発達障がい〜神からの贈り物〜

「普通に産んであげられなくて悪かったね。」母の言葉から感じること。(『発達障がい~神からの贈り物~』第82回)

発達障害

画像:Photo by Bob Brewer on Unsplash

『発達障がい ~神からの贈り物~』 第82回 <毎月10日連載>

つい先日、担当しているあるショートコラムの原稿を書きながら考えることがあったのでこちらでもシェアしたいと思います。

私が発達障害の診断を受けたのが約10年前、もうその頃は生き辛さから抜け出し始めていた頃。当初は家族には黙ったままで手帳を取得しました。

暫くして、母にそれとなく伝えて見たところ、「普通に産んであげられなくて悪かったね。」と力ない声。しかし私は謝って欲しくて伝えた訳でない。もちろん特性が故に苦しんだことも自身の存在を肯定できなかった過去も否定はしないが、そんな経験さえも当時の私には宝物だったし、様々なものに興味が湧き徹底的にやり切る集中力が持てたことに、寧ろそういう特性を持てたことに感謝の気持ちを伝えたかった。

30才まで全く泳げなかった私が50才を過ぎ海のスイムレースに出場し、スキンダイビングで様々な魚たちと戯れ、この夏は更に波乗りまで始めた。好きなことをやり続けられる力こそが発達障害の最大の力だと私個人は感じている。

他にもスタジオミュージシャンやカメラマンやディレクターをプロとして経験できたり、1本だけだけど、プロの俳優に混じって演劇の舞台に立ったり、それ以外にも沢山の夢が叶ったのも間違いなく発達特性のお陰だったと今は感じる。

一方で、私の母の言葉。

これまでは私個人の母の言葉としか受け取っていなかったが、考えてみれば多くの母親たちの声を代弁した言葉なのかもしれないと考えられるようになった。

自助会に参加される当事者の家族さんたちの声を思い返してみても、多くの人が子供に障害を持たせてしまったという自責の念を感じているのだろう。そしてその気持ちは大いに私自身も頷ける内容でもある。

なので声を大にして決して言えないが、今一度振り返って欲しい。

障害者は可哀想ですか?

これは身体障害者に顕著にみられることのように感じるが、他人から可哀想という視線でみられることに抵抗感を感じる人が実に多い

障害者を可哀想にしているのは実はそういう周りの視線ではないだろうか?

少なくとも私自身は発達特性を持っていることに感謝しているし、DDACの広野代表とさかいハッタツ友の会の石橋代表と3人で話した時に同じ話題で大いに盛り上がった。多くはないが私の周りにも同様の当事者はいる。

一つ残念なのは、やはり人生をある程度達観できるほどの年齢を重ねないとなかなかそうは思えないことだろうか。

でも、今はそういう発達特性に感謝できる人たちがじわじわと増えている時期。もしかするともうひと世代もしないうちに発達障害者たちがイキイキと活躍できる時代が訪れるかもしれない。

発達特性の有無に関わらず、この世に生を授かったことに誰もが感謝できる、そんな社会がもうすぐ近くまで来ているのかもしれません。

以上は私個人が考える内容で抵抗を感じる人もいるかもしれません。私一個人の考えとしてお受け取りください。


公式ブログ https://ameblo.jp/suzie-net

Kei(ケイ)スズキ

Kei(ケイ)スズキ

★個人学習塾えるすた講師
★いずみハッタツ友の会代表、高知大学農学部卒
★過去職歴:放送ディレクター、スタジオ・ミュージシャン、カメラマン、道化師、学習塾経営、Webプログラマーなど
★10年の鬱の後に発達障害の診断を受ける。現在はピアカウンセリングサポートにも積極的に関わる。自称『人生を楽しむパイオニア』
公式ブログ https://ameblo.jp/suzie-net

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