「一人で死ね」が加速する今、2年半前の川崎通り魔事件で語った先人に学ぼう

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Photo by Tobi Law on Unsplash

12月17日、大阪市北区のビル4階にある心療内科クリニックが放火され24人が死亡する痛ましい事件が起きました。10月31日には「京王線ジョーカー」、さらに2か月前には「小田急切りつけ未遂」と逃げ場のない通り魔事件が短いスパンで起きています。

「死にたいなら一人で死ね、他人を巻き込むな!」は通り魔事件におけるお馴染みのコメントとなりました。2年半ほど前の川崎通り魔事件のころは反論もありましたが、こうも短スパンで連発されると「一人で死ね」に逃げるのが常識のようになってしまいそうです。

「一人で死んでろ」と吐き捨てたい気持ちは分からなくもないですが、そう吠えれば通り魔予備軍が矛を収めてくれるなどというのは実に虫のいい妄想と断じざるをえません。逆に世論を通じて通り魔を煽るほどの悪手ですらあります。

当然、多くの精神障害者が犠牲に

火災のあったクリニックでは心療内科の診察だけでなく、社会復帰を目指す人のためにリワークプログラムも用意されていました。院長は発達障害の診察に長けていたとされ、発達障害者も多く来院していたのではないかと思われます。

犯人もまたこのクリニックに通う患者の一人でした。また、当然ながら犠牲者にはクリニックに通う多くの患者も含まれておりました。ネット世論の性質を鑑みれば、容疑者の犯行を支持したり、正当化するアカウントの1つや2つは簡単に見つかるかと思っていました。

ところが、そのようなアカウントは見つからず、犠牲者を悼み犯人を憎むコメントに覆いつくされていました。谷本容疑者は「差別主義者らの英雄」という意味では植松聖死刑囚と同じように認める者は現れませんでした。もし容疑者が植松死刑囚と同じような発信していたら、英雄視する者が少しは現れたでしょうか。

とはいえ犠牲者の過去や人となりといった報道は専ら院長に集中しており、この点では相模原の事件後報道と似通っています。精神障害者や発達障害者にも「語るべきものは(どうせそんなに)ない」ということなのでしょうか。

「一人で死ね」では逃げられない

だいぶ前に別のコラムでも書いたことですが、「一人で死ね」といくら吠えたところで矛を収めてもらうことも地続きの世界から切り離すことも叶う筈がありません。川崎通り魔事件の折に、デイリー新潮のコラムで音楽ライターの磯部涼さんが以下のように述べていました。

ポピュリストたちが犯人に投げつけた「一人で死ね」なる言葉は、遺族の怒りを代弁しているつもりだったのだろう。しかしそこには、7040/8050問題を始めとする社会的背景から犯人を引き剥がし、個人に問題を抱え込ませ、彼をもともといた深く暗い穴の底にもう一度突き落とすかのような――事件を社会的なものとして受け止めてなるものかというような強い意思が感じられた。

「テロリズム」は社会に対して鳴らされた警鐘という側面もあります。それにも関わらず「一人で死ね」で済まそうとするのは、事件を自分のこととして考える煩わしさから逃げているだけに過ぎません。なんでも「甘え」「自己責任」「努力不足」としか答えないのと同じで、口を挟むぐらいなら黙っていてもらった方がマシなレベルです。

とはいえ、社会がどうするべきかなど漠然とした質問は答えに窮してしまいます。それでも賢い人は社会の一構成員として出来ることを考え抜きました。そのひとつが「自殺対策」です。自殺を防ぐことがすなわち「拡大自殺」としてのテロリズムを防ぐことに繋がるという考え方です。

自殺対策に携わる先人の教え

多くの凶悪犯と面会や文通を重ねてきたという、「こころぎふ臨床心理センター」のセンター長である長谷川博一さんは、川崎通り魔事件についてこう言及しました。

(一人で死ねと)言っている人たちは、他者を巻き込んだという部分だけを見ていて、事件全体を俯瞰的に見ていないのだと思う。自殺を考える人をどのように減らしていくかを考えるのが事件の本質。本質を見て欲しい。社会全体が考えていくべき問題と思います

また、実際に自殺対策へ取り組んでいる「ライフリンク」の代表である清水康之さんは、「社会全体として、そもそも『人間が命の瀬戸際に追い込まれることのない社会(環境)』を作る方向で対策を進めていかなければならない。(中略)『ひとりで勝手に死んでくれ』と言ったところでなんの実効性もない。むしろ、生き死にのはざまに立たされている人を自殺へと追い込みかねない」「『誰も不条理な死を強いられることのない社会』作りを行っていくという理念で対策を進めていかないと、いつまで経っても同じような事件が起き続けるのではないか」と語っています。

2年半前にこうした先人の教えがあったのですが、とても活かされているような社会情勢ではないようです。「拡大自殺」の概念も全然浸透していないようですし、煩わしい考察から逃れる詭弁だけが進化していったのではないでしょうか。

「拡大自殺」について簡単に説明すると、深い絶望感がもたらす自殺願望と復讐願望から誰かを道連れに無理心中を図る行為です。自殺そのものを防げば拡大自殺のしようがないというのが、自殺防止をテロ防止に繋げる論理となる訳ですね。

加えて、誰でもほんのちょっとしたことで簡単に働けなくなる不安定さも多くの人が自覚すべきだと思います。自分は転落しないという無根拠な自信や、異なる立場への想像力の欠如が未だに蔓延しており、その証左として「自己責任論」が今も大手を振ってメインストリームに君臨している訳ですから。

「予言」は的中しつつある

ところで、川崎通り魔事件を受けて先人が行った考察の中に「不吉な予言」ともとれるものが混ざっていました。しかも、その予言は現在進行形で的中しつつあります。作家の橘玲(あきら)さんが「巨大な貧困予備軍」の存在を指摘していました。

犯人たちの共通点は、「無職」「非モテ」であることだ。これを暴論と思うかもしれないが、すくなくとも男の子の親なら(ある程度は)同意するのではないだろうか。農水省元事務次官は、この不安によって長男を刺殺したのだから。

現代男性は低所得と非モテが極めてリンクしやすく、こと自由恋愛市場においては「オールオアナッシング」で結果が露骨に表れます。引きこもりの75%は男性ですし孤独死も同様、自殺率も男性が女性の2倍と、性差が如実に出ています。

社会からも性愛からも排除され、全人格を否定されたまま中年を迎えた男性はいたる所で息づいているのです。そして、自殺率という母数が高いということは拡大自殺というテロリズムも相応に多くなります。自由恋愛市場や就職氷河期や自己責任論が大量に生んだ「無職でモテない中年男性」から、ふとしたことで極端な行動をとる者が何人か出てきてもおかしくないでしょう。小田急切りつけなどからも分かる通り、これは既に的中しつつある「予言」です。

北新地放火の犯人は離婚を機に天涯孤独となったため厳密には当てはまらないかもしれませんが、それでも孤独と孤立を深め孤高になれなかった点では共通しています。いつまでも「一人で死ね」に逃げているようでは「予言」は次々と的中していくことでしょう。かつて「非モテやオタクの男は波風立たせず一人でひっそり滅びてほしい」などと著書で述べていた大学教授がいましたが、到底叶うことのない願望です。

参考サイト

大阪ビル放火、容疑者61歳男性の素性 出火30分前には自宅でボヤ
https://www.iza.ne.jp

「1人で死ね」ではなく~川崎19人殺傷事件で当事者でない1人として言えることできること
https://news.yahoo.co.jp

乱射、放火……世界の「凶悪事件」の犯人は、なぜ「男性」ばかりなのか
https://gendai.ismedia.jp

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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