ダウン症の少年と生きた痕跡

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出典:https://www.pexels.com

皆様の周りにはダウン症の方はいらっしゃいますか?今回は、生まれながらにダウン症にかかったあるひとりの男の子のお話を紹介します。

ひとりごと

この話は序章としてダウン症の男の子の親友目線の物語から全てがはじまりました。その親友は病気のことを良く理解してそのうえで仲良くしていました。というより病気だからと毛嫌いしている人間はただのひとりもいなかったようです。その子は大変人望があってとても愛嬌のある人に好かれやすい子どもだったそうです。そんな誰からも好かれていた子どもがある日突然死にました。それも父子心中でした。その状況や周りの人達の反応については後ほど詳しく述べさせていただきます。ただ、これだけは言えます。どんな病気の子どもでも奪っていい命なんてこの世にはひとつもありません。

生まれながらのダウン症

さかのぼること10年前。生後、間もなく高熱を出して下がらないことに不審を抱いていろいろな病院に行った結果、ダウン症だと診断されたそうです。人間は生まれながらに持っている細胞の数が決められているそうです。この男の子の場合は他の子どもと比べると1つだけ細胞の数が多くてそれでダウン症と診断されたそうです。こうなった原因のひとつとしてあげられるのは父親が病気だったことがあげられているそうです。

幼稚園・小学生時代

生後間もなくダウン症という難病と診断された男の子ですが幼稚園の頃はとてもやんちゃな男の子だったらしいです。やがて、小学校に進学すると健常者とダウン症の差が露呈してきて「〇〇くんがしゃべっている言葉は何語なの?」と不思議がる子どももいたりしました。最初こそからかわれたり、上級生にいじめられたりもしましたが持ち前の人懐っこさや誰からも好かれる性格で一躍人気者になったらしいです。

10年の生涯

時は流れて小学4年生となり日常生活を満喫していたある日の朝、前日のマラソン大会の為疲れて寝ているので毎朝恒例のラジオ体操は母親ひとりで行くことになって家には父親と寝ている子どものふたりだけになりました。ラジオ体操が終わって母親が帰ってくると血だらけで倒れている父子の姿がありました。こうしてダウン症の男の子は父子心中で10年という短い生涯を閉じることになりました。

その後の母親

父子心中した為に父子揃っての葬式をあげることになりました。父親の方には1本も線香はあげられず、その代わりに息子の方にはたくさんの線香があげられていたそうです。その後、習字の先生をしていた父親の後をうけて母親が習字の先生をしているらしいです。さらに母親はわずか10歳で亡くなった息子のことを忘れないために息子のことを小説にしたらしいです。

最後に私自身の意見を述べさせていただきます。いくら難病とはいえ自分の息子を手にかける父親はとても許せない思いです。子どもは子どもで病気と必死に戦っているのです。それに子どもは大切なお友達に恵まれて幸せな人生を送っていたのです。その人生を奪うなんていくら親でもやっていいわけがありません。それに母親の気持ちを考えれば悔やまれると思います。あの時、無理矢理にでもたたき起こして一緒にラジオ体操に連れていっていればこんなことにはならなかったときっと思っているはずです。親ならそう思っているに違いないと私は思います。友達たちも深い悲しみにくれていたに違いないと感じるようになりました。このことを知った小学生の時はここまで思いませんでしたが、大人になった今、ようやく理解出来ました。

小四郎

小四郎

病名:てんかん
趣味:アイドル好き・歴ヲタ
好きなアイドルグループ:ハロプロ・48グループ・乃木坂46・欅坂46・けやき坂46
尊敬する歴史上人物:豊臣秀長・徳川秀忠

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