植松被告、控訴を取り下げ死刑囚へ~死刑そのものに納得はしていない様子

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先月16日に死刑判決を受けた植松聖被告は、弁護団の控訴を自ら取り下げ死刑を確定させました。「どんな判決でも控訴はしない」という宣言を貫いた形になります。あの様子では控訴審でも心変わりの経緯を話さないでしょうし、日和見の温情判決が出ないとも限りませんので、裁判そのものは以上の結末でいいと思います。謎は多く残されましたが、大事なのは今後の姿勢です。

知っての通り植松被告に反省の意志は皆無で、「自分は死刑に相当しない」とも言い切っていました。判決後の接見でも「裁判長は障害者に人権があると言いたげで残念だった」と述べています。思想を説くほうが優先順位としては上だったため目立ってはいませんが、死刑を回避しようと少しだけ足掻いていた場面もあったのではないでしょうか。

死刑を拒む意思

植松被告が死刑に抵抗したと取れる行動は、裁判の中で少なくとも3回はありました。ひとつは初公判で小指を噛み切ろうとしたこと、もうひとつは一時解任まで示唆していた弁護団を結局解任しなかったこと、最後は最終意見陳述での発言です。

まず、初公判で小指を噛み切ろうとしたことについてです。奇妙な事ですが、反省の念がないにもかかわらず謝罪の意志は示そうとしていました。初公判で小指を噛みちぎろうとして退廷を命じられたのも、「(被害者を)育ててきた親のことはいたたまれなく思います」と答弁したのも、形式的な「謝罪しぐさ」で反省の意志ありと判断されたがっていたのではないでしょうか。見た目に拘る植松被告が「指を詰める」という手段をとったのにも、「遺族への謝罪はこれで手打ちにしろ」という要求もあったように思います。

弁護団は「大麻精神病による心神耗弱で責任能力はない」という主張でしたが、「責任能力がないなら死ね」「意思疎通が出来ないなら死ね」という信条の被告とはそりが合いませんでした。一時、接見に訪れたマスコミに対し弁護団の解任まで示唆していたほどです。しかし最後まで弁護団の解任はしませんでした。主張に反発はしながらも、自分を死刑から遠ざける唯一の存在として一定の評価はしていたのでしょう。

「終身刑」と「生産性」

最終意見陳述のスピーチにも気になる一節があります。「暴力団は実業家としても本気なので、厳罰化すれば犯罪は減ります。しかし捕まるのは下っ端なので、司法取引で終身刑にするべきです。刑務所の中で幸せを追求すればいいですし、その方が生産性も上がります」実際に傍聴していた人からは、「突然ヤクザだのタピオカだの言い出して何事かと思った」と困惑の声が上がりました。

以前のコラムでも述べましたが、個人的に一見荒唐無稽なあの箇所が殊更気になりました。ただヤクザの話をしたいだけならば、「終身刑」から後は蛇足なので言わなければいい筈です。それを敢えて言ったのならば、ヤクザやタピオカは単なるツカミでしかなく、本音は「終身刑」の単語を出してから「刑務所でも生産性が~」と繋ぐ展開にあったのでしょう。

「終身刑」という単語は、実際に終身刑のない日本において死刑回避のメタファーといえます。そして「生産性」という単語は植松被告というフィルターを通せば「生きる資格」「生存意義」に言い換えられます。つまり、「死刑を避けよう!そうすれば生存意義を失わずに済む!」というメッセージではないかと感じました。

結局「死刑を避ければ生きられる」という当たり前のことですし、小林カウの「死刑だけは堪忍してね」と同程度でしかありません。死刑の方法について「絞首刑より服毒刑を」と述べた宮崎勤の方がまだ思想家として「らしい」です。

保身より思想を優先か

所々保身らしき行動や答弁はあったものの、植松被告にとっては自分の思想を貫いて説き続けることの方が優先順位としては上でした。「自分は死刑にあたらない」とし、「障害者の人権を信じる裁判長」を軽蔑しながらも、「控訴はしない」という宣言に背かず控訴を取り下げています。

植松被告は公判において何度も、「障害者は不幸を作る」「意思疎通できない障害者は不要だ」「障害者との共生など無理だとなればいい」などと差別発言を繰り返しました。他にも大麻の扱いなどを記したオリジナル秩序の話になると饒舌(じょうぜつ)になり、ひと際大きな声でスピーチする場面もありました。

そもそも、植松被告は「自分は死刑にあたらない」と述べてこそいましたが、それにどこまで拘っていたのでしょうか。植松被告は死刑の回避そのものより、裁判長が自分の思想に共感したことを温情判決でもって示すことを期待していたのではないでしょうか。

被告は第2回公判の段階で「裁判長は目を合わせてもくれない。死刑は確実だろう」と考えていました。それでも宅間守のように遺族を面罵せず「疲れる裁判」に最後まで臨んだのは、自らの思想を説く機会を逃したくなかったからではないかと思います。

植松被告は過去の接見でも己の思想を説き、言い争いになることもありました。法廷でも同じように思想を並べ立て、裁判長からは温情判決、死刑でも思想には共感するだろうという期待があったのではないでしょうか。

貫こうとした思想は浅薄

頑固ともいえる植松被告の考えですが、「19のいのち」を運営するNHKの取材班は「薄っぺらい」と一蹴しています。実際に法廷を傍聴した中で、堂々としていた被告が言いよどむ場面を何度も目撃したためです。特に決定的な場面が「19のいのち」にも記録されていました。

被告人質問にて、ある遺族の代理弁護人がやまゆり園での意思疎通について質問した時のことです。
代理弁護人「言葉以外での意思疎通はどうしていたのですか。」
植松被告「例えばテレビを指さしている時に点けると喜びます。」
代理「それは意思疎通と言えるのではないですか。」
被告「人間のとる意思疎通ではありません。」

これを「ジェスチャーは意思疎通ではない」と捉えた代理弁護人は、さらに踏み込んだ質問をします。
代理「では外国など日本語の通じない所で貴方はどうやって意思疎通を図りますか。
被告「身振り手振りです。」
代理「分かったのですね、言葉ではなく身振り手振りで。
これに被告は反論できず、ただ「……はい」と答えるしかありませんでした。これまで偉そうに思想を説き、心や意思疎通へ勝手に及第点を付けていた植松被告が、より頭の回転が速い代理弁護人によって言いくるめられたのです。

確固たる信念のもと犯罪を行う本来の意味での確信犯であったにも関わらず、法廷の場で矛盾を突かれて言いよどむのはあまりに脆弱すぎるのではないでしょうか。犯した罪に反して、植松聖という男は人一倍“小さかった”といえます。

参考サイト

事件の裁判を傍聴して 最後に語られたのは|NHKオンライン
https://www.nhk.or.jp

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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