自閉症スペクトラムと共存する私
発達障害出典:Photo by Jonatan Pie on Unsplash
私は幼少のころから「自閉症スペクトラム(ASD)」(診断当時は高機能自閉症)と診断されており、常に自分の特性と向かい合いながら生きてきました。今回は私が就労移行支援事業所に通所するようになるまでに、自分の身に起きた出来事について話していこうと思います。
小学生時代まで
幼少期のころに高機能自閉症と診断されたときは、1年ほど言語能力が遅れているという診断が下り、地元から一番近い場所の療育センターに通っていました。
そのかいもあり、言語能力の遅れは取り戻せたのですが、後の学習で遅れが出ることを危惧して幼稚園のころから塾に通うようになりました。
おかげで、小学生時代までは学力関連で困るようなことはほとんどなく、実技系の科目以外はおおむね好評価をもらうことができていました。ただ、最初の診断のときにコミュニケーション面や、図形の問題に関して他の子どもよりも苦手とされました。なので友達の数は少なく、図形問題に関してもかなり苦手意識を持ちながら勉強していたのです。
中学生時代
中学生になってから、自分の学力にどんどんムラが出るようになってきました。現代文や社会科系の科目はまだ大丈夫だったのですが、理数系全般と英語や古典といった普段使わない言語に関しての科目が全くわからなくなってしまったのです。
勉強方法がわからず、どんどん勉強に無気力になっていきました。特に数学については自分の特性を盾にして「どうせ無理なんだ……」と最初からできないと決めつけていました。
コミュニケーション面でも、小学生のときにできた友人が不登校になってしまい、校内での活動中の拠り所が無くなってしまいました。この当時は半分嫌々、登校していたと思います。
そんな中、中学2年の最後の方に「サポート教室」という精神面で問題を抱えた生徒が、休み時間や放課後の時間に通える教室にいくことになりました。そのころから嫌々、登校しなくなったように感じます。
高校から大学にかけて
中学生時代の私を危惧して、高校受験の最後の方から高校を卒業するまで、両親が家庭教師の方を雇ってくれました。高校合格後に別の方に変わったのですが、その先生のお子さんが障害をもっているとのことでした。
その方の尽力のおかげで、初年度からV字を描く様に学力が回復し、無事志望校にも合格することができました。コミュニケーション面でもクラスや部活でつるめる友達が何人かいたので、このときはかなり充実した生活を送れていたと思います。
大学に入ってからは、それまで入ったことの無かった運動系の部活に入り、アーチェリーをいっていました。最初の2年間は学業や趣味と両立しながら、有意義に過ごすことができましたが、3年目の6月辺りから異変が起き始めます。
就活での不安や、部活で最上級生となったプレッシャーからか、四肢が硬直して、杖なしではまともに動けなくなってしまったのです。時がたてばたつほど状況は悪化していき、4回生に進級し卒業論文の製作も加わったころには、単独で布団から起き上がれなかったり、自転車もこげなかったりと、通学すら難しい状態になっていました。
唯一の救いは、4回生に進級した時点で残っていた単位は、卒業論文の分のみとなっていたことです。私の大学は卒業論文の分の単位を通常授業に振り替えることでも卒業が可能でした。なので、秋学期に入った時に所属していたゼミを退会し、就活も止めたうえで講義に再び参加するようになると、みるみる症状が改善していき、何とかストレートでの卒業まで持っていけました。
大学卒業後
秋学期に入ったころ辺りに、卒業後に障害者枠での就職活動をしていく足がかりとするために、地元の就業生活支援センターに訪問し、大学卒業後はそこの支援を受けて就職活動を開始しました。
その中で大阪府障害者職業センターでの準備支援を受けることになり、そこで自らの障害についての自己分析をおこないました。最初は自己分析のやり方が全く分からず悩んでいたのですが、支援員の方が自己分析シートを渡してくださり、それを元に自らの自己分析を進めていきました。
準備支援が終了したのち、短期のアルバイトで配送センターでの仕分け作業をしていました。しかし、1度に何重にも物事を考えなければならず、自分には明らかに向いていないと感じたので、契約更新をせずに2か月で退職しました。
それ以降は、再び就業生活支援センターさんと就職に向けての活動をしていました。その中で採用面接にうかがった会社の人事担当者の方から就労移行支援事業所に通所してみてはどうかという助言をいただきました。
その言葉がきっかけで、今通所している就労移行支援事業所に通うようになり、自己理解をより一層深めたり、実習に参加して実力を確かめたりと、色々な物事に日々挑戦しています。
最後に
私の両親は障害に対しての理解がとても深く、恵まれた環境で育てられてきたのだとしみじみ感じています。学生時代までにも頼れるところがいくつかあり、潰れてしまうことが無かったのかなと思います。
みなさんも「逃げないとだめだ」と思ったときは勇気を出して逃げてください。私自身、大学時代に回避行動をとっていなかったら、今よりもっと悲惨な状態になっていた可能性が十分考えられます。
何より重要なのは自分自身が「いきいきと」生きることです。私もそのために日々「自分がしたいこと」「どうしたら充実した生活が送れるのか」を考えながら生活しています。
自閉症スペクトラム障害(ASD)