連載コラム 発達障がい〜神からの贈り物〜

感覚過敏の恵み(『発達障がい~神からの贈り物~』第31回)

『発達障がい ~神からの贈り物~』 第31回 <毎月10日連載>

先日、職場の後輩にアドバイスをしていた時にふと気付いたことがありました。それは以下のような会話から。

私:「福祉職員だったら利用者のほんの少しの変化を毎日一瞬一瞬で見抜いていかないと仕事が後手に回るよ。」
後輩:「…」

実はこのような会話、普段からしているんです、私は。でもこのとき、『もしかするとこんな風にできるのは自分だけかも』という思いが脳裏をよぎりました。発達障害は能力の偏差が大きいと言われるが、私自身はそんな能力を持ち合わせているとは思わない。でももしかすると他の人にはとても時間がかかることを私はすぐに分かってしまうのかもしれない。

そんな風に考えたときに、直ぐに浮かんだキーワード、それが『感覚過敏』だった。

私は幼少より感受性が強く、女性的な気質だといわれることが多かった。学生期から社会人になったあとまで、このことで悩むことは多かった。他人にとって些細なことでも、その微妙な違いが私には大きく感じられる。そしてそのことに心がとらわれてしまう。特に声に対する反応は今でも強く、幼少期に大人の会話でその人の嘘を簡単に見ぬけてしまった。そんなことから大人恐怖症になってしまった時期もある。

最近になりHSPという言葉をよく耳にするが、きっと私も診断されるに違いない、そう思い注意を向けるようになりました。

前述の会話でも、ほんの些細な利用者の変化なのかもしれないが私には大きく感じられるのだろう。それくらい過敏なのだろう。今でこそ、それが生活の支障とならなくなったが、その過敏さは相手の心の中を見抜いてしまうようなもの、私への評価、私への関心度、私を欺こうとしている心、そんなものを一瞬で感じ取ってしまう。人間不信にならないほうが稀かも知れない。

私は聴覚過敏以外に視覚過敏、アトビー体質による皮膚の感覚過敏、それ以外にもメンタル的な過敏さもかなり強いように思います。

皆さんは自身の子供に『感受性の強い人に育ってほしい』と願うかもしれないが、感受性の強さは私が感じた生き辛さと隣り合わせなもの。私はそんなものを安易には望めない。

さて、最近よく目にするHSPではありますが、やはり残念ながらネガティブなイメージが圧倒的なようです。現在の私は、上記の経験を踏まえた上で、実は感覚過敏でよかった、感覚過敏に救われた、という考えも多分に持ち合わせています。

私の職歴は実に多様なものがあるが、例えばスタジオミュージシャンになれたのは間違いなく聴覚過敏の恩恵と言えます。楽器の音からその演奏者の人間性やその時の一瞬の感情も見えてしまう。だから自分が演奏するときにはその微細な表現が可能になってくる。デザインや映像、カメラの技術などは視覚過敏の恩恵といえるでしょう。つまり感覚過敏は言い換えると感受性の強さ、感覚過敏もシチュエーションがかわると能力にさえなりえます。

そしてもうひとつ伝えたいことがある。感覚過敏は人間形成において非常に大きな意味を持つ。この場合も感覚過敏を感受性という言葉に置き換えてみれば納得いくでしょう。感受性が強ければ感情の起伏は激しくなる。些細なことで喜び些細なことで傷つく。周りからすると面倒な人間に映るかもしれない。しかし考えてみてください。心に傷を負ったことのない者に他人の痛みなど分かるでしょうか?そんな人が心から優しくなれるだろうか?痛みの分からないものに本当の強さなど持てるのか?

わたしはこれまで発達障害の生き辛さと恵みについてこのコラムを通じて述べてきましたが、感覚過敏についても同じことが言えるのと感じています。この世に絶対悪は存在しないとも言われるが、どんな困りごとも何かの恵みを与えてくれているようにさえ思います。発達障害と感覚過敏との関係がいかなるものはは分かりませんし、興味もないですが、感覚過敏が与えてくれるものはきっとあるはず。そんな視点が皆さんの中に少しでも芽生えれば、そんな風に願います。

Kei スズキ

Kei スズキ

1969年大阪府泉大津市出身 高知大学農学部卒
ディレクター、スタジオ・ミュージシャン、道化師、学習塾経営など仕事は長続きしないながらも様々な分野に挑戦、一方で離婚を経験したことから10年の欝を経験。そののち2013年に発達障害の診断を受ける。現在はさかいハッタツ友の会の自助活動を中心に、自身の経験を活かし、発達障害者の生きがいや生き方についての啓発活動を行う。

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