相模原事件裁判(2月5日~7日)被告人質問で明かされる強固な選民意識
暮らし相模原障害者施設殺傷事件の植松聖被告に対する第一審がインターバル期間を終え、2月5日に第10回公判を迎えました。遺族や関係者や裁判官からの被告人質問が矢のように降り注ぐ中、植松被告の淡々とした態度に時折揺らぎが生じていたようです。
7日には精神鑑定医が出廷し、「大麻精神病・大麻中毒・パーソナリティ障害が認められるものの、犯行にほとんど関係がない。被告自身の強い考えに基づいて行われていた。」との鑑定結果を報告しました。この結果は弁護側にとって強烈な向かい風となるでしょう。
機械的な謝罪
5日午前は、当時60歳の姉を奪われた遺族と元家族会長である尾野剛志さんが質問に立ちました。己に強烈な憎悪を抱く相手と対峙してもなお、植松被告は淡々と機械的な態度で臨んでいます。
遺族は湧きあがる激情を抑えつつ、努めて柔和な口調で質問をしました。まず匿名を貫かれる審理や遮蔽板を設けられた法廷について聞かれると、「家族と思われたくないのだろうし、仕方のないことだと思います。」と答えています。次に殺害の動機や理由について聞かれると、「意思疎通の出来ない者は社会にとって迷惑。それを取り除くことが社会貢献になると思いました。」と、実際には少し詰まりながら答えました。
遺族が最後に「“私(被害者の弟)に対して”どう責任を取るのですか。」と聞くと、被告は「“お母様に対して”いたたまれなく思います。」と答えました。これは微妙に噛み合わないのですが、どうやら植松被告には「知的障害の子と世話する母親」というイメージが固定されており、機械的な謝罪の言葉にも反映されていたのでしょう。謝罪の意志が建前だけである可能性が強まりました。
続いて尾野さんの質問です。最初に心境を聞かれた被告は、「今は不幸せです。面倒なので…」と答えてから「不自由だからです。」と言い直しました。尾野さんが知りたかったのは植松被告が差別思想に取りつかれた経緯でしたが、ここで明瞭な回答は得られませんでした。ただ、「どういうときに意思疎通を取ろうと努力したのですか。」と聞かれ、具体的な努力がないのか答えに詰まる様子がありました。
尾野さんは質問を変え、「謝罪の意志」を問いました。初公判で「皆様にお詫びします」と言い自傷行為に出たことです。尾野さんは「謝罪は初公判で初めて聞いた」という旨を述べると、被告は「記者を通じて謝罪したはずです」と反論しました。かなり前にマスコミを通じて謝罪の念を述べていたのですが、それをもって遺族や関係者への謝罪は済んだと思っていたようです。
遺族らに対して謝罪するというよりは、「お前らには悪いが世直しのためだ。黙って受け容れろ」というのが本心なのかもしれません。小指を噛みちぎったのも「ここまでしてやったんだから、いい加減許せ」という意志表示なのかもしれません。淡白で機械的な謝罪だとバレると裁判官からの心証は悪くなるでしょう。
一瞬だけ可愛くても全体は違う
5日午後は裁判員や裁判官からの被告人質問です。裁判員の一人から「事件から3年半が経ち、社会はあなたの思うように変わったと思いますか」と聞かれると、「障害者との共生に傾いたのではないかと思います」と答えました。
あの犯行は植松被告が日本中に送った「障害者は不要である!」というメッセージの側面もありました。しかし接見するマスコミ各社から何度も諭されたのが現実で、多くの人に聞き届けられていないことを塀の向こうでも体感することになったのです。よほど口惜しいのか、「障害者との共生が無理だと早く悟って欲しい」とまで述べています。
裁判長からは「もし社会に再び出ることになれば、また同じ犯罪をするのですか」と聞かれ、「事件を起こして十分主張できたので、二度と同じ事件は起こしません」と答えています。また、責任能力について数回問われ、「自分は善悪の判断が出来るので責任能力はあります。考えは正しいと思いますが、事件を起こしたことまで正しいかは分かりません。しかし、悪いと思ったので謝罪をしました。」との旨を述べました。
裁判官からの質問では、やまゆり園に入った当初「入所者は可愛い」と言っていたことに触れました。これについて被告は「仕事をやりやすくするための方便」「可愛いと思う瞬間はあっても、全体的にみればそうではない」としています。入所者のドジなエピソードを「和やかに思いました」と思い出し笑いしながら振り返ることもありました。
ただ「意思疎通できるかどうか」に関しては拘っている様子で、「喋って意思疎通できるなら可愛いと思う余地はあります。笑うだけなど人間としての意思疎通ではなく不合格です。」とも述べていました。被告は自分の言う「喋れる人」を把握しており、その人らは見逃すつもりだったとも示唆しています。
「喜びや幸せを感じるほうが間違っている」
翌6日は「美帆さん」の遺族を代理する弁護人からの被告人質問です。代理弁護人が「美帆さんの葬儀には多くの人が参列しました。美帆さんの存在から喜びや幸せを貰っていた人もいたと思いますが。」と質問すると、「そこだけ見ればそうなのでしょうが、あんな人から喜びや幸せを感じているようでは駄目だと思います。」と返しました。
別の遺族からの代理弁護人からは「もし両親など大切な人が重度障害者になったらどうする」と聞かれ、「安楽死でも仕方ない」と答えていました。しかし「(安楽死が認められなければ)自分で手を下すのか」と踏み込まれると、被告の勢いが鈍り「自分で手を下す必要はない。……家族には負担が大きいので、医師が手を下すべき。」とやや苦しげに述べました。
両親について聞かれると、「不自由なく育ててもらった」「安楽死の話をすると『たくさんの人が悲しむよ』と止められた」などと答えており、家庭環境に深刻な問題は無かったように見受けられます。被告人質問の負担が大きかったのか、気に障った質問に対し強い口調で言い返すなど感情的になる一面もありました。
この日は、障害者を通じて感情がいい方向に傾くことを頑として否定した所が大きく、「差別的な発言」として各メディアが取り上げました。「生産性がない」はずの障害者が周りの喜びや幸せに寄与するのは、植松被告にとって許しがたいことの一つです。
植松被告からの挑戦状
2月5日~7日までの公判で注目すべき答弁は、事件から3年半経った中で「障害者との共生に社会が傾いた」と感じ「『やはり共生は無理だ』と早く悟って欲しい」と述べていたことです。社会が共生へ傾いたようにはあまり見えないのですが、市井と被告との入ってくる情報の違いでしょうか。接見でメディア各社から意見され、検察も極刑に向けて争う姿勢を見せ、植松被告の視界には自分を否定する因子が多く映っているのもあるでしょう。
しかし植松被告は未だに障害者の根絶を渇望しており、社会が共生を諦めるその時を待ち構えています。凶悪犯罪が社会への警鐘とはよく言いますが、これは植松被告が社会へ投げかけた挑戦状です。植松被告に「それみたことか」と笑われるような失態は避けねばなりません。
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