うつ病の再発と2度の退職~ASDが原因だったかも
発達障害 うつ病出典:Photo by Zac Durant on Unsplash
30代のときに仕事ではじめてうつ病になり、退職し11年間通院しました。主治医から寛解といわれ、3年後職業訓練校へ通い再就職しました。しかし、再就職先で再度うつ病となり、退職をせざるをえませんでした。
その後、大阪府地域若者サポートセンターを通じて初めて就労移行支援事業所に出会い、通所することで現在まで回復し、就職を目指して研修を受けています。
今回は現在までの経緯を時系列順にまとめて、自分の心境やうつ病への向き合い方について書いてみました。
はじめてのうつ病と退職
20代後半に、専門職を目指して資格をとり、希望する会社に就職できました。私と経営者を含め全部で5人の会社でした。私は就職できたのがうれしくて、1日も早く仕事を覚えようと、必死に業務をこなしていたのです。
2年目には、まかされる仕事も増え、失敗の許されない業務に緊張する日々が続きました。
3年目、体調不良を感じる日が増えました。はじめは背中が痛くなり、車での移動がつらくなりました。食欲もなくなり、食べる量がへり、特に昼食が入らなくなったのです。退職直前は、体のあちこちが痛く、常に疲れていて、体重がへり昼食はミルクティー1杯だけというありさまでした。
そんなある日、ついに会社に行くことができなくなり、はじめて神経科を受診しました。お医者さんに「会社に行けなくて……」といったあと、泣き出してしまったのです。 「抑うつ状態」という診断書を会社に提出し、長期療養が必要ですと報告したところ、会社からは「ウチは少人数だから長く休みを取らせるのは難しい」といわれ、翌月に退職しました。
寛解といわれても……
実家暮らしでしたので、退職後は通院しつつ自宅療養。主治医からは、再就職のことはまだ考えないほうがいいといわれました。はじめのころは罪悪感が強く、世間の人は毎日仕事をしているのに、自分は寝ているだけと責めていました。体力がなく、三度の食事のたび疲れて寝込む日々を繰り返していたのです。
日中起きていられるようになってからは、読書や手芸など、自分のやりたいことをして少しずつ体力を回復させていきました。
自宅療養から6年ほどのち、以前の仕事仲間からパソコン入力の作業を頼まれました。リモートでできたため、それをきっかけに繁忙期に簡単な作業をやらせてもらいました。ただ体調は安定せず、作業のあと疲れて寝込むこともよくあったのです。
作業の報酬は自分の評価の証としてうれしく、体力回復のはげみにもなりました。リモートの作業開始から数年後、体調と心が回復したため主治医の指導で薬の量を徐々にへらしていき、ゼロにできました。
その5か月後、主治医から「寛解です。通院は終わりです」といわれました。これで再就職できると思う一方、仕事を辞めてから11年、再就職できるのか、フルタイム勤務できるのかスキル面と体力面での不安が押し寄せてきたのです。就職するにはどうしたらいいのか何もわからず、怖くて2年ほど何もできませんでした。
病人でいたかった
うつ病の人の再就職をインターネットでさがすと、就労支援サービスというものを見つけました。ただ「うつ病で通院中の方や障害者手帳をお持ちの方」が利用対象者となっていて、当時、私は通院しておらずまた手帳も持っていなかったのでそのサービスは利用できませんでした。
利用できないことがわかり、私はとてもがっかりしました。しかたなくハローワークへ行き就職相談を申し込んだのですが、そこで職業訓練校の案内をみつけたのです。
ハローワークでの就職相談の結果、職業訓練校へ通うことに決めました。期間6か月、月曜から金曜、時間は9:30~16:10まで、訓練内容は事務職向けのパソコンスキルと日商簿記、ビジネスマナー。目的はフルタイム勤務に向けた生活リズムの確立、パソコンスキルと体力をつけることです。他の訓練生と励ましあって勉強するのは楽しかったです。ただ、私の心の中には就職という言葉があり、常に不安と緊張を感じていました。
就職活動を訓練期間中から始めて、事務職を希望し5社ほど応募して、そのうち書類通過は2社。面接の結果1社に合格して、無事就職できました。
無事、就職はできたけど……
そこは、経営者夫妻を含めて5人の事務所でした。土日週休2日制、勤務時間は9:00~18:00。仕事の手順にマニュアルはなく、先輩方から口頭で教わったことをノートに書きとめて覚えました。事務所の皆さんはゴルフ、特定のアイドル、海外旅行という3つの共通した趣味をお持ちで、仕事とプライベートの境があいまいでした。私は読書が好きなインドア派で、アイドルにも海外旅行にも興味がないため、皆さんの楽しそうな話の輪に入ることがむずかしく、しだいにひとり無口になっていったのです。
やがて、頑張るうちに体調に異変が現れました。まず体重が減少し、ひんぱんに風邪を引き、毎週末疲れて寝込むことがつづいたのです。同時に私の心の中では、自分は何もできないという無力感と、仕事が遅く事務所に迷惑をかけてばかりという罪悪感でいっぱいでした。
精神科を受診したあと、事務所にうつ病と報告し、体調を理由に短時間勤務を申し出たところ、翌月からパート勤務に変更となりました。それでも疲労と注意力散漫により業務でミスが重なり、これ以上勤務を続けるのは難しいと感じたため、退職することになりました。
思いもよらない指摘をうける
再び自宅療養をはじめて3か月後、広報誌にのっていた大阪府地域若者サポートセンターへ相談したところ「就労移行支援事業所」を紹介されました。体験通所の後「認知行動療法」に興味を持ち、現在通所中の就労移行支援事業所に決めたのです。今通っている就労移行支援事業所では認知行動療法のほか、コミュニケーション研修、ビジネスマナーなど実際の職場を想定した研修を受けています。また、私自身まったく気づいていなかったのですが「発達障害の特性があるかもしれない」という担当職員さんからの指摘をきっかけに、主治医の簡易検査を受けたところ、自閉症スペクトラムの傾向があることがわかりました。これまで職場のコミュニケーションがうまくいかなかった原因のひとつがこの特性にあることがはじめてわかったのです。
今は就労移行支援事業所の研修を通じて、うつ病になりやすい考え方の傾向とその修正の仕方、報連相のタイミング、時間管理など職場で必要なスキルを練習しています。また、これまではクローズやオープンという働き方をまったく知らず、うつ病を就労先に伝えずに働いていましたが、今後は障害をオープンにして自分を大切に長く働ける職場への就職を目指して準備を進めています。
自閉症スペクトラム障害(ASD) うつ病