日テレ系列局幹部の寄付金着服問題があったので、「24時間テレビ」の簡単な歴史を振り返ろう
暮らしPhoto by Allef Vinicius on Unsplash
毎年やっているチャリティー番組の「24時間テレビ」を擁する日本テレビ。その系列局にあたる鳥取・島根のローカル局「日本海テレビ」で、元経営戦略局長が売上金など計1118万円余りを10年にわたって着服し続けていたことが明らかとなりました。そのうち264万余りが「24時間テレビ」での寄付金だったとされています。
寄付金の着服方法は至ってシンプルで、一時保管していた募金の一部を持ち出して自分の口座へ入れていました。着服した金は飲み歩きやパチスロなどで浪費されていたそうです。10年に渡る長い着服は、税務調査を恐れて自白するという形で呆気なく終わりを迎えるのでした。元局長は当然クビになりましたが、10年間も横領を続ける手癖の悪さを持ちながら、真っ当な社会復帰が出来るのでしょうかね。
24時間テレビの募金にまで手を出したという不祥事は、かねてから同番組の存在意義を疑問視していた人々のエンジンに火をつけました。「感動ポルノ」の言葉が浸透し、Eテレの「バリバラ」にいじられるようになって久しい今、「それみたことか」とばかりに不要論が噴出しています。そもそも、24時間テレビはどのように生まれて今のような変遷を辿ったのでしょうか。
1978年、「11PM」という番組の福祉企画を源流とし、24時間テレビの第1回目が放送されました。当時は障害者差別が公然と行われており、当事者と差別意識の間で抗争を重ねていた時代でもあります。その中で放送された24時間テレビは大きな反響を呼び、数百台の電話を抱えてなお回線がパンクしたり、PL学園がその年の優勝祝い金を丸ごと寄付したりと、様々な逸話が残ったそうです。募金総額もスタッフの予想を大きく上回る12億円ほどが集まりました。
元々24時間テレビは単発企画として終わる筈でした。ところが、来年もやって欲しいとの声が多く上がったことで第2回目の制作が決定し、いつしか毎年恒例の定番となりました。初期はチャリティー色の趣が強く、募金の使途も巡回お風呂カーやスクールバスやカンボジア難民救済など、ある程度ハッキリとしていました。障害者福祉における革命児だったわけです。
24時間テレビが現在のバラエティー路線に舵を切ったのは、1992年の事です。マンネリ化によって視聴率や募金額が伸び悩んだことを受けての路線変更でした。この年から「サライ」や「チャリティマラソン」が始まり、合間にアイドルが歌ったり障害者が何かに挑戦したりするスタイルも確立されて今に至ります。
最初こそ崇高な志のもとで誕生した24時間テレビですが、今はもう「この有様」です。しかも、「寄付金の着服」という超ド級の不祥事が実際にあったわけですから、「アンチが喚いてるだけ」で済ませる領域も超えています。なにせ、24時間テレビのことを肯定的に捉えて募金もしてきたという人が「裏切られた」と怒りを露わにする程ですからね。
参考サイト
【怒り】日テレ系列局幹部が「24時間テレビ」寄付金264万着服
https://news.yahoo.co.jp
24時間テレビ「募金着服」よりマズい最大の問題
https://toyokeizai.net