ハッタツ特性を改善しなくても人間関係は改善される、『ありがとう』と『ごめんなさい』のもつ本当の力(『発達障がい~神からの贈り物~』第32回)
発達障害
『発達障がい ~神からの贈り物~』 第32回 <毎月10日連載>
突然ですが、大阪和泉市を中心とした発達障害自助グループ『いずみハッタツ友の会』がこのほど発足しました。そして私がその代表を務める運びとなりました。自助会については以前このコラムでも触れているので、そちらを参考にしていただきたいのですが、堺市は全国的にも最も自助グループの活動が盛んな地域で、私もその運営者の一人として活動してきましたが、今後は地元によりいっそう力を注ぎたいと考えています。
実は、さかいハッタツ友の会に加わった5年ほど前にも和泉市にグループを立ち上げようとしたのですが、いろいろ駆け回った挙句、門前払い的な対応のもと膝を屈した経験があります。それが今回は私から直接の要請もないのに多くの方が影で動いてくれ、特に市の議会に問題提起してくれた議員さんの力も大きく、このような運びとなりました。気が熟した、と言えばそうなのかもしれません。
私自身、発達障害当事者として様々な生き辛さを味わってきました。人間関係がうまく構築できず何度も転職を繰り返しました。しかし、そんな私をこうして社会が支えてくれるようになりだしました。これには一つの理由があると考えています。もちろん全くの主観ですが。
私の毎日のテーマは『等身大の自分でいること』。これは、それまでの反省に大きく基づいています。自分自身を大きく見せようとしていたことが人間関係の大きな問題となっていたことに気づきました。自分を少しでも大きく見せようとする気持ちこそが孤立を生んでいた。等身大の自分でいることは言い換えれば自分に素直に正直に生きること。もちろん、そうありたいと願っているだけで、ついつい自分を偽ってしまうことは日常茶飯事的にあります。
しかし、等身大の自分を意識しだしてから、私の周りの社会が大きく変わりました。人間関係のトラブルがほとんどなくなったのです。それまで人間関係の問題は、自分はちゃんとやっているのに相手がしようとしない、というような周りを責める気持ちが強かったのですが、それが消えだした。そもそもちゃんとできる人っているのでしょうか?自分はできている、と言い切れるような人って、できていない自分に気づかないだけではないでしょうか?
人は嘘もつくし、人を裏切る。私だって意図せずに嘘をついたり裏切ったりする。そうせざるを得ないときもある。だから他人が嘘をつくのを責めてもしょうがない。むしろ正直でいてくれることに感謝すべきでないでしょうか?等身大の至らない自分を受け入れることで、等身大の周りを受け入れることができる。そこに感謝の心が芽生えだす。『ありがとう』と言う言葉が自然に心から湧き出るようになった。
もちろん嘘をついたとき、裏切ったときには反省はします。相手に謝れないときも多い。でも必ず自分に『ごめんなさい』を言うようにしています。至らない自分を素直に認める。そうすることによって至らない他人に寛容になれ、正直な人への尊敬が芽生える。
等身大の自分でいることで『ありがとう』と『ごめんなさい』を素直に言える、そしてこの期間が長くなるほど社会から阻害がほとんど生まれなくなった。至らない私を受け入れ、生かしてくれる多くの仲間に出会えた。これは人間関係の改善だけにとどまらない。仕事のミスに関しても同じ。自分のミスを素直に認め、他人のミスに寛容になることで円滑に物事は進むようになる。ミスすることへの怯えが小さくなると自然にミスは減ってくる。心に余裕がないときほど人はミスをしやすいもの。
振り返ってみると、等身大の自分を受け入れようと向き合いだした頃から人生は大きく変わっているように思える。私自身の特性はきっと何も変わっていない。拘りが強く、興味の分野は大きく偏り、能力の凸凹も人より遥かに大きい。仕事のミスも注意欠陥も人一倍。だけどそれが社会の中の問題となっていない。いや、私の問題を周りが支えてくれるようになっている。
発達障害の特性で苦しんでいたのっていったい何だったのでしょうね。自分を偽り、できないことをできると言ったり、偉そうな態度をとったり、そんなことをやめようと試みただけで、人生は大きく変わる。無理やり自分を変えようとしなくても社会が私を生かしてくれる。『ありがとう』と『ごめんなさい』、きっと小学校で習ったであろう道徳の基礎、これを疎かにしていただけのように思えてくる。
以上は私個人の経験に基づくものですが、皆さんも試してみてはいかがでしょう?素直な自分になれたとき、社会の優しさを感じ出すように思います。
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