許せないことを許さないという選択~フラッシュバックをハックする
発達障害 パニック障害・不安障害出典:Photo by Roman Kraft on Unsplash
「人を許せることは素晴らしい」と、子供のころから習ってきました。
「ごめんね」とあやまられたら「いいよ」と返事をし、過去を引きずらないのが立派な人間だといい聞かされて育ってきました。
今でもその教え自体には同意しますし、実際そうあれたならどんなによいかと、あこがれのような感情さえ抱きます。
しかし、実際の私は、いまだに許せないことがたくさんありますし、気にしても仕方がないことをいつまでも気にしてしまいます。
日常的にフラッシュバックする嫌な記憶
聞くところによると、発達障害者は過去の嫌な記憶を自分の意志によらず思い出してしまう「フラッシュバック」に悩まされる傾向がつよいそうです。
私もご多分にもれず、過去に他人から受けた心ない言葉や行為が日常的に思い出されます。
たとえば、以前勤めていた職場で私が「発達障害と診断された」と開示した際に、上司から
「発達障害だなんて便利な武器を手に入れたなぁ」
といわれたことがあります。
その記憶が、何の前触れもなく、しかも声色や表情まで脳内で再生されてしまうのです。
と、同時に、当時感じた怒りや悲しみまでもが鮮明に呼び起こされます。
またそれだけではなく、もう関わることのない人間との終わった話に、いつまでもとらわれている自分が情けなく思えてしまうのです。
いっそ許さないという選択
そんなフラッシュバックに悩まされる日々を過ごしながら、しかし、ある日ふと思いました。
「こんなに許せないならば、いっそ許さなくていいのでは?」
そもそも、ここで問題となっているものはなんでしょうか?
終わったことをいつまでも許せない自分の幼稚な心でしょうか?
もちろん、許そうと努力することは素晴らしいですが、それよりもまず解決すべきは自分の感情が乱されているという現状です。
そして、感情が乱される原因は怒りや悲しみそのものではなく、怒り、悲しむ自分を「情けない」「間違っている」と否定してしまうことにあると私は考えます。
怒りや悲しみは人間のごく自然な感情のはずです。
それを無理やりに押さえつけるよりも、そのまま受け入れた方が悩みや苦しみが減ります。
「許す」という行為が自然な感情を否定してしまうならば、いっそ許さない方が健全だとさえ私は思います。
「許す」「許さない」は等価値
とはいったものの、私としては「やられたことは決して許すな」などと日本の道徳教育に反旗を翻したいわけではありません。
大切なのは「許す」「許さない」は選択でしかなく、両者は等価値だということです。
もちろん許せないという感情から個人的な報復へと走れば法に触れる可能性が高く、肯定もしなければ推奨もしません。
しかし、内心でどう思うかは個人の問題であり、自由に選択していいと考えます。
最も苦しいことは、自分の心を自分で否定することです。
私も、あなたも、思うままに怒っていいし悲しんでもいい。
「許さないと決めたのだから、私が感じている怒りや悲しみは間違っていない」と自分を許してあげられたら、ほんのちょっぴり生きやすくなるかもしれません。
おわりに
以上、許さないという選択の話でした。
もちろんフラッシュバックがなくなる(減る)ことが最良ですが、治療には相応の時間や労力が必要ですので。
私の考える対症療法的な向き合い方を、何かのお役に立てればと提案しました。
最後にひとつだけ、自戒の念も込めてお話ししたいのですが。
「人を許さない」と「されたことを許さない」とは似ているようで別の話です。
もう二度と関わらない人間であれば特段悩む必要もないでしょう。
ただ、もしあなたに「これからも友好な関係を続けたいが、同時に許せない過去もある相手」がいたならば?
「その人自身」と「されたこと」とを分けて考えられるでしょうか?
きっとそれこそが、私たちが真に思い悩むべき問題なのかもしれません。
参考文献
【全国精神保健福祉センター長会 講義C 発達障害の理解と支援】
https://www.zmhwc.jp