小山田圭吾氏「障害者いじめ」の醜聞、“今回は”大炎上のワケ
暮らし2021年東京オリンピック・パラリンピックの開会式楽曲を作る予定であった、ミュージシャンの小山田圭吾氏が「大炎上」の末辞退することになりました。小中高にかけて、障害を持つ同級生を執拗に暴行していたことが明るみとなり「こんな奴をパラリンピックに関わらせるのか!」と紛糾したのです。
本来、他人の過去の発言を蒸し返して批判の材料にするのは卑怯な行いです。これは1年以上前のコラムでも述べました。「EXIT」のりんたろー。さんも「過去の一点をクローズアップして石を投げるのはどうなのか」と苦言をていしています。
ただ、過去の過ちを水に流すにも限度というものがあります。内容は各自で調べてもらうとして詳しくは書きませんが、これは失言ツイートとは次元の違う仕打ちです。だからといって「どうせ許されないなら償う意味がない」が通るはずもないのですけれども。そもそも今炎上するまで反省らしいことは何もなかったようですし。
前々から知られていたが燃えなかった
小山田氏の行いが取り沙汰されたのは今回が初めてではありません。かなり前から不定期にネット上では取り上げられており、その都度批判や炎上が為されていました。私も小山田氏について知ったのは10年ほど前で「以前はボヤにすらならなかったのに、今回ばかりは本気で燃え上がっているな」という印象です。なにせ、海外のメディアにまで拾われるのは初めてのことですから。
暴行のソースは「ロッキング・オン・ジャパン」の1994年1月号と「クイック・ジャパン」の1995年8月号、特に後者は「いじめ加害者と被害者のその後に興味がある」というライターの個人的興味もあってか、詳細なインタビューで小山田氏も饒舌に当時を語っています。これらの内容は国会図書館まで行って探さずとも、個人ブログに大部分が転載されているので、すぐ知ることができます。
自分は読んでいて、過去の過ちを粛々と語るというよりは「クラスメイトとのいい思い出」という調子で語っている印象を受けました。ミュージシャンよりもそちらのイメージで小山田氏を捉えている人も雑誌掲載時からいたことでしょう。
2005年の段階でコーネリアスのファン向け掲示板が炎上のため閉鎖される出来事がありました。以後も、2012年にNAVERまとめ、2017年に子育て情報サイト「ママスタ」と、取り上げられては炎上する流れが何度か起こっています。しかし今回ほど大きな騒ぎになることはなく、自然に鎮火していきました。
小山田氏の辞任に際して、いとこの田辺晋太郎氏が世間を「正義中毒」と揶揄した恨み言をツイートし自ら延焼されています。しかし過去の炎上ではそういう「正義中毒」すら食指を動かさず大きくなりませんでした。少し畑は違いますが「バイトテロ」に詳しい専門家は「炎上を拡散するのは、正義感の強い人だ」と述べています。
ネットと言うアングラな空間では「障害者相手なら仕方ない」と正義感が引っ込んでいたのではないかという、少し嫌な想像もしてしまいます。それとも、見過ごされてきたのは今回の大炎上へ繋がる「貯金」だったとでもいうのでしょうか。無関係人物まで飛び火するほどの「正義中毒」もまた褒められたものではないですが。
なぜ今本気で燃えたのか
ところが、打って変わって今回は小山田氏が謝罪文を公表するほどの炎上ぶりです。テレビ番組でも取り沙汰されるようになり、普段ネットに触れない層まで知れ渡りました。罪のない人や企業までとばっちりを食らう規模の炎上は、小山田氏関連で言えば間違いなく初めてです。もちろん無関係人物への攻撃は本件と別に糾弾されるべきですが。
こうまでなったのは、やはり東京パラリンピックと関わるにあたって、「過去に障害者へ執拗に激しい暴力を加えていたこと」がはなはだ不適と見做されたからでしょう。知的障害者の支援団体である「全国手をつなぐ育成会連合会」は「あんな過去が出回っている小山田氏を、パラリンピックの楽曲提供に相応しいと何故思ったのか。これを知ってなお留任させ続ける組織委にも重い責任がある」と批判しています。
タレントのカズレーザーさんは「小山田氏について反省や償いとしての活動をしている記録は見つからなかった」「小山田氏には過去のマイナスを埋め合わせる行動がなかったので、再チャレンジ云々よりも批判されて当然の自業自得。過去を叩かれている訳ではない」「丸川大臣なども小山田氏にこだわる理由を説明すれば済むだけのこと」とテレビ番組で私見を述べています。償いとして納得されうる活動を続けていれば、組織委にとっても庇う理由が出来ていたかもしれません。
謝罪文には「様々な理由から、私の参加にご不快になられる方がいらっしゃることを考慮し、依頼を辞退すべきだったのかもしれません」とあり、自分の醜聞とパラリンピックの化学反応を分かり切っていたのではないかと言われています。謝罪文を書く上での出任せだった可能性も否定できませんが。
結局、小山田氏は辞任することとなりました。同謝罪文で「被害者に対し、どうにか連絡して叶うならば直接謝罪したい」とも述べていますが、もはや許されるか否かの問題ではなく、一生外せない重い枷とどう付き合っていくか考えるべきではないかと思います。謝意を示すにはあまりに時間が経ちすぎていますし、彼らの失われた青春は戻って来ません。それを踏まえてなお贖罪の方法を自分なりに模索し実践し続けるしかないのでしょう。
多士済々か人材不足か
組織委の人選ミスは小山田氏だけに留まらないようです。文化プログラムの担当である絵本作家の「のぶみ」氏もまた、五輪・パラと関わるにあたって不適であるとの指摘があります。
のぶみ氏の作風は子どもより母親の承認欲求に訴えることへ重きを置いている嫌いがあり、子どもの発達状況や児童心理は二の次どころか考慮すらしていません。出世作「ママがおばけになっちゃった!」も、対象とされる3歳児には別離不安を煽るほど刺激が強く、夜泣きが何日も続いた家庭さえあります。
医師が即座に口を挟むほどのデマや「子どもは事前に親を選んで生まれてくる」などといったスピリチュアルな発言も過去に問題視されています。特に「難病(障害)の子は神様と示し合わせて、病気で生まれても耐えられる母親を選ぶ」という発言は、障害者に対する無理矢理な自己責任論の極致と言えるでしょう。
よくもここまで危険な人材ばかり集まったものです。ある意味で「多士済々(たしせいせい)」と言えますが、安定感のある人へオファーが出来ない「人材不足」なのかもしれません。
組織委には登用される人の「身体検査」をすべき「総務局人事部」がありますが、一説によればイベントを進める部署よりも発言権が弱く小山田氏やのぶみ氏の起用に口出しできなかったのではないかと言われています。「多様性と調和」に矛盾しないか目を光らせるポストをトップ(武藤事務総長)の右腕として設置し、強い発言権を保障しておけば、もう少し波風の立たない人選が出来たのではないでしょうか。
参考サイト
障害者いじめ自慢した小山田圭吾が謝罪。長年批判されてきたことをスルーし続けた結果の東京五輪大炎上
https://news.yahoo.co.jp
“いじめ自慢”小山田圭吾まだ抱える「爆弾」政界からは自らケジメ求める声
https://news.yahoo.co.jp
カズレーザーが小山田圭吾のいじめ問題で指摘「これは過去が叩かれてるわけじゃないです」
https://www.tokyo-sports.co.jp
小山田氏のインタビュー内容の大半を書き写した個人ブログ記事
https://koritsumuen.hatenablog.com
小山田圭吾炎上に学ぶ、企業担当者が「ブラック著名人」とのコラボを避ける方法
https://news.yahoo.co.jp