障害者アートに「では芸術と縁のない障害者は?」と問うのは意地悪か

Photo by Gabriella Clare Marino on Unsplash

タレントのセイン・カミュさんをご存知でしょうか。昔TBSで放送されていた「さんまのスーパーからくりTV」にて、道行く人に様々なテーマを英語で説明してもらうコーナーを持っていた方です。そして、「あの人は今」的な番組でそろそろ取り上げられてほしい人物でもあります。

セインさんは現在、一般社団法人「障がい者自立推進機構」の理事として障害者アーティストと企業を仲介する支援活動に従事されています。自閉スペクトラムと知的障害を持つ妹が中学時代に母親から絵画を教わっていたという家庭環境が活動の大きなきっかけなのだそうです。

障害者アーティストの支援体制は徐々に確立されてきており、障害者にとってアートは食い扶持の一つとして認められるかもしれません。それでは、芸術センスのない障害者は食べていけないまま放置されるのでしょうか。

障害者アートはこうして世に出る

セインさんの支援活動とは障害者アーティストと企業の仲介です。具体的にどう繋いでいるのかというと、作品を企業に活用してもらう契約を結び、対価の一部を作家へ報酬として渡すのだそうです。

広報活動の甲斐あって、大企業から名刺デザインや内装のオファーを受けるまでになりました。企業の需要と作家の作風が合わなければ契約に結びつきませんが、仕組みさえあれば障害者アートの見せ場は広がっていきます。

障害者アーティストならではの良さについて、セインさんはこう語ります。「何にも囚われず力強い自由な発想が共通しています。発想や自己表現は人間になくてはならない根源的なもので、それを気づかせてくれます」

既に障害者文化芸術活動推進法が2018年から施行されているものの、人脈もなく売り方も知らない作家側と作品価値を低く見がちな企業の間で納得いく価格での取引は困難です。「障がい者自立推進機構」のような仲介事業者の存在は欠かせません。ただ売るだけでなく二次利用しやすいように作品のデータ化をする仕事もあるそうです。

障害者はアートでしか生きられないのか

「障がい者自立推進機構」の活動は障害者が経済的に自立していくための仕組みづくりを活動の柱としています。障害者にとって最大の問題は「親なきあと」であることは疑いようもありません。収入源だけがすべて解決するわけではありませんが、経済的な安定は絶対に必要です。

ですが、創作活動が収入源として確立されたとしても芸術に縁のない障害者にとっては何のプラスにもなりません。少々意地悪な問いになりますが、芸術センスのない障害者は経済的基盤のないまま親なきあとに怯えるだけなのでしょうか。

障害者=単純作業はすでに過去のものとなりつつあり、芸術や農作業などの分野が障害者向けに開拓されつつあります。それに甘えず様々な方面への進路を開いていくことが、本当の多様性であり職業選択の自由なのではないかと思います。誰もが芸術センスを備えているわけでもないし、誰もが農作業への適性を持っているわけでもないことは自明の理でしょう。

また、障害者に限って「隠れた才能」「潜在能力」などを必死にアピールせねばならないことにも違和感があります。「特性を活かせば~」「得意分野を伸ばせば~」「隠された技能を見つければ~」などといった宣伝文句に障害者は頼らねばならないのでしょうか。

ハンデを補って余りある才能に恵まれた障害者は稀です。隠れた才能とやらをことさらにアピールしないと社会の選考ステージに立てないのはおかしいのではないでしょうか。人一倍飛び抜けた何かを持たなくても何不自由なく生きていける社会こそ、人類が目指すべき未来ではないでしょうか。

障害者アートや農福連携の理念を否定するわけではありませんが、それらに満足して「障害者の道づくりはこれで手打ち!」と投げ出されては困ります。

参考サイト

セイン・カミュさん 自閉症の妹、絵の才能が開花…障害者アート支援「隠れた才能に歩み寄って」
https://news.yahoo.co.jp

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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