障害者になるという事
『ロックロード〜障害者として生きる』 vol.1 <毎月7日連載>
初めまして、ロックと申します。私は、障害者ドットコムさんでも執筆している世古口敦嗣さんからのご紹介でこの度私も執筆させて頂く事になりました。今回は、初めての投稿なので、私自身の事について書きたいと思います。
まず最初に簡単に私の自己紹介をさせて頂きます。私、ロックは、男性で現在26歳。千葉県に住んでいます。趣味は、マラソン、ゲーム、海外ドラマ鑑賞等です。今何してるかというと東京にある東京福祉専門学校の介護福祉士科に所属して介護の勉強をしています。
次に専門学校に行く前のお話を少しさせてください。私は、タイトルにもありますように、障害をもっています。自分の障害は軽度知的障害です。軽度知的障害というのは、主にIQが50~69程度にとどまり、適応能力が正常またはやや遅れがある状態を指します。自分が軽度知的障害になったのは、中学3年生の時です。
自分は、中学1年の時から全く人と喋れなくなり、いじめを中学卒業するまで受けていました。小学生時代は、割と普通にみんなと喋れて楽しく学校生活を送っていたのですが、中学に入るとなぜか人と喋れなくなってしまいました。喋れなくなった理由は今でもわかりません。いじめを受けてきて一番辛かった事は、小学校時代凄く仲が良かった友達から笑われ、暴力を振るわれるようになった時です。友達からのいじめは、他の人から受けるいじめよりはるかに辛く、心をえぐられるような感じでした。いじめはますますエスカレートしていき、8つのクラスがあったのですが、全クラスの人からほぼ毎日いじめを受けてきました。
時が経つにつれて、自分が中学3年生になった時、先生から「あなたは障害認定をうけたほうがいいかもしれない」と提案されました。この時の自分の中では、「先生は、自分を理解してくれなかった。」「自分はもう見放された。」「これからどうやって生きていけばいいんだ。」等やるせない感情や、失望を感じていました。そしてこの時障害に対する知識もほぼありませんでしたから、もう自分の人生終わった。と否定的な事ばかり考えていました。
それから児童相談所に行って、何回も相談し、IQテストを受け、病院にも行き脳波等を測り自分は軽度知的障害と認定され養育手帳も取得しました。
中学を卒業してからの自分は、千葉にある特別支援学校に入学しました。特別支援学校は、自分にとても合った環境で、人と自然に喋る様になっていきました。特別支援学校を無事卒業した後は、障害者雇用で千葉にあるホテルに約7年働きました。ですが、もっと人と関わる仕事がしたいと思い退職をして、現在通っている東京福祉専門学校に入学をして介護を勉強しています。
自分は、時折自身の人生や障害について考える事があります。中学時代は障害を持つことでまともな人生を歩めないと考えたり、なかなか障害について受け入れる事ができなかったのですが、多くの人と触れ合い、悩み、前に進んで行くうちに、障害は一生ついて消せない物。ならば武器にしてしまおうと考える様になりました。自分の武器は何かというとこれまでの自分の人生、自分の障害の事等を人に伝える事だと思っています。この武器を身につけるには、まだまだ今の自分と向き合わなきゃいけないですが、この武器をいつか身につけ、障害という物を持っていてもそれが武器になることを証明していきたいです。
これで自分の初コラムを終わらせたいと思います。このコラムを見ている全ての人に感謝です。ありがとうございました!