障害者以前。ASDの私が障害特性から働き方をふりかえってみた①
暮らし 発達障害私は3年前、広汎性発達障害の診断を受けました。心療内科は10年通院しており、「なんでわからなかったの(怒)」という感じでした。抑うつで休職/退職/失業/就職を繰り返しましたが、精神保健福祉手帳は取得しておらず、障害とは無関係だと思いこれまで生きてきました。
発達障害の診断を受け、何をやってもうまくいかないのは、発達障害のせいだったのかとようやく合点がいきました。そんな障害者(診断)以前のめちゃくちゃな働き方を障害特性から紐解き、振り返ってみたいと思います。
NOの選択肢がない私
「あなたにお願いしたいんだけど…」と誘いを受けて、そのまま知り合いの社長が経営する会社に就職することになりました。私は、ホロ車に家財道具を一式詰め込み、本土から船で海峡を渡りその地へ上陸。除雪された雪は高い壁となり、夏に見えていたはずの建物や看板は全く見えず白い世界に方向感覚を失わされる閉鎖された町に辿り着きました。職場は車の運転が不要な徒歩10分の距離のお店。就職した会社は、自社農園を有するオーガニック食品の流通会社で、そこが展開するお店での勤務でした。
歯を食いしばり過ぎて口が開かない
お店に入って一番初めの仕事はリストラでした。「そんな話は聞いていない!」と思ったものの、店長ともう1人いる正社員スタッフを雇い止めすることになりました。経緯はよくわかりませんが、社長の話に私も同席しました。その2人が退職するまでの間いろいろなことが起こりました。
アルバイト大学生からは、「あんたのせいで店長はクビになったんだ」と罵詈雑言を浴びせられました。正社員スタッフの女性は、男性の店長から暴言や蹴るなどの暴力を受けていたことを私に告白しました。店長はもちろん新参者の私に厳しく当たります。日中我慢ばかりで歯を食いしばって仕事をしていると、昼休憩でご飯を食べようとしたら口が開きません。仕方がないので手でむりやりあごを動かし少しずつゆっくり食べることが出来ました。この状態は、2人が退職するまで続きました。
3.11と社長の自殺
その後、社長の知り合いの男女2人が一緒に働くことになりました。知的障害者を対象にした農業事業での就労継続支援A型事業所開設を検討中で、勉強がてら勤務するとのこと。前店長に代わり、私が店長に決まったので、一緒に頑張っていこうとお店を盛り上げる役回りとなりました。
そして、生活も落ち着くかと思った3月、東日本大震災が起こりました。テレビをつければ津波の映像と報道規制のACジャパンの映像ばかりで、頭がおかしくなりそうでした。わけのわからない職場環境に悩まされ、気を紛らわせられる唯一の方法であったテレビは、私の味方ではなくなりました。それから、2カ月も経たないうちに、私をこの地へ呼び寄せた社長が自殺したのでした。今まで本社とお店のつなぎ役だった社長がいなくなり、会社は借金まみれだということが判明。残念ながら、社長の保険金は会社再生を賄うには足りず、お店を存続させるか閉店させるかで、現場スタッフをそっちのけで議論が始まりました。「社長が店をやるのは元々反対だった」「社長が勝手にやり始めたから関係ない」とお店は孤立し、私は本社への不信感が増幅し益々混乱していきました。
愛の逃避行、W不倫の果て
私は、仕事も毎日の生活も苦しさを感じていましたが、無休かつアルバイトスタッフを抱えている状態なので、とにかく働かなければなりません。そんなある日、A型事業所開設をのぞむ女性スタッフが妊娠していることがわかりました。婚約者は近くの農家の男性です。「大変だから休んだら」と声を掛けるも、恐ろしいスピードで仕事をこなします。だんだんおなかは大きくなっていきます。彼女はシフトの入っていない日も毎日店に顔を出し、熱中症で倒れた際には、婚約者に迎えに来てもらうよう話すもなぜか断固拒否をするのでした。
お店の閉店が決まり、例の男女2人はA型事業所開設の準備を始めました。しかし、夢あれどもお金はありません。男性の妻は障害者施設の副施設長をしているそうですが、出資は困難で、女性の方は自分の腹を痛めるつもりはないようでした。
ある日、私に「もし店を続けるのならお金を出してもいいよ」という会社経営者の男性がいました。それを聞きつけた2人は、その資金を自分たちの開設資金にできないかと私を巻き込んできたのです。そして共通のメールアドレスから男性に出資の依頼を始めました。
「返信が来ていないかチェックしておいて」と男性に言われ、メールチェックをしようとしたところ、スポーツ新聞の官能小説さながらの内容が受信フォルダには溢れていました。この男女2人は愛の逃避行真っ只中、逃げた最果ての地が、この潰れる寸前のこのお店だった、とようやく欺かれていることに気づいたのでした。腹が立つやら情けないやら、2人への激しい嫌悪で吐き気がしました。これから何を目的に頑張ればいいのかわからずボロボロになりました。
震災でたくさんの人が亡くなりました。まだ未来の明るいこどもたちの代わりに、こんなに死にたいと思っている私が身代わりになれたらどんなにいいか…そうは思うものの、その願いは叶いようもありません。人間は生きていくしかありません。
広汎性発達障害