ADHDの診断〜三十路になるまで気付かなかったADHD

発達障害

unsplash-logo Amy Hirschi

ADHDに気付いたのは三十路に入ってからでした。症状を知り、思い返してみれば当てはまる事が多々あり、今後どうするかを考えることになった体験談を書いていこうと思います。ADHDとは注意欠除・多動性障害の事で読んで字のごとく注意力が欠如してしまっている傾向にありじっとしている事が苦手な症状の事です。

はじめに

私がADHDと診断されたのはごく最近の事です。小学生の頃から忘れ物が多く、じっとしていられないような性格でしたが、成績等はよかったので親も何の心配もなく育ててきたし、私自身そんな障害の心配等することなく育っていきました。しかし、社会人になってから「他の人はできているのにできない」「気を付けているつもりなのにケアレスミスがなおらない」という事に悩まされてきました。ある日、障がい者の方たちと話す機会ができて、ADHDの方とお話しているうちに「あれ?これ私にも当てはまらないか?」と深く感じたので診断を決意しました。

検査と結果

検査(WAISテスト)をうけてみるとやはりADHDと診断されました。長年苦労してきたものは病気だったのだなぁと思うと何やら悲しくなりました。検査はクイズのようなものを数種類何問かずつ答える簡単なものでしたが自分では出来はよかったつもりがADHDと診断されて「健常者ってもっとすごいのかぁ」という気持ちになりました。しかしADHDと診断されて解放感にも似た気持ちも湧きあがりました。「今までがんばってきたんだな自分」という気持ちと「これからは障がい者枠での求人を探そう」という考えがうかびました。しかし結果を親に伝えると「そんなハズは無い」「お前は健常者だ」と言われるではないですか。「親に解って貰えない」これ、けっこうキツいです。親は一般枠での就職をしろと言い自分は障がい者枠の就職をしたい。正直な所私は一般枠で働いても長く続いて2年、それも足を引っ張るばかりの人生でしたのでもう一般枠で働こうという気はあまり起きません。現在就労移行支援所に通っておりそこでの勉強の甲斐あって昔よりはケアレスミスの無くし方や忘れ物への対策もできつつありますが、責任の重要なポジションでできるかと言われると「NO」と言わざるを得ないのが現状です。その辺りの事を親は解ってくれないのです。

今後の自分

三十路になって初めて発達障害に気付いた私ですが、先ほどもチラッとお書きしましたが就労移行支援所というものに通っています。そこでADHDの特性への対処法を日々学んで少しでも健常者に近づくよう努力をしています。同じ目標で頑張る仲間もおり、励みになります。私は障がい者枠での就職を目指していますがそれは決して妥協とかではなく、自分が自分らしくあるために目指しています。健康の安定はもちろん、ケアレスミスの無くし方、忘れ物の無くし方ももちろん勉強していきます。ですが私が小さい頃からそれはずっと無くそうと努力してきた事なのです。今更0に「なるかと言われるとそれも「NO」だと思います。0に近づけようと努力はするけど、33年生きて努力し続けてきたけど、決して超えれない壁のようなものを感じています、これは昔からです。親は「努力なんかしたことない」と私を否定しますが私は努力してきたつもりです。そんな私でも受け入れてくれるような会社に就職したい。そういう気持ちで障がい者枠での就職を目指しています。

ADHDは一見健常者とかわらない人も沢山いると思います。それはかなりの努力の上に成り立っているものだと私は考えています。そうやって努力してきても私の様につまずく人が居るかもしれません。そんな時は見栄をはって健常者でいるより障がいを認めて楽になり、そこから再スタートをかけるのもいいと思います。今までの努力が消えることは無いのですから。

Nasu

Nasu

ADHDと書痙ジストニア持ちの三十路男性。非障がい枠での就職と離職を繰り返していたが限界を感じ、障がい者枠での就労を目指し、無事就職しました。体を鍛えることと遊ぶことを中心に生活している。ボイスチャット大好きで家に帰ると誰かしらと喋っている。

注意欠陥多動性障害(ADHD)

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