障害者19人殺害、相模原殺傷事件・植松聖被告の初公判が始まりました~匿名の殻を破る動きも?
暮らし 発達障害津久井やまゆり園に侵入し入所者19人を殺害及び職員含む26人にけがを負わせた植松聖被告の初公判が今年1月8日より始まりました。事件から初公判までは3年半ほど空いており、その間に事件も風化したばかりか「生産性の大切さ」とやらがより重視されてきたような感じがしております。判決は3月16日に言い渡されます。
裁判に先がけたTBSの接見に対し、植松被告は「一審で終わらせるつもりだが、出来れば死刑は避けたい。楽しい世界からいなくなるのは寂しいから。」と答えていました。控訴の意志は見せていないものの、死刑判決は嫌がっているといったところでしょうか。
被害者は一人を除いて(※)すべて匿名が貫かれており、甲乙丙とアルファベットの組み合わせで呼ばれます。また、傍聴席は被害者家族と一般で遮蔽板(パーテーション)が設けられ、互いに視認できない仕組みになっています。異例尽くしの初公判はどういった経緯と判決を導き出すのでしょうか。
※:唯一実名を明かされているのは、重傷を負った尾野一矢さんです。父親はやまゆり園の元家族会長だった尾野剛志さんで、「黙っていれば植松に負けたことになる」と公表を決意していました。
強気の弁護側と死刑を拒む植松被告
裁判の争点となるのは責任能力で、弁護側は精神障害や大麻を理由に無罪を主張する強気な姿勢を取っています。かなり無理のある主張ですが、ここまで強気なのは昨今の無期懲役判決ラッシュに影響されてのことなのでしょうか。殺意や計画性といった客観的事実については争わず、専ら責任能力のみで死刑を回避しようという算段に思えます。
植松被告もまた初公判の場になって予想外の行動に出ました。途中まで粛々と受け答えしていたものの、弁護士に促され「皆様に深くお詫びします」と謝罪を述べた直後、口に手を入れたり倒れこんだりして暴れ出し一時休廷にまで発展します。
被告不在で再開となってからは、弁護側は「精神障害、大麻、危険ドラッグなどにより被告の人格が大きく変容した」というロジックを展開し、植松被告の生育歴を挙げました。そして「過去に何度も障害者へ優しく接していた」「昔のやんちゃは若気の至り」「長期的な大麻依存で幻覚や妄想に苛まれていた」と説明しています。
弁護側は「大麻精神病による人格の変容が責任能力を弱めたことを今後も立証していく」と冒頭陳述を締めくくり、初公判は予定より早い閉廷となりました。検察側の証拠審理については先延ばしとなっています。
美帆という名前があるんだ
起訴状の読み上げでも匿名は貫かれ、被害者は「甲A」「乙A」などと呼ばれました。そうした名称の扱いは初公判の前に明かされていたのですが、当日になって遺族の一人が匿名の殻を破る動きを見せました。一連の犯行で最初に殺害された19歳女性「美帆さん」の母親です。
公表に踏み切った理由は「甲さんだの乙さんだの呼ばれるのが嫌だった。甲でも乙でもない、娘には美帆という立派な名前がある。」ということで、単なる記号でなく血の通った一人の人間だという意志によるものでした。この意志はNHK特設サイト「19のいのち」にも即日反映され、19人の中で唯一名前が載り母親の手記も公表されました。サイト設立当初は「突然のことで整理がつかない。そっとしておいてほしい」とだけだったのが、目覚ましい成長ぶりです。
新たに公表された手記には、美帆さんなりに親離れしていく自立の軌跡が綴られていました。親や家と離れるのを嫌がっていたのが徐々に緩み、外部と打ち解けていく様子が克明に記されています。段々と自立へ近づいていく美帆さんが成人式を迎え、晴れ着に身を包むときを楽しみにしていました。
そうした夢は、植松被告による最初の被害者という形で砕け散りました。ご家族が抱いた絶望は余人に測りえない程甚大だったでしょう。それでもゆっくりと落ち着きを取り戻して「19のいのち」にもコメントを寄稿し、初公判では名前の公表に踏み切りました。その強さに敬意を表します。
ただ、「恐い人が他にもいるといけないので住所や姓は出せませんが」という看過できない一文もあります。今なお被害者やその家族に罵詈雑言を飛ばすような、3年経っても成長できていない「恐い人」がそこかしこでゴロゴロしているのもまた事実なのです。
匿名を貫く影響は
殻を破る動きはありましたが、初公判に至ってもなお依然匿名を貫かれたままです。被害者家族側の傍聴席に遮蔽板が設けられる処置もあり、傍聴に訪れた一般人からは「社会の未成熟さを表している」などと残念がる声も聞かれました。
メディアスクラム避けなどの意図はあるのでしょうが、裁判まで頑として匿名を貫くとは思いませんでした。「甲A」「乙A」などと記号化されることによって検察側が不利にならないのかが目下(もっか)の心配事です。なぜなら「人が殺された」という実感が裁判官側に伝わらないおそれがあるからです。
19人殺害という数は戦後最悪と語られていますが、「人が19人も殺された戦後最悪の事件」と裁判官に自覚してもらうには、匿名を貫いていては無理があるように思われます。弁護側もいつになく強気ですし、植松被告も極刑を避けたいと考えています。そうした姿勢の相手と対峙するならば、一切の妥協は許されません。
検察側が有利となるには、匿名の殻を破る遺族が少しでも増えてくれることが重要ではないかと考えています。弁護側の言い分をひとつひとつ折っていくことが最重要事項であることには変わりありませんが、裁判官の心証を動かす点でも匿名の殻を破ることがアドバンテージに繋がるのです。
傍聴席から失望の念
初公判で植松被告が立っていたのはわずか10分ほどでした。傍聴席の倍率が70倍を超えるほどの注目度で、遺族や関係者にとっても植松被告と対峙する貴重な機会だったことでしょう。ところが現実は、10分してから暴れ出して退廷する体たらくです。
重症である息子・一矢さんの実名を公判前から出していた元家族会会長の尾野剛志さんは、「心神耗弱を装い裁判を掻き乱そうとした軽薄な行いには心底軽蔑する。元から差別主義だったのか後で気持ちが変わったのか、今後も確かめたい」とコメントしました。美帆さんの母親も「裁判に臨む態度ではない。今後の裁判が心配」と断罪しています。
当事者として学者として事件を見つめてきた、東京大学の熊谷晋一郎准教授は、初公判を以下のようにまとめました。「事件は風化したかと思ったが、2000人以上もの人間が3年間にわたって考え続けてくれたと感じた」「植松被告は被害者や遺族へ謝罪するより先に明かすべきことが山ほどある。意思疎通が出来ないと決めつける前にそもそも相手の話を聞こうとしていなかったのではないか」「被告の生い立ちや重度障害者の立場など、多角的な視点から事件を明らかにしたい」
参考サイト
美帆さん(19)|NHK特設サイト「19のいのち」
https://www.nhk.or.jp
事件の裁判を傍聴して 第1回|NHK特設サイト「19のいのち」
https://www.nhk.or.jp
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