包摂と侵略を履き違えたインクルーシブ/インクルージョン

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Photo by Haley Truong on Unsplash

「こども誰でも通園制度」が、施行にむけて議論されているようですが、その中で「インクルージョン」の名のもとにとんでもない事が起こるのではと懸念されています。なんでも、児童発達支援も事業対象に加え、本来の対象でない定型児や健常児を受け入れさせるのではないかと言われているようです。

同制度は親の就労状況を問わず保育所などに預けられるようにするもので、対象児童は生後6か月から2歳までとなっています。障害を持つ児童の受け入れ体制もまた整えていくつもりのようですが、検討会で配布された資料の「障害のあるこどもへの対応について」では不穏な文言がありました。

「インクルージョンの観点から、障害のあるこどもや発達の気になるこどもだけでなく、障害のないこどもも含めて受け入れることも考えられるのではないか」「インクルーシブの観点から、すでに保育所等と児童発達支援事業所の間で認めているように、人員の交流や設備の共用は認めていくべきではないか

これにSNS上では懸念の声が噴出しました。障害児支援に特化した施設への、定型児や健常児による侵略行為と捉えられたのです。考えてみれば当然ですよね。ただでさえ選択肢の豊富な健常者が、障害者に残された少ない選択肢さえ奪っていくというのは、エイブルイズム(ableism:健常者優先主義)以外の何物でもありません。

以前にも、国連の障害者権利委員会から特別支援教育(支援学校・支援学級)を廃止するよう勧告される出来事がありました。これもインクルーシブ教育を推進するための要求なのですが、インクルーシブ/インクルージョンへの取り組みの方向性がつくづく間違っていると言わざるを得ません。

インクルーシブとは「包摂」「包含」を意味する言葉で、それを実現するには社会の側に包摂の仕組みと心構えを叩きこむ必要があります。障害者を本当の意味で就労させる「障害者雇用」は、社会が人を包摂するうえでの最たる例と言っていいでしょう。

ところが現実で「インクルージョン」として進められているのは、障害や特性に合った支援を受けられる「聖域」を健常者側が侵略し、境界ごと潰してしまう「破壊活動」ばかりです。仕事っぷりをアピールするには破壊が一番手っ取り早いのでしょうが、境界を潰して「はい、まぜこぜ!」ではあまりにも乱暴すぎます。

障害者支援を取っ払い弱肉強食の健常者社会で覆い尽くすのは「包摂」などではありません。ただ荒野に放り出すだけの、無責任で野蛮で短絡的な、間違った平等意識の発露です。「社会が障害者を包含するには、障害者の境界をなくせばいい」などという下手なトンチもどきをインクルージョンとして持て囃すくらいなら、最初から何もしない方がマシです。

本当のインクルーシブ/インクルージョンとは、社会がマイノリティを包摂するために、制度や仕組みや知見や心構えなどを改善していくことです。境界を侵し「聖域」を潰すことは、弱肉強食のマジョリティ社会で圧殺する仕組みを奨励しているに過ぎません。

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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