ピアグループにおけるサポート空間の有用性

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unsplash-logo Phil Coffman

はじめに

僕は、統合失調症という精神障害を抱え、これまで幾度となく調子を崩しながらも、勢いだけで無理から労働に就いてきました。 それがおよそ14年と時間が経ち、無理がいよいよきかなくなってきたのですが、そんなときに、同じ様な経験をしたピアといった方々に癒やされ、代わり映えのない毎日の見え方が変わり、楽しくなかった日常生活をもう一度見直すキッカケを得ました。

現在、1億総活躍と銘打ち、労働環境の大きな変化がもたらされ始めています。

障害者雇用の法制も変わり、おかげで精神障害があっても労働に就くハードルは下がりました。

あわせて継続的に行われている障害があっても社会生活を送れるようにとの環境整備もあり、物理的な居場所は増え続けていると実感しています。

しかし、急激に増え続ける物理的な居場所に対して、人と人の間に生まれる心の居場所が追いついてこないのも事実かと思われます。

人は自分が経験をしていないことを理解することが難しい。

障害のある人が障害のない人を理解するのも難しい。

これまで、接点がなかった、接点が遠ざかっていた、いわゆる健常者と呼ばれる人たちと働く場でいきなり接することで手っ取り早く接点を作れる反面、お互いに背伸びを余儀なくされることも増え、より孤独であることを感じる場面が増えてくることでしょう。

そんなときに、似たような経験をしてきたピアのグループが現時点で、より安心できる、より自分らしくいられる心の居場所になると、今回大きく調子を崩した僕は身を持って経験しました。

これが、さらに時間が経ち、ごちゃ混ぜ状態(インクルージョン)になることが出来れば、心の居場所の状況は大きく様変わりすることも考えられますが。

今回、僕の経験を踏まえて、ピアといった間柄と、さらにピアのグループが作る空間でのサポートが、労働に就く精神障害者にとっても有効ではないかと考え、そのことについて書きました。

ちなみに、僕は個人的にですが、仕事と労働は違うと考えていて、仕事は、誰か、何かに作用をすること、労働は、働くことが目的化してしまっている状態。 それでいえば、聖徳太子は約1400年間仕事をし続けている。



精神障害を抱えながら労働に就いてわかったこと

僕は、精神障害と付き合いながら約14年間、訪問介護などで働いてきました。

そのすべてをクローズ、つまり面接時などで自分の障害について言わないで働いてきました。

そうすることで、変に気を使われることなく、僕という個人を見てくれている、と、思えたからです。

ですが、全くクローズかと言われるとそれは違い、ある程度、職場の方々と仲良くなったら「実は、、、」と、話すようなスタイルを取ってきました。

おかげで同僚たちともフラットな付き合いが出来ていたと思います。


ただ、特に最近感じているのは、精神障害を抱えているということは言えても、障害による「しんどい」という言葉は簡単には言えないなあ、ということ。 なにぶんキチンと伝わらないですし、しんどい時にキチンと説明も出来ない。

業務内容がしんどいだとか、暑くてしんどいだとか、お互いに感じるだろうことは笑いも取れたりするので、気軽なコミュニケーションとして成立するのですけどもね。

少し勇気がいるけども、「風邪で熱があって、、、」の方が言いやすい。

それが、精神障害にかかるしんどさになると、相手が福祉関係のプロでも言えない。

むしろ、プロの方がややこしくなったりもするんですよ。

知識があるせいで、受容をすっ飛ばして「早く寝ろ、計画を立てろ、ああしろ、こうしろ、、、」みたいなのもありますからね。余計に辛くなるという。

で、「しんどい」と伝えると、しばしば「どこが、どのように」みたいな5W1Hのようなやりとりがあるんですね。

そらあ、グローバル企業や欧州企業などの前衛的な働き方が出来るならば話は別ですが、日本で“それなり”の賃金が発生する職であるなら、かなりシビアでタイトなスケジュールだったりするわけで、休む場合は他の人に過度な負担がかかりますから、その理由の“しんどい”の中身は知りたいでしょう(就労A型だとかは把握してませんので、この限りではないかもしれませんが)。

ですが、精神的にしんどい時にしんどいの中身の説明は出来ないんですよね。

だって、めちゃくちゃしんどいんですから。

細かい説明を端折って「無意識下で死のうとするのを必死で堪えています」て、しんどい理由を伝えたところで、「お、おう」となるでしょ。

まあ、実際問題そんなことすら言えるはずもないですから、「すみません、しんどいんです、すみません、すみません」としか言えないんです。

かといって、調子が浮上したときに不調時の説明をしようとしても、喉元過ぎればなんとやらで、ピンぼけだったりします。

で、結局無理をして労働に出るわけですよ。

加えて、障害のしんどさで休むことはしない、と、最初に打ち立てた個人的なプライドも相まって、気付けばものすごい孤立感。

ボーッとしている時間、無感情なのに勝手に涙がボロボロと止まらなくても労働&労働。

もちろん、やることの質も下がってますよ。

死の情景がポンポンと放り込まれ辛いし、心の中ではとにかく横になりたい、眠りたい、イライライライラ、これがずっとリピートされてますからね。

その行き着いた先は、極度な抑うつ状態。

深く眠ることも出来ず体重も激減。

現在は調子が浮上し安定してきています。

キッカケとなった大きなポイントは2点あったと思います。

先ず、精神障害と診断された似た境遇のピア“たち”が沢山居る空間に僕自身が入ったこと(心の居場所)。

そして、職場とは別の場でそれを見つけたこと(物理的居場所)。


似た境遇の人が居るということは、(1)~(10)を説明しなくても、(1)~(4)、ないし、時には(1)話しただけで、「だよね~」と、返ってくるんですよね。

例え、それが言葉でなくても雰囲気でだったり。

しんどいときにしんどい理由を無理をして話さなくてもいい。

そして、それが1人2人では不可能なピアの空間ですから、なにか包まれているような安心感、癒し感が強いですよね。

気兼ねすることなく居てもいい空気感。

背伸びすることなく自分らしく居られる人たちとの間柄、時間、空間。

これが、物理的な居場所に対して圧倒的に少ない、人と人との間に生まれる心の居場所。

まあ、前述のようにいきなり「無意識下で、、、」と、話せば、ピアの方でも「お、おう」となる方が多いでしょうけどもね。


何度も言いますが、ピアの多人数グループという、沢山の人の脳と経験、多次元空間、多方向への広がりが持てるだけの人がいる空間が大きなポイントです。 アメリカの映画やホームドラマなどでよく見るグループセラピーのようなのが、イメージとしては近いのかも。

皆さん一人ひとりが、自分では経験出来なかった体験や特技だったりを共通部分とは別に沢山持っておられますから、癒やしをもらいながら少しずつ自分の世界観にも広がりが持てます。

それでいて変な説明も不要。


もし、これが1対1といった状況だとしたならば、強い依存状態になってしまいますから、どちらか一方、若しくは、お互いに強度な負担を背負い込むことになってしまいます。

強く繋がりを感じられる期間は、上記以上のかなり強い安心感や癒やしも得られることでしょう。が、もし、その唯一の人がいなくなってしまったら孤独が待っているだけで、逆効果になりうる可能性が高くなります。

なので、ピアという間柄であっても、出来るだけ沢山の弱い依存先を確保できる環境に入ることが必須であると、僕は考えています。

あと、グループだと小さな声を増幅させることも出来ますし、ひとりでは困難なことでも協力して取り組むことも出来ますしね。


そして、職場とは別の場で、というのも重要でしょう。

単純に行く場所が増えることもそうですが、職場だと同調圧が働き、話を合わせないといけない場面が多く、自然と仕事や人間関係の愚痴、悪口ばかりになってしまい、その上、本題の自分の抱えるしんどさを語れませんし、余計に傷付くことが割と多いんですよね。

それが、職場以外の繋がりだと仕事の利害関係も気にしなくていいですし、いろんなプラスになる話が出てくると思うんです。


ただ、他の場に出向くことが、様々な理由で出来ないという人もいることでしょう。

だとしても、職場以外での人の繋がりを多く持つことを意識していた方がいい。

もちろん背伸びをしなくてもいい、自分らしくいられる間柄で。

それは、インターネットの中でも構いませんが、その場合匿名で寄稿する方も多く、たとえ本名であっても誰もが見られるということが抜け落ちている時もあって、思い込みや物事の整理がついていない状態で過剰な内容であっても勢い任せに書き込むことが多々ありますし、最初から炎上目的の人もいますから、慎重な判断が求められると思います。


僕の場合は、18~21歳くらいまで通っていた障害者地域生活支援センターに、時間があるときは顔を出すようにしています。

再び利用し始めた頃は、特に浮き沈みが激しく、また、ひどい抑うつ状態にも突入しましたので、寝てばかりの利用でしたが(今でも寝ていることが多いですけども)、この職場以外の癒やし空間のおかげで、また少し目線を前に向けることが出来たと思います。

こういった、ピアによるサポート空間が存在する限りは、なんとか生きてさえいれば何度でもやり直せるしチャレンジが出来る。と。


この体験の中で自身に沢山の変化があったと思います。

その変化のひとつに、抗精神薬や抗鬱剤、睡眠導入剤などの薬剤の質、量ともに増量することを、生活が楽になるのらば、と、前向きに受け入れることが出来たこと。

以前は、抗精神薬を減らしたおかげで生活が良くなった、とのイメージが強く心にありましたので、薬を増やすことは避けて来ました。

そういったこともあってか、これまでDr.にも素直に状態を話せていなかったのですが、たまたまDr.が変わったことも後押しし、苦しい胸の内を話せました(それでも希死念慮のことは言えなかったですが)。

そして、診察が終わり椅子から立ち上がろうした際に、Dr.から「しんどかったですね」と、一言かけていただいたのですが、思わず涙が溢れ出そうになったのを覚えています。

本当にギリギリだったのでしょう。

おかげさまで今は安定してきています。

ピア性を活かしたサポートとインクルージョンに向けて

これが、僕のどん底に陥りそこからもう一度上向きになれた一連の体験です。

そして、もしかすると僕のような状況に陥っている人が大勢いるのではないかと考え、労働に就く精神障害者の方にもピア性を活かした空間的サポートが必要ではないかと、お節介かもしれませんが考えました。

空間に集まるピアによって息抜きが出来、後押しされ、「また明日もがんばろう」と、プラス材料が増えるかもしれない。


そのピアサポート空間は、もちろん労働に就く精神障害者だけでなく、いろんな状況下にある精神障害を抱えた人にも仕事として作用があることでしょう。

ここには、世間話、意見交換といったネット上でも出来ることも沢山含まれていますが、一番大きなことは現実に協力が行えること。

ひとりでは中々上手くいかないときに、もしかすると手伝ってくれる人が出てくるかもしれない。

実際に協力することで、ひとつの体験を複数の人と共有することが出来る。

知識の共有と協力による体験の共有といった、実存するネットワークによって、互いを知り助け合いが活性化し小さな経済圏を持つことが出来る。

この場合の経済とは、いわゆるエコノミーのことではないです。

お金や資産があっても、世の中やはり協力してくれる人なしでは、上手くいかないことの方が多いんです。

支援する側から支援される側の一方向の流れではなく、互いに支援し合える双方向での関わりが重要である。と、いうこと。


ただ、『有効性』と、まるで根拠のあるようなタイトルを付けていますが、これは僕個人の体験であって、アンケートを取り統計を出して理論的に書いているわけではないので、あくまでも僕の主観でしかありません。思い込みも十分にあることでしょう。

ちゃぶ台をひっくり返すようですが、ここに書いてきたことが、人によっては結果的に逆効果となる可能性もあるでしょう。

どちらにせよ、人間が操作する統計には、必ず思い込みというフィルター越しの結果が入ってしまうものなんですけども。


また、これは最も大切なことですが、調子が悪くなるのも良くなるのも、ひとつの単純な理由に起因するのではなく、沢山の複雑な状況が絡み合って起こるわけですから、好不調の波がシンプルで簡単な事象ではないことは必ず押さえておきたい。

ひとつ確実に言えることは、やってみなくてはわからない。と、いうこと。

ちなみに、僕はいろいろとやってみた結果、計画性や一般的な社会秩序といったことを、自分で考えたり人から押し付けられたりすると、「計画通りにいくことなんてこの世の中に存在しないし、秩序も時代によって変化するじゃないか」と、物事に疑心暗鬼となり悶々として眠れなくなって、調子を崩す一因となります。

複雑に絡み合う中で、希死念慮の他に確実にわかったことのひとつです。


そして、ピアにも居心地の良さからインテグレーションの状況に落ち着いてしまい、いつの間にか所属別、カテゴリー別に分断してしまうという、大きな弱みも露呈しています。

現状は、ここに落ち着き、長い期間膠着状態に入ってしまっています。

一定の領域に留まり続ける限りは、全体の流れというものを掴む力が衰え、仕方なく執着しなくてはならなくなる。

なので、長期に渡り、よくわからない同じことで争い続けている。

ただ、これもかなりの時間を要しますが、ピアの共通項の範囲を部分的なものから人の根源的なものへと広げ続けることが出来れば、つまり、最終的に所属を誰もが当てはまる普遍的なものに、若しくは、所属を全く無視することで、その弱みも薄めることは可能でしょう。

公平を平等と間違えて理解をしている人は多いので、うんと長い時間が必要となるでしょうから、ブレずにインクルージョンの状態のイメージを強く持っておくことが重要。

しかし、途方もない時間が掛かろうが、夢まぼろし、綺麗事だと言われようが、諦めずインクルージョンの状態を目指し実現したいですよね。

とにかくごちゃ混ぜの経験を積むことが出来れば。

平行線は平面上では交わることがないですが、曲面上に描かれた平行線はそのうち交わりますからね。


最後に、僕のようにピアという間柄といった一つの方法で少しでも気持ちが軽くなれる人がいて、生活を楽しめるようになれるのならば、是非僕は力になれるようそのための行動をしたいと思います。

佐藤 義晃

佐藤 義晃

1983年5月24日生まれ。
13歳で人と顔を合わせるのが怖くなり引きこもる。
みんなから監視され、悪口、笑われているなど被害的妄想が激しく、15歳で枚方市にある精神科に通院し精神分裂病(現統合失調症)と診断される。
精神科病院での完全閉鎖病棟に入院も経験。
現在は、様々な体験をしたいと、思い切って単身で言葉も通じない海外に行き、思いのほか楽しかったためバックパッカー旅行にはまっている。また、半年前からは女装を始める。

統合失調症 精神障害

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