自分らしく働くために~発達障害グレーゾーンの私の職歴 前編

仕事 発達障害

出典:Photo by John Gibbons on Unsplash

私は、ASD(自閉症スペクトラム)とADHD(注意欠陥多動性障害)の傾向ありと診断され「発達障害グレーゾーン」としての生きづらさを抱えながら、就労移行支援事業所に通い再就労を目指しています。

今回は私の職歴を発達障害診断前と診断後の2回分けて振り返り、よかった経験と困った経験から、自分に合う職種とはどのようなものなのかを考えていきたいと思います。

ホームセンター

私は、障害診断前に2社、診断後には単発のアルバイトで数々の現場で働いてきました。

高校卒業後、最初に就職したのはホームセンターです。私は幼少期から猫を飼っていて、ペット用品コーナーの担当になりました。(生体販売は別のテナントが入っていました)

接客をはじめ、商品の発注や陳列など、業務の種類が多い職場でした。

この職場のよかった点は、同じコーナーの担当者が、私と上司の2人きりだったことです。とても気の合う上司のもとでのびのびと働くことができました。

もともと好きな分野だったので、接客のさいも実体験をもとに商品を勧めたり、知識を増やしていくことにやりがいを感じていました。

苦手だったのは、特売品を1から棚に並べていく作業です。「どれくらいで終わりそう?」と聞かれても、実際にやってみないとわからず、商品のサイズがさまざまなので、棚に並べきるのがむずかしく時間を要しました。「自分は要領が悪いから迷惑をかけているのだろうな」と思っていたのです。

また、特売日の前日は大量の値札を貼り替える作業があり、ほとんどの社員は協力してくれたのですが「お前が遅いせいだ」と嫌な顔をされたこともありました。

さらに、人手不足のためレジをまかされることも多く、忙しいと時折「自分が今どのボタンを押して何をしたのか」がわからなくなりパニックになることもありました。

やがて、働き始めて半年ほど経ったとき、日用品コーナーへ担当が変わりました。

私はそれまで自分だけが周りの社員より作業も遅く出来が悪いと劣等感をいだいていました。

しかし上司からは、ほかの社員がほうっておくような仕事を、とりこぼさず丁寧にこなすことができると評価してもらえました。

私の能力を見込んでの配置転換だったので期待に応えたかったのですが、実家に甘えて暮らしてきたためか日用品に関する知識が浅く、ペット用品と同じように打ち込むことができませんでした。

自分は、興味がある分野でやりがいや、楽しみを見出せないと続けられないのだとわかり、数か月で元のペットコーナーに戻してもらったのです。

最終的には重たい商品を運ぶ作業で腰をいためてしまい、1年9か月で退職しました。

ビジネススクール

1社目の有給休暇を消化したあと、私はパソコンの資格を取得するために、4か月間ビジネススクールに通いました。

もともとパソコンを扱うのが得意だったので、履歴書に書ける名前のある資格があった方がいいと考えたのです。

私は高校生活後半の1年と少しの間だけ、通信制に在籍していたのですが、そこで仲良くさせてもらっていた先生が転職されて、ビジネススクールの講師を務めていたのです。そのこともあり、非常に過ごしやすい環境でした。

ひとつ困ったことといえば、自分が得意だからと、つい困っている生徒さんを助けてしまって、ひととの距離のつめ方が不器用だったせいか、スクールの外でもつきまとわれるようになってしまったことです。

この出来事は今後も自分の教訓にしていきたいと思っています。

郵便局の事務

ビジネススクールを卒業し、無事MOS資格(Microsoft Office Specialist)を取得した私は、地元に新しく開設された郵便局に就職しました。

高校生の時に短期アルバイトで年賀状の仕分けの仕事をしたことがあり、黙々とやる作業が自分にとても合っていると感じていたため応募しました。しかし、パソコンの資格を取得していたことで、配属されたのは事務業務でした。

開設準備からたずさわり、当初はテプラやラミネートなどの単純作業が多く、楽しめていました。

開設後は、職員の勤怠管理が主な仕事だったのですが、当初はシステムが整っておらず全ての作業が手書きで、長時間残業することもありました。

しかし数か月がたちシステムが整うと、それまで私が担当していた作業が一切不要になり、仕事がなくなってしまったのです。

さらに、事務という限られた人数の狭い環境の中で、1人どうしても苦手なタイプの人がいました。甲高い声でガミガミと指示を出す、いわゆるおつぼね的女性でした。

最初はおとなしくいい子を演じていたのですが、だんだん我慢が効かなくなり自分を出すうちに、あの子は生意気だと距離を置かれ、業務をまかされることがなくなりました。

そのような居づらさから精神が不安定になり、ある日、体に激しい痛みを感じ起き上がることも難しくなってしまいました。

過去に高校で調子を崩した経験から、これは休息が必要だと判断し、クリニックを受診しました。

そこで、抑うつ状態であるという診断と共に、発達障害の傾向があることが発覚したのです。

以上ここまで、発達障害が発覚する前の私の職歴を振り返ってきました。

次回は、診断後クローズ就労で働いていたさまざまな現場での体験についてお話したいと思います。

同じような生きづらさを抱える方に、職種選択の参考にしていただければと思います。

▶次の記事:自分らしく働くために~発達障害グレーゾーンの私の職歴 後編

えーる

えーる

ASDとADHDの発達障害グレーゾーン。
猫とSnow Manが大好きです。
当事者として支え合える人になりたいです。

注意欠陥多動性障害(ADHD) 自閉症スペクトラム障害(ASD)

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