なるようになる、いやなるようにしかならない、だから人生は楽しい(『発達障がい~神からの贈り物~』第22回)
『発達障がい ~神からの贈り物~』 第22回 <毎月10日連載>
先週は台風と大地震が日本を直撃しましたね。被災された方には心よりお見舞い申し上げます。
私が暮らす大坂南部でも未だ(9月9日現在)停電が続いている地域があります。私の家からすぐそこ、通勤路の途中、それ以外にも復旧しない信号や倒れたままの街路樹など、爪痕を見ない日はありません。
幸いにも我が家はネット回線が2日間ほど停まっただけ(隣の家屋はかなりの被害だったが)、日頃からツーリングキャンプを楽しむ私は緊急の備えはバッチリ、だってキャンプ道具一式が防災セットそのものですから。
そして、今回の一件から見えてきた新たな私があります。それは不安というものが私の心を支配することがなかったということ。もちろん多少の不安はあるし、一時は避難も視野に入れました。しかし、私の心には「人生はなるようにしかならない、その中で選択肢を探し選ぶだけ。」という気持ちが存在し続けました。
大風で被災すれば命の危険に遭遇する、身体は安全でも家屋の修理などに多額のお金が必要になる。仮にそうなったとしても、それをいくら嘆いたところで事態は何ら変わらない。起きたことに対処していくだけ。そう思えると心はそう重くはならない。
実は私がそう思えるようになったのはあることがきっかけでした。それまでの私は自身の人生がうまくいかないことを悲観し、また同じことを繰り返さないか、そればかりを不安に思い続けていました。そんな状態では、何をするにもその後の不安ばかりが増長し、何も手が出せなくなる、そんな繰り返しでした。
今日の私が職場や自助会で多くの精神障害者や発達障害者と対面し、その多くが過去の私そのものだと感じることが毎日のようにあります。極論的に言うと、社会適合できていない人のほとんどがこのような状態だと言えるでしょう。
実際に現在の私は福祉職員として施設を任され、フリーカメラマンとして撮影業務をこなし、先日は久々に学習指導の依頼も受けましたが、私の注意欠陥は毎日のように繰り返され、常に多動多興味で、発達特性は弱まるどころか個性?にさえなっている。もはや発達特性は私の困りごとでも生き辛さではない。
もちろん私にだって困りごとはあります。思うように行かないことだって。しかしその困りごとは必ず何かを教えてくれます。ピンチはチャンス。困りごとに真正面から向き合うことで新たな可能性が見えてくる。つまり困りごとは新たな自分を見つけるビッグチャンス。「人生はなるようになる、なるようにしかならない。」つまり自身の人生を受け入れると思いもよらない新たな人生が開けだす。だから人生は楽しい。私が10年の鬱に感謝できるのはこのような私自身に出会えたから、私にとって最大級の贈り物だと感じています。
これまでの私のコラムでは発達特性や精神障害への対処法などはほとんど触れていませんが、その理由がおわかりになったでしょうか?受け入れとは決して簡単なことでなく時間もかかるもの。しかし、自分自身の人生の価値そのものを教えてくれる。
人間は困るから成長する。もっと前向きに困ってみませんか?