「第2回生きづらさダヨ!全員集合」レポート②佐藤ひらり編~不自由ではないが、不便ではある
暮らし 身体障害◀過去の記事:「第2回生きづらさダヨ!全員集合」レポート①プリティ太田編~いじりのさじ加減は対話で解決
10月22日からYouTubeで配信されている「生きづらさダヨ!全員集合(生き全)」の第2弾をレポートしています。2人目のスピーカーはシンガーソングライターの佐藤ひらりさんです。
佐藤さんは全盲の視覚障害者でもあります。視覚障害者に向けたバリアフリーはどこでも充実していると言えず、所々に残っている不便さを生きづらさとして語ってくれました。今回も内容が詰まっており、書き起こしだけでかなりの文字数となっています。
不自由というより不便
佐藤「『目が不自由』と紹介されますが自分自身その自覚はありません。しかし不便なことは多くあります。例えば、駅で点字ブロックに従って進んでいたと思ったら変なところで途切れていたことがよくあります。見えない人のために敷いていることは承知しておりますが、やはり使いにくさを感じることがありますので、当事者としてアドバイスに伺いたいです。
もう一つ、トイレの事です。水のレバーとかトイレットペーパーとか、その場所を全世界で統一して欲しいです。水を流そうとして非常ベルを押しそうになったり、ボタンが足元にあったり、『水洗センサーは床から90センチ』と細かく指定されたりとトラブルが絶えません。
車椅子の方向けに段差をなくした玄関が増えておりますが、視覚障害者からすると何処から玄関なのか分かりにくいので、少しくらい突起をつけてほしいです。
19歳なので選挙権があるわけですが、点字で書いても無効票になるので、口頭で言わなければなりません。守秘義務(無記名投票)とは何だったのでしょうか。点字案内はあっても点字で投票できず、見えない人への配慮がまだ足りていないなと思いました。
あと、『ご案内しましょうか?』と助けてくださる方は、一度断られただけで懲りないで貰えるとありがたいです。人それぞれです。断らない人も必ずいますので、諦めないでください」
主に語られたのは「点字ブロックの不行き届き」「トイレの規格」「一度断られただけで懲りる人」の3点です。特に「個室トイレに規格がないので、視覚障害者にとっては毎回コロコロ変わって使いにくい」というのは全く気付きませんでした。確かに個室トイレは細かいパーツが場所ごとに違っていて分かりにくく、酷い場合は便座の水洗レバーを“押さないと”流れないことすらあります。(水洗レバーの向きはTOTO製とLINUX製で逆だそうです)
点字ブロックについても「とりあえず置いている」という感じの配置が時々ありますね。しかし、アニメの作画崩壊で「点字ブロックが横断歩道まで続いている」という点が指摘されたケースもあるので、点字ブロックに対して無理解な人ばかりという訳ではありません。
バリアフリーはまだ遠い
東「色々ありますが、一番驚いたのが選挙です。確かに口頭だと守秘義務などが心配ですね」
たかまつ「特別支援学校の投票率ってかなり低いんですよ。投票に関する問題は解決しないといけませんね」
東「困っている人のための候補を投票したいのに、特別支援学校などが投票できないようでは矛盾していますよね。ところで、助けてくださる方は新潟より東京の方が多いんですか?」
佐藤「新潟は『どう介助するのか分からない』という人が多いです。東京は人数が多い分『手を引けばいいのかな』と想像力が育ちやすいのでしょう。新潟は点字ブロックも足りないですし、案内されても『はい、ここです』で終わってその先が分からないのもしょっちゅうです」
東「慣れていないのも原因の一つでしょうね」
たかまつ「小学校の頃、視覚障害者の講演で『声をかけてください』と教わったので、自分から声をかけるようにしています。知っていれば出来るんですよ」
佐藤「(特に困りごとが無くて)『大丈夫です、ありがとうございます。』と返すこともありますが、それで『断られた…』と懲りてしまう方がとても多いです。一回断られたくらいで懲りないでください。その時は断られても、いつか助けを必要とされる時が来ます」
「白杖を持つ視覚障害者を介助した経験がないので助けようがない」というのはおおかた真理だと思います。知識があっても一回断られただけでトラウマになり介助しなくなるのもまたあり得る話でしょう。佐藤さんは「一回断られた程度で懲りないでください」と何度も呼びかけますが、「お節介」と言われるレベルでなければ一回失敗して嫌になるのが普通だと思います。かといって、トラウマを負わせてやろうという悪意で断っている訳ではないのですが。
東「いま各都道府県や行政の指針に『共生社会』を掲げることが増えてきました。では、『共生社会』とは何なのでしょう。スローガンは立派ですが、結局は当事者の意見を聞かずにあれこれ決めている部分があるということですね」
佐藤「点字ブロックやトイレを作る場に呼んでもらいたいです。点字ブロックをマンホールや電柱などが切ってしまい、誰のための点字ブロックか分からなくなることもあります」
東「『共生社会』とは健常者の言い分に過ぎず、障害者や難病持ちは言いません。悪気のない“上から目線”、『一緒に暮らしてやってる』という思考は看破されています」
佐藤「『一緒に暮らしてやる』よりも、『そういえば目が見えなかったっけ』というさり気なさを持って一緒にいられるほうがベターですね」
東「悪気のない無自覚な『共生社会』という言葉について、この間もある県で行政の方とお話ししました。現場の方には『東さんの言う通りですが、上から降りてきた以上どうしようもないのです』と言われました」
たかまつ「今回のひらりさんの話を聞いたら、もう『共生社会』なんて単語は使えませんね。当事者が置き去りという感じで」
「共生社会」が「共に生きてやる」という上から目線かどうかは、当事者の意見が反映されているかどうかで分かれるそうです。想像だけで敷いた点字ブロックは途切れ途切れで、そこに共生する気はあるのかという話ですね。
当事者の声を聴こう
ここからはZoomやチャットでの一般参加者から寄せられたコメントが紹介されます。
トイレを統一して欲しい話はよく分かりました。自分たちでも流すところが後ろか前か脇か分からないことがあります。点字ブロックについてもオシャレ(景観)を捨てきれていない話が出ていて、もっと当事者が介入できればいいなと思いました。
東「確かにトイレはオシャレなところだと流すところ探しませんかね」
たかまつ「(どこにあるか)分からないですよね。海外では一人途方に暮れることもあります」
佐藤「水洗センサーで勝手に流れるのを知らず、物を落として取り返せなくなりましたね。自分で流すならまだ取り返しがつくのですが」
ひらりさんにとって何が分からないのかというのが、自分には分かりにくいです。何か教えてもらえれば協力できることを探せます。
たかまつ「確かにその通りですね。介助したい気持ちはあってもありがた迷惑に思われるのではないかと及び腰になるものです。今回ひらりさんの話を聞いて、当事者と実際に話すのは本当に大切なことだなと実感しました」
佐藤「皆さん、一回断られた程度で懲りないでください。今回のテーマです」
東「『ああ、いいです』って断られて、『声かけなきゃよかった!』と後悔する人も結構多いんですよ」
たかまつ「具体的に、声をかけていい時とダメな時を教えて頂ければ」
佐藤「例えば、介助者と待ち合わせをしている時は川辺などに寄って止まっていることが多いですね。そういう時は特に困りごとがありません。
逆に、私一人きりで白杖をついて歩き回っている時、特に点字ブロックがマンホールなどで途切れたり積雪や落ち葉などで埋まったりして迷ってそうな時は、『お手伝いしましょうか』とお声かけ下されば喜んでお答えいたします」
佐藤さん自身の体験談で言わせれば、「一人きりで白杖をついている時」は介助を断られにくいそうです。特に困っていることが無くても、一人で歩くより介助されるほうが安全性は上でしょう。何より一回断られたくらいで「もう視覚障害者に話しかけるのはやめよう」と考えないことが大事だと説かれていますけれども。
東「視覚障害を持つ他の知人が言うには、すれ違いざまに舌打ちや陰口を貰うことがあります」
佐藤「(同じ障害の)友達は『視覚障害者に産んだ親を恨め』と言われたみたいです」
東「そういう人もある意味“生きづらい”のでしょうね。閉塞感しかなくて常に捌け口を探しているような人です。どうせなら此処で語ってもらいたいですね」
音楽人として出たい
24時間テレビを純粋に感動しながら見ています。
東「24時間テレビのような感動路線だけでなく、レギュラー番組に出演したいですよね。ひらりさんも24時間テレビに出たことはありますが、純粋に音楽家として歌番組などに呼ばれてもいい筈です」
佐藤「24時間テレビにはお世話になりましたが、音楽に関係のない話ばかり盛り上げている印象があります。自分が持つ音楽家としての技能を発揮できる番組に出たいものです」
東「感動ものにされてしまうんですよ」
たかまつ「パラリンピックにしてもそうですよね。選手になる前の物語ばかり注目しているのですが、あれは何なのでしょうか」
東「競技だけ伝えればいいのですけれどもね」
たかまつ「そうですよね。(競技の)どういった所が面白いかを解説してもらいたいです」
東「そうした解説も大事ですよね。一方、選手にとって困難な事やどう乗り越えたかに注目してもいいです。色々な視点があればいいのです」
たかまつ「障害者を取り上げるとなると感動一辺倒で、それが気持ち悪いとは感じますね」
東「その点では東京オリンピックこそチャンスかもしれません。『東京やるなあ!純粋に競技だけを取り上げるなんて!』と言われれば最高ですね。競技観戦そのものが非常に面白いですし」
佐藤「私も番組に呼ばれるときは感動路線でなく、純粋に音楽家として歌と曲で楽しませたいなと思います」
佐藤さんがテレビで「感動もの」として紹介される様子は実際に見ていないのですが、不思議と想像はつきます。一人の音楽家として音楽系の番組に呼ばれるという願いは「バリバラ」には叶えられないので、なかなか難しそうに思えます。
想像ではなく実際に当事者と話し合って決めることの大切さも喚起されており、テレビ出演も含めプリティ太田さんの話とも重なる部分がありました。テレビはともかく、当事者不在で勝手に進む感覚は障害者にとって普遍の問題と言えるかもしれません。
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