「障害」「障がい」あなたはどっち派?~「害」「がい」論争
暮らしあなたは「文章は漢字とひらがな・カタカナのバランスを意識しましょう!」というアドバイスを受けたことがありますでしょうか。バランスがよければビジュアル的にスッキリして「一瞥して読みにくそうだからやめる」となりにくくなります。
さて、「漢字かひらがなか」で久しく争っている分野があります。「障害」と「障がい」の表記論争です。少し考えれば些末な話なのですが、昼食の献立よりも気にしている人は割と存在します。問題はそこではないのですが、とりあえず論争のきっかけや流れなどを解説しましょう。
表記の流れ
元々は「障碍(しょうげ)」という仏教用語で、「”怨霊などによる”妨げ」という意味がありました。原点からして後述の「社会モデル」に近い発想と言えます。仏教用語から一般用語に転化したのは平安末期からといわれています。また、「障礙」と表記することもありました。
明治時代になると「障碍」を「しょうがい」と読む用例が出始め、しばらくは2つの読みをしていました。やがて「しょうがい」を充てるために「障害」の表記が誕生し、使い分けられるようになります。大正時代には使い分けが進み「障害」は「しょうがい」として定着しました。
しかし、戦前戦中は「障害」や「障碍」が今のように使われていた訳ではなく、現代では差別用語とされ既に埋もれた言葉がその役割を担っていたようです。具体例といえば、戦中に連載されていた吉川英治の「三国志」における、左慈の登場シーンが挙げられます。「片目は眇(すがめ:斜視)」「びっこを引いた(歩行障害)」「かたわの老人」と地の文にもセリフにも書かれています。(左慈は障害者でなく怪奇現象そのものなので、それ以上に超人的な描写も多いのですが。)
さて、戦後になって一気に流れが変わります。1946年に定められた「当用漢字表」から「碍」が落とされ、1954年の「法令用語改正例」では使用率の高い「障害」だけが残されることとなりました。そして、1949年からは戦前にあったいくつかの単語が吸収合併される形で「身体障害者」の単語が生まれます。ここから半世紀ほど「障害」の表記がメジャーとなり、定着していきます。
ところが2000年代になって新勢力が参入しました。「害」の字が良くないとして「がい」が掲げられたのです。配慮の名のもとに漢字をやめる動きは2003年ごろから地方自治体の単位で出始め、2014年時点で採用する地方自治体は都道府県や政令市だけでも23に上りました。どこが最初に始めたのかは不明です。
「がい」もまたメジャーとなっていき、法人名などの固有名詞に採用する所も珍しくなくなりました。一方、2014年に国連の障害者権利条約を日本も批准してから「害」も正当性を得ます。この条約は「障害の社会モデル」という「障害は本人でなく社会の側にある」という考え方に基づいており、「本人に害があるという意味ではない」という根拠へ繋がったと思われます。
障害者同士でも意見はバラバラ
「害」と「がい」のどちらを支持するかについてですが、障害者(あるいは団体)によっても意見がバラバラだそうです。「障害者関係だからコッチを求めている」とは決して言いきれません。内閣府のアンケートでも障害の有無で回答に差は見られませんでした。
「障害」派
「私に言わせれば右腕が短いのが障害ではなく、短い右腕で生きていく社会に障害が潜んでいる。障害は本人でなく社会の方なので、ひらがなにして消さないでもらいたい」(水泳選手・一ノ瀬メイ)
「障害とはその人自身の中ではなく、外の社会との関係性にある、本来の意味での”障害”だ」(きょうされん福岡支部・吉田修一)
「条文では機能不全とそれによる不都合は別々とされている。こうした社会モデルの考え方なら『障害』が適切。『障がい』は(障害を本人のものとする)個人モデルに基づいており、社会的障壁へ目を向けていくにあたって無責任ではないか」(特定非営利活動法人DPI日本会議)
「字を変えるだけでは意味がない」(福岡市身体障害者福祉協会・中原義隆)
「『障害は人でなく社会にある』という考えのもと、表記に囚われず『障害』と向き合う。また、『障がい者』では読み上げソフトが『さわりがいしゃ』と読む」(株式会社ミライロ)
「『障害者』とは『社会の障害』でも『障害を持つ者』でもなく、『社会と関わる中で障害に直面している者』として捉えている。その障害を一つ一つ解消していくことが求められていく。表現をソフトにすることはバリアフリーに貢献しない」(千葉市長・熊谷俊人)
「(呼び方を変えたところで)呼ばれる人々への意識や環境を変えていかねば意味はない。目の前にいる人が『害』を嫌がるなら配慮するべきだが、それを社会全体に当てはめて『障害者問題は解決!』とされてはたまらない」(作家・乙武洋匡)
「障がい」派
「自己紹介するときに悪いイメージを抱かせたくない」(福岡市手をつなぐ育成会)
「『害』の字は否定的な負のイメージがあるから変えてほしいと以前から障がい者団体関係者より寄せられていた。意見調査でひらがなにするにあたって否定意見が無かったので、『障がい』に変更した」(岩手県)
「『害』とは公害・害悪・害虫といった『害』であり、障がい者が『害』であるという社会の価値観を助長してきた」(東京青い芝の会)
「条約に則った上『しょうがい』のままにするなら、『障がい』『障がいのある人』が適切だ」(関西学院大学・S教授)
ところで、「要害」という言葉はご存知でしょうか。山奥や川沿いなど地勢的に攻めづらく守りやすい場所という意味だそうです。
他の候補たち
一応他の候補として「障碍」「チャレンジド」が挙がっておりますが、理由あってあまりメジャーではありません。カタカナ文字に限っては、字義はともかく「ディスアビリティ」より「チャレンジド」のほうが少ない文字数でまとまっていて有利だと思うのですが。
「障碍」は明治時代にも使われていたことと、「碍子(がいし:電線などに使う絶縁体)」など「物」に対して使われていたことから一部で復権が望まれました。東京青い芝の会は「社会の『カベ』だけでなく本人が越えるべき『カベ』の意味もある」とし、芦屋メンタルサポートセンターは「『障害』よりも『障碍』のほうが寧ろ社会モデルに適っている」と優位性を説いています。
しかし、朝日新聞は「常用漢字に入っておらず、使用頻度も低い。字義だけでなく感覚・感情面での考慮もしなければ議論は終わらない」としており、字だけ変えても意味はないという意見も少なくありません。また、一般的な漢字でないため「読めない人がいる」という根本的な問題を抱えています。読めなくても馬鹿にしたり怒ったりしない人にしか使えない表現でしょう。
「チャレンジド」は「挑戦する権利を神様から与えられた、選ばれし者なんだ!」という逆転の発想からきており、底抜けの前向きさ加減から一部で支持されています。しかし、「挑戦する」「立ち向かっていく」という主体的な意味は社会モデルにそぐわないという指摘もあります。そもそも「なんで『挑戦する権利』が障害なんだよ」という突っ込みも入っているのですが。
些末な話で済ませられない本当の理由
些細な表現などを殊更に気にしたところで現実や社会を変えていかねば何の意味もありません。どう書くかなど本来は何だっていいのです。「害」と「がい」のどちらを採ってもいいはずです。いちいち大激論を交わすのも体力と時間の無駄ですし。
しかし、「どちらでもいい」という無関心丸出しの態度で放っておけない事情があります。乙武さんのnoteには「(表記だけ変えて)『これで障害者問題は解決』と安心されては困る」、熊谷市長のツイートには「表現をソフトにすることがバリアフリーに貢献するとは言えない」と書かれています。実は「がい」にするだけで配慮したつもりになる「スラックティビズム」かもしれないのです。
「スラックティビズム(slacktivism)」とは、怠け者を意味する「slacker」と社会運動を意味する「activism」をかけ合わせた造語で、国際連合エイズ合同企画によれば「単純な手段で大義を支援するのは、本気で関与していないか本気で変える意志がないか、どちらかだ」として説明されています。
「『障がい』と書いてやったんだ!俺は十分配慮している!あとは自助努力!」で投げ出す人が増えるとどうなるでしょう。表現へのこだわりを咎めるつもりはありませんが、それで満足して終わるようならば、最初から何も考えていない方がマシだと思います。
参考サイト
「障害」の表記に関する検討結果について(PDFファイル)
https://www8.cao.go.jp
【傾聴記】「障害」か「障がい」か|西日本新聞ニュース
https://www.nishinippon.co.jp
「障害の『害』がひらがななのが嫌い」パラリンピック水泳日本代表・一ノ瀬メイの持論が反響を呼ぶ
https://www.excite.co.jp
「障害」を「障がい」と表記しておけばいいだろうという安直さにドロップキック|乙武洋匡
https://note.com
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