相模原殺傷事件裁判、結審~弁護側一歩も譲らず3月16日の判決へ
暮らし植松聖被告への裁判が2月19日に結審しました。あとは3月16日の判決を待つだけになります。検察側は「更正の意欲も可能性も無い」として死刑を求刑する一方、弁護側は「被告は心神喪失。事件がどれだけ無残でも無罪を言い渡されるべきだ」と無罪を求め一歩も退かない体勢です。
過去の死刑囚と比べると、宅間守元死刑囚(既に執行)のように法廷で遺族らを面罵していませんし、小林薫元死刑囚(既に執行)のように前科者で自身も死刑を望んでいる訳ではありません。どのような判決でも控訴はしないようですが、果たしてどうなるのでしょうか。
「自分の返答で入所者の命が奪われた」
12日は遺族らの意見陳述でした。過去の被告人質問で努めて柔和に植松被告へ質問した遺族は、「私たちは事件から3年半、癒えない傷を抱えて生きています」「好き放題言って酷くありませんか。己の人生と犯した罪へしっかりと向き合ってください」と、被告の不誠実な態度を指摘しました。そして「よければご両親の連絡先を教えてください。大事な一人息子の死刑を望んだことでお詫びしたいので」と極刑を求めます。
元家族会長の尾野剛志さんは「(これまでの差別的な答弁を)社会が受け入れると思うのですか」「同じ考えの者が現れないよう、全国民に納得のいく量刑をお願いします」と陳述し、同様に被告の身勝手さを詰りました。
被告に連れ回された職員は「『喋れない』と答えた瞬間刺したのです。自分の返答で入所者の命が奪われた光景は忘れようがありません」と凄惨な記憶を再び述べ、社会復帰まで1年半も要したことを挟みながら「被告の発言は聞いていてどれも悲しくなる。被告はもはや社会で生きてはならない」と極刑を求めました。
他の遺族からも本人の口や代理弁護人から思いの丈が語られています。「『障害者は不幸を作る』などと言っていますが、不幸を作ったのは被告自身です。苦労することもありましたが、苦労と不幸は違います」「娘は色々な表情で自分を表現していました。娘の笑顔は周りを幸せにしてくれました」と、被告の浅慮ぶりを間断なく詰る陳述が続きました。
指を噛み切ったことも含め形式的な謝罪に徹した被告でしたが、主張と思想がそのままになっている以上どう謝罪しても響いて来ないと思います。そのため、別々の人間から何度も極刑を求められるのも当然といった所でしょう。
今までの言葉をそのまま返してやる
17日は検察側から死刑の求刑がありました。それと同時に、初公判直前で匿名の殻を破った「美帆さん」の母親本人による意見陳述が行われ、被告に会うのも最後のためか忌憚なく強烈な本心をぶつけます。あたかもそれは、これまで植松被告がした数々の答弁へ一つ一つスマッシュを返しているようでした。
「美帆のおかげで障害・自閉症・てんかんについて詳しくなれましたし、何より思いやりの心が育ちました。気長に待ったり他人を褒めたりするのが上手になったのです」
「『お母さんのことを思うといたたまれない』と言われ、ムカつきました。全く謝罪された気がしません。痛みを伴わない殺し方が良かったとでもいうのですか。ふざけないでください」
「葬儀は弁護士や警察の協力でマスコミを遮断したうえで円滑に行いました。生前好きだった音楽を流しながら、のべ200人の参列者に見送られていきました」
「美帆が殺されてから家庭は崩壊しました。祖母(発言者の母あるいは姑)は社交的だったのが一転引きこもりになり、(美帆さんの)兄はショックから立ち直れず失職し、私も味覚鈍麻や不眠に苛まれ一人で外出するのも難しくなりました」
「他人が勝手に奪っていい命など無いというのに、それすらも分からないのですか。ご両親や周りから教えてもらえなかったのですか。あなたはカワイソウな人です」
陳述の中でひときわ強烈だったのは、植松被告の発言をそのまま返す所でした。嗚咽交じりになりつつも、過去の差別的な発言を丸ごと被告へ突き返したのです。
「あなた(被告)の言葉を借りれば、あなたこそが生産性も生きる価値もない、不幸を作るだけの人です。不要なあなたが居なくなれば、無駄な税金が本当に困っている人のもとへ回ります。なぜあなたが今も生きているのか分かりません」
何度も声を震わせながら忌憚なく本心をぶつけた「美帆さん」の母親は、最後に「あなたに未来は必要ありません。一生外へ出ることなく人生を終えてください」と誰よりも痛烈に極刑を求めました。植松被告はこれまで通り動じることなく、小さくため息をつく程度だったそうです。
弁護側と被告も歩み寄った
弁護側も相変わらず無罪を主張する強気の姿勢で、主張も当初と変わらず「大麻精神病による心神喪失」です。第一審の序盤は、「医療大麻の導入」「精神病患者の撲滅」を願う植松被告とそりが合わず、一時弁護団の解任すら示唆していたほどです。
弁護側の主張をある程度受け入れてからも「自分には責任能力がある」と述べていた被告ですが、その辺りの意見は放置されたまま結審まで弁護団の解任はありませんでした。公判が進むにつれ「死刑を回避できるなら弁護団の主張を我慢して受け容れよう…」という考えに至ったとも考えられます。
7日の被告人質問で、被告が措置入院後に生活保護を申請していた件に触れられた際、「私は社会勉強する必要があったため、うつ病のふりをして申請しました」と答えていました。植松被告は、目的のためならば今まで散々「生きる価値がない」と蔑んでいた立場にさえ甘んじる、ある種の柔軟さを持ち合わせています。
弁護団と被告が歩み寄ったというよりは、生きるため仕方なく弁護団の主張に同調したといったところでしょうか。寧ろ「折れた」と言ってもいいかもしれません。
「家族を愛しているなら施設に預けない」は誤り
ところで「美帆さん」の母親本人による最後の陳述を確認するために、ニュースの記事を見ていました。そこのコメント欄に「悲劇のヒロイン気取りだな。世話しきれなくて施設に放り込んだのは親自身じゃないか」「親としての喜びなど綺麗事を抜かすな。枷が外れてホッとした家族もいるし、それが現実だ」などと相変わらずな書き込みがあったので一考します。
まず、その固定観念は誤りだと伝えておきます。「大事な家族ならば在宅介護!施設に預けるのは邪魔だからだ!」という固定観念は何処から生まれたのか分かりませんが、当事者のリアルな事情が全く見えていません。
在宅介護には「フィジカルの強靭さ」「メンタルの強靭さ」「自宅にいられる時間」が莫大かつ恒久的に求められます。やまゆり園入所者の家族も「仕事を辞められる筈もなく、家族に体力のある人がいないから」という消極的な理由がほとんどでした。その代わり定期的に面会へ訪れます。
寧ろ家族を愛するからこそ、弱くて時間も取れない自分自身に見切りをつけ専門性のある施設に頼るのだと思います。何故ならば、自分だけで抱え込むことが不幸しか生まないと知っているからです。
とはいえ、厄介払いのように施設へ押し込んだ家族も確かに存在します。尾野さんも「勘当のため施設に入れる親や、同じ墓に入れようとしない身内などは実在する」と過去発言している程です。
亡くなられた19人の生き様や人となりについても情報や調書の量に大きなバラつきが出ています。遺族によっては植松被告の言う通りだったものもいるでしょう。それでも比率としてはごくごく少なかったのではないでしょうか。
参考サイト
事件の裁判を傍聴して あなたの大切な人は誰ですか|NHKオンライン
https://www.nhk.or.jp
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