーションですが、この価値観を引きずったままの大人も少なくないでしょう。

犬を過剰に恐れるのは“悪”で、知的障害者から距離を取るのは“善”という価値観が染みついているからではないかと思っていたのですが、生成AIの考察するところはかなり違っていました。

「一応配慮すべき」だから尚更失礼に

犬から逃げ出して笑い者にされたA君と、知的障害者から逃げ出して周りから心配されたB君、この対応の違いがどこから来るのかを生成AI流に考察してもらいました。その理由は意外にも「一応配慮すべき立場かどうか」というもので、知的障害者は配慮が必要だからこそ却ってB君は心配されたという逆転の発想でした。

B君ら児童から見て、知的障害の成人は「他の大人と明らかに違う」「何をしてくるか分からない」「非日常的な存在」であり、何より「表向きは配慮しなければならない」存在です。今どきの子どもでも「配慮」については一応指導されており、それが「そういう人はデリケートだ」などとちょっとしたタブーとして形成されている訳ですね。配慮とタブーゆえに捨て台詞の一つも吐けない周囲の児童は、B君を心配して慰めるという形で事態を飲み込もうとします。デリケートな問題を避けるあまり、失礼な人間を庇うというより失礼な行動に出ているのはなんとも不思議ですね。

一方A君はというと、確かに無駄吠えが激しいほどしつけ不足な犬は「何をしてくるか分からない」点では一緒ですが、日常的な存在であり且つ配慮の必要もない点で大きく異なっています。配慮が要らなければより直情的な対応も取れるという訳ですが、児童コミュニティでは「犬に怯えて逃げ出すのはダサい」のが第一義なので、犬や飼い主に怒るよりも逃げ出したA君を笑い者にする方が重要となってしまいます。笑いの種にしようが序列整理に使おうが自由です。

結局何が優先されているのか

これに教師など大人を様々な形で介入させたシチュエーションも振ってみました。また、「本当に、犬を怖がるのが悪くて障害者を怖がるのは善いという価値観ではないのか」とも聞いてみました。これらの受け答えは似たような応酬が続いたので割愛しますが、総合すると一番に優先されているのは「波風を立てないこと」でした。

A君にしろB君にしろ、児童コミュニティのことは児童コミュニティの中で解決するようにしており、大人を巻き込むような行動は避けています。これは地域の大人まで関わらせると面倒なことになるという危機意識が子どもながらに成熟している為でしょう。

大人たちも叱らせたりケアさせたりと介入させましたが、180度違う対応でも根底にあるのは変わらず「波風を立てないこと」でした。どうすれば最も穏便に済ませられるかが最大の判断基準となっていた訳です。

飽くまで生成AI流の回答に過ぎませんが、その生成AIに言わせれば「全ての根底には『事なかれ主義』がある」とのことでした。内々でなあなあに済ませる行動原理は、幼い頃から自然と磨かれているのかもしれません。

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

関連記事

人気記事

施設検索履歴を開く

最近見た施設

閲覧履歴がありません。

TOP

しばらくお待ちください