多様性と発達特性とわたし~多様性とはなんだろう
発達障害出典:Photo by Alexander Grey on Unsplash
最近「多様性」ということばをよく耳にします。この言葉を辞書で調べてみると
いろいろな種類や傾向のものがあること。変化に富むこと。(出典:デジタル大辞泉 小学館)
などとかかれていました。
ぼんやりと、たがいの違いを認めて、豊さを保つことなのだということはわかり、だからよく耳にするのだろうなとは思ったのですが、私自身はこの言葉が広がるにつれて、なぜ今なのだろうと思うことがありました。
そこで今回はこの多様性について、自分の知っていることも交えながら考えてみたいと思いました。その中で見えてきた、多様性があるだけではなく、多様性を認めることの大切さ、そこに大きな気づきがあったので、そのこともお話しできればなと思います。
多様性が役立つ場面
みなさんは植物を育てた経験はありますか。多くの植物は挿し木という方法をすると、同じ個体(同じ植物)をいくつも生み出すことができます。つまりコピー(クローンと呼んだりもします)です。もともとの個体とまったく同じ遺伝子をもっているので、性質も同じなんです。
しかし、こうした能力を持つ植物でも、多くはメスとオスがあり、受粉(動物でいう受精)によってタネ(子ども)をつくります。子どもは、親から半々の遺伝子をもらうので、コピーとは違い、似てはいるけれど、親とは違う性質をもって生まれてきます。これによって植物の中でも多様性が生まれているんです。
ではなぜコピーをつくる方が楽そうなのに、わざわざこのようなことをしているかと思いますか。その理由の1つに、多様性が生まれることによって、一気にこの植物が滅びないようにするためという説があるんです。
みなさんにも少し考えてもらえると嬉しいのですが、もし全ての植物がまったく同じ性質をもっていたら、条件がいいときは繁栄できます。でもある時その植物にとって脅威となる病気が広がってしまった場合はどうなると思いますか。答えは、全ての植物がその病気に弱いので、瞬く間に病気が広がり、みんなやられてしまいます。
一方で、もし受粉によりいろいろな性質をもった子どもが生まれた場合、たまたまいい具合に病気にかからない子や、病気に耐えることのできる子が出てくるかもしれません。こうなると、病気にかからない子、つまりその植物が増えることができます。結果として、この植物は生き延びることができるというわけです。自然の知恵ですね。
ここで大切なのは、人間の場合は植物と大きく異なり、病気にならない人や、病気に強よい人が、病気になってしまった人達を助け、支えあうことができるという点です。これにより、私たちはいままでいくつもの困難を乗り越えてきました。
ここで少し視点を変えて、スポーツ、わたしの好きなサッカーについて考えてみたいと思います。
もし全ての選手が同じ能力、同じ身長、同じプレースタイルのチームがあったとします。その場合、この選手の弱点さえ見つければ、このチームは簡単に攻略されてしまいます。これではチームを組む意味がありませんよね。
いろいろな能力や考え方をもった選手がいて、その選手がおたがいを補いながらチームとして機能することで、チームに個性が生まれます。そしてその攻略方法も複雑になり、おたがい簡単に決着をつけることができなくなります。だからサッカーはおもしろいのだと私は思っています。
多様性を認めることが、わたしたちを強くする
すこし難しく感じることも書いたかもしれませんが、なぜ多様性が大切か、逆にいうと、なぜ多様性がなくなると大変かを考えてみました。これと同じことが、私たち人間の社会にも言えるのではないでしょうか。
もし全ての人が同じ考え、同じ行動、同じ趣味趣向をもっているコピーだったら、環境がそれに合っている間はいいですが、突然変化がおきた時に対応できず、おそらく人類はすぐに困ってしまいます。そしてその「変化」というのは、誰にも予測できないものです。
たとえば、環境や自然でいえば、地球の気温がいきなり高どまりしたり、逆に寒くなったり、そして最近でいえばコロナウィルスのような感染病の蔓延があったりといった変化です。社会でいえば、ある日政治的革命や、社会基盤を揺るがす大災害が起こって、次の日からまったく違う社会システムになるというようなことです。こうした変化の中ではいままでの価値観が根底から覆って、むしろ不利だと考えらえていた生き方や、考え方の方が有利になるかもしれません。今度はそうした生き方の人たちが周りの人を支えてくれる側になるかもしれません。
効率化や、最適化という経済でよく使われる言葉があります。裏を返せばこの効率や最適もある日突然それが「変化」の波に飲まれるかもしれません。そうなったら、必ずしも今までの最適が最適ではなくなるかもしれないですよね。
このように、多様性がない社会は「変化」に弱く脆い社会になってしまうといえます。だからこそ、一見無駄に見えることでも多様性を担保すること、つまりはひとりひとりの個性を大切にし、許容する社会づくりは大切だと考えることができるのだと思います。
わたしの発達特性と多様性
私自身、人から個性的といわれたり、時に社会のルールやマナーに苦しみ、みなと同じようにできない自分は社会に不適合だと感じて、自責をすることがあります。しかし、今回多様性について考えてみると、自分も社会の価値観を豊かにしたり、他の人が思いつかない考え方や感性で、多様性を保つのに役立っているのだなと思えて、気持ちが楽になりました。
先ほどの植物の話にもあるように、両親から半々の遺伝子をもらって生まれてくる私たちは、コピーではなくもともと多様です。環境変動や、世界中で起こる軍事衝突、貧富の格差の拡大などが懸念されている今、「変化」に対応するには、多様性を大切なものとして受け入れ、担保する世の中をつくり、支え合っていく必要があるのだということを、改めて思いました。
ここまで考えて、なぜいまこの言葉が広がりを見せているのか、私のなかですっと腹落ちしました。そして、私も私として、今の社会に合わせながらも堂々と生きていきたいと思いました。みなさんもぜひ多様に、そして自分らしく生きることを大切にしてください。
参考文献
【デジタル大辞泉 小学館】
発達障害