農福連携の概説と徴農制構想との違い
暮らし「農福連携」とは読んで字のごとく「農業」と「福祉」が連携する様子を指し、主に障害者が農業へ従事することによって障害者就労と後継者不足を同時に解消するwin-winの関係が期待されています。また、農業に限らず林業や漁業、加工や販売や流通などにも手を伸ばし多様化も目指している真っ最中です。
一方、全国民を一定期間農業に従事させる「徴農制」の構想もまた存在します。理念・メソッド・本音のどれをとっても農福連携とは似て非なるもので、単なる懲罰思想や根性論で支持する者もいる危うい構想です。徴農制はカンボジアや中国に先例を持ちますが、目的はどちらも「面倒な奴の排除」でした。農福連携もまた一歩間違えば排除の方便になるかもしれません。
農福連携は国も推す
農福連携は2010年代半ばから徐々に整備されており、農林水産省や厚生労働省も積極的に推し進めています。主に障害者が農業へ従事することによって、農業の担い手不足と障害者就労の行き詰まりを同時に解決する画期的な方法として期待されています。
実際に農家と協力した就労施設によれば、「生活リズムの改善」や「コミュニケーション能力の向上」に寄与していたそうです。日中の作業に携わることで昼夜逆転も直りますし、仲間との連携や地域住民との交流からコミュニケーションも出来るようになっていきます。力技にも思えますが、2014年に農林水産省が出したデータではこれらの他に「精神面や身体面の状況が改善した」という人が半数近く出ていました。
障害者側からみたメリットは、農業の経験がそのまま就労訓練になる事です。生活リズムを改善し仲間や地域住民とコミュニケーションをとれるので、下手なB型事業所より身につくことは多いでしょう。寧ろ農家と契約しているB型事業所も珍しくないくらいです。農家にならないとしても経験は就活を後押ししてくれることでしょう。
また、全ての作業をやるわけではなく様々な作業を分担しているため、各々がやりやすい作業環境を比較的整えやすいのも長所です。ビニールハウスなどの「植物工場」ならば温度や湿度を一定に保つため環境変化に敏感な人にも向いています。
農福連携は単に障害者が農業へ従事する仕組み作りだけを指すのではありません。「農」は林業・漁業・加工・流通、「福」は高齢者や生活困窮者とそれぞれ対象を広げていく構想があります。特に賃金を上げるうえで「食の六次化(注)」は有効となるでしょう。
注:農業(第一次)×加工(第二次)×販売(第三次)を融合し、一単位(個人・法人)で生産から販売まで行う経営スタイルです。生産や収穫だけでなく、加工・流通・販売まで手を伸ばしている方が賃金も高くなりやすいそうです。
徴農制はどう違う
農業といえば「徴農制」が以前話題となったことがあります。全ての国民を一定期間農業へ従事させる「徴農制」は、2000年代後半は多くの著名人が提唱ないし支持してきました。今でも一定の層が支持しているのではないでしょうか。
「農業を始めるきっかけにする」「食料自給率を上げる」「後継者不足の解消」などがお題目として掲げられています。本気でそう考えている人もいるでしょうが、ただ単に「ニートを叩き直す」「若者に喝を入れる」という発想で支持する者が多いです。
この辺りが徴農制と農福連携の大きな違いで、徴農制には就労訓練や雇用創出といった高尚な目的はありません。寧ろ懲罰思想や根性論に根差した低俗で傲慢な動機のもと推されている節があります。「自然に触れる」「土まみれになる」を美点として挙げているのも徴農制の特徴で、農福連携のように加工・流通・栽培方法などにも目を向けている訳ではありません。
徴農制には有名な類似の前例がふたつあります。ひとつは中国の毛沢東政権が行った「下放」、もうひとつはカンボジアでポル・ポトが指揮を執ったクメール・ルージュの政策です。どちらも中枢都市の反乱分子を排除するのが目的で行われていました。簡単に言えば島流しです。
そもそも徴農制を唱える人は「農業くらい誰でもできるだろ」と考えている節がありますが、農業は高度な専門知識を幅広く求める産業で、誰でもすぐ出来る仕事ではありません。農福連携では難しい所を農家が管理して働きやすくしているのですが。
徴農制の問題点は、漫画「百姓貴族」の第3巻で簡潔にまとめられています。「知識も興味もない若者に農作業を一から教えねばならず、形になったと思ったら都会へ帰ってしまう。それを毎年大量に繰り返さねばならず、農家にとっては迷惑」「特に酪農はダメ。素人の搾乳は牛の健康に悪いし、不特定多数の出入りは防疫の面で非常に危険」指導のタイムラグや強制による士気低下で損失に繋がる点も見過ごせません。
ちなみに、Wikipediaでは「オウム真理教が信徒を農村で働かせ搾取していた挙句、数的有利で過疎地の政権を乗っ取ろうとしたことがある」とまで書かれています。
障害者は農業へ!とならないか
かといって徴農制と農福連携が完全に分離された別物という訳ではありません。徴農制が持つ「排除の論理」を農福連携が受け継いでしまう恐れもなくはないのです。その分岐点の象徴となっているのが「貸農園ビジネス」です。
貸農園ビジネスとは、何人かの障害者に管理させている農園を企業に貸すことで障害者雇用に寄与するというビジネスです。知的・精神障害者でも管理できるよう、農業に詳しいシニアのリーダーを置いたり土を使わない養液栽培を採用したり気を遣っています。
今のところは依然未達成の多い障害者雇用率の達成に一役買っており、障害者の収入も(最低賃金ながら)保証出来ています。自治体や企業からも高い評価を受け、誘致を受けたケースも多いです。しかし、その期待は必ずしも障害者の自立や社会進出に向けられた前向きな期待ではありません。
貸農園の問題点は、雇っている企業の仕事に全く関与しないことです。企業の業種が何であっても、雇用されたことになっている障害者にとっては関係ありません。貸農園を“渡りに船”と感じるのは「障害者を雇うのは嫌だが、雇用率未達成で晒し者にされるのも嫌だ」という企業ではないでしょうか。なお、貸農園で収穫された作物は市場へ出さず企業に与えられるため、やろうと思えば隠れて廃棄することも出来ます。
貸農園ビジネスは見方を変えれば「障害者を農業へ追いやり他の仕事の“邪魔をさせない”」ためのシステムとも解釈できます。これは農福連携が障害者を排除する方便として利用される危険性を示唆しています。それとも貸農園ビジネスが農福連携の急先鋒として幅を利かせるのでしょうか。
いずれにせよ本人の考えや適性を無視した仕事の割り振りが長続きする筈はありません。農福連携が単なる厄介払いで終わるかどうかはこれからといった所です。
徴〇制を夢見る人たち
徴農制に似た思想として「国民を一定期間接客業に従事させよう!」という「徴接客制」が10年以上も細く長く言われ続けています。「接客業を経験すれば自分が客になったとき気遣いが出来る!クレーマーが減る!」というのが根拠だそうで、接客業経験者の多くから支持を得ています。
当然、反対意見も多く「『自分がやったから』とクレームの切り口が変わるだけ」「体育会系のような新人いびりが大量発生する」「バイトテロの温床になる」「教える側の負担も考えろ」と様々です。中には「発達障害とか根本的に接客業向いてないけどどうするの?」という意見もあります。
「徴接客制」を唱える者も「『接客に文句あるならお前がやってみろ』が本音だよ」とバラす有様で、要は「礼儀知らずを叩き直す!」という懲罰思想に過ぎません。しかし、こうしたニーズを叶えていた機関がかつて存在しました。その機関は「戸塚ヨットスクール」という名前です。
参考サイト
農福連携はここまで進んだ!成功事例と課題からみる未来
https://agri.mynavi.jp
農業と福祉の連合「農福連携」が注目される理由とは?
https://smartagri-jp.com