渡辺一史さんと植松聖死刑囚、舌戦の記録

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Photo by Sebastian Pena Lambarri on Unsplash

代表作『こんな夜更けにバナナかよ』で有名なノンフィクションライターの渡辺一史さんは、植松聖死刑囚が起こした相模原障害者施設殺傷事件についても積極的にコメントされていたように思います。ある取材での「普段自分の生産性など気にも留めないのに、なぜ障害者だけが殊更に生産性を問われねばならないのか」という回答は、個人的に福祉界の名言として遺すべきです。

そんな渡辺さんは、裁判前の植松死刑囚と実際に14回も面会していました。舌戦も一度や二度ではありません。今更何か新事実が掘り起こされる訳でもありませんが、渡辺さんが文春オンラインにて4度の連載という形で残した記録を圧縮しながら追っていきましょう。なお、原文は「週刊文春」2020年1月23日号~4月2日号にて掲載されたものとなります。

「不要な人間は消すべきだ」

植松はかねてより「意思疎通のとれない障害者は安楽死させるべきだ」「重度障害者を養うには莫大な時間と金が奪われる」と持論を展開しており、意思疎通のとれない障害者を「心失者」の造語で呼び日本の財政を蝕む巨悪と位置付けていました。

「意思疎通」について渡辺さんは植松に問いました。「言葉だけが意思疎通とは限らないでしょう」すると植松は「言葉を話せない人とも意思疎通できることはありますけど、そのぐらい犬や猫にだって出来ますし、その程度で人間とは認められない」と苛立ちを募らせながら抗弁しました。(ちなみに、公判でも似た質問を受け、矛盾を突かれていい淀む場面がありました)

「今交わしている言葉でも、本当に意思疎通できている保証はないのでは」と食い下がると、今度は「もう話は噛み合わない。この話は無しにしてほしい」と対話を断とうとします。

このように、植松には自説を少しでも突かれるとムキになる癖があり、これは篠田博之さん(週刊『創』編集長)との面会でも度々みられていました。しかし説きふせようとするわけでもなく、ぶっきらぼうに対話を終了させようとするのが常でした。あるいは怒り心頭で聞く耳を持たなくなることもありました。

「安楽死は海外ではとうに終わった議論ですよ。いつまでその話をしてるんですか」「オランダでは家族の決定で安楽死できますよ」と安楽死に対しても歓迎ムードの植松ですが、これにも渡辺さんは稚拙な誤謬を見出しています。合法の国でも安楽死は本人の意思に基づいて行われるもので、植松の思うような「不要な人間を処分するシステム」とは全く違います。しかし植松は「生産性のない者の抹殺には安楽死の法制化が効果的だ」と信じている訳です。

もうひとつ「重度障害者が国の財源を奪う」についても渡辺さんが数字を出しています。年間の障害福祉予算は国の一般会計の1%台に過ぎず、重度障害者に限れば小数点を下回るそうです。とても財政を苦しめる要因とは言えず、よしんば財政圧迫の主因だったとしても、殺すという発想自体が本末転倒です。「真の知性とは誰もが幸せになれる財政のあり方を考えることではないか」

このように反証を並べ立てても植松は「屁理屈」「揚げ足取り」「きれいごと」と意に介さず、渡辺さんとの舌戦は常に平行線のままでした。植松のいう「心失者」の基準も「会話にならない奴」にまで広がり、渡辺さんが「会話にならない自分も死ぬべきというのですか?」と聞いて「そこまでうかないが、刑務所には入れられるべき」と返してきた一幕もあったそうです。

「分かってもらえた」

時は飛んで死刑判決の2日後になります。裁判を通して自分の主張を語れたかどうか尋ねると、奇妙な答えが返ってきました。「記者の方たちが心証を良くしようとしており、皆さん分かっているなと思いました」

渡辺さん「分かってもらえたとは、『意思疎通のとれない障害者は安楽死させるべき』という主張をですか?」
植松死刑囚「同意とはいかないまでも、『(植松君の言うことは)分かるよ』と思ってくださったようで」
渡辺「自分を含めて、みんな貴方に厳しい書き方をすると思うけど」
植松「それは上からいわれているだけでしょう。辞退した2人の裁判員も、死刑にする程の罪ではないと分かっていたのでしょう」

要するに、障害者は不要だという自説に賛成する人が現れたという旨の勝利宣言です。自分に批判的な記事も上からの指示に過ぎず、記者自身は心の底では理解してくれていると思い込んでいるようなのです。「裁判には負けたが論戦では勝った」とでも言いたげです。当然、渡辺さんも「開いた口がふさがらなかった」となるでしょう。

植松の世界観について渡辺さんは「珍妙」「荒唐無稽」「正気と狂気が入り交じった」「訳の分からない」「珍問答」と様々な言葉で形容しています。それこそ、弁護側が責任能力のなさを見せつけるためにあえて長々と語らせたぐらいです。

「世の中にある断片的な(偏った)情報だけで世界を理解した気になっている」植松の世界観は、自己責任論を重んじ生産性こそ人間の価値基準とする、幼稚で稚拙で傲慢な価値観です。その自分本位な目線によって「理解はしてもらえた」という勝利宣言が紡がれたのでしょう。

孤独と無縁の筈が何故?

裁判を通じて逆に深まった疑問が渡辺さんにはありました。近年の無差別大量殺人犯との決定的な違いについてです。例えば大阪北新地のビル放火犯は妻や兄と縁を切り天涯孤独でしたし、秋葉原通り魔の犯人もたまたまロッカーに作業着がなかったのを「俺は不要か」と思い込んだのがトリガーでした。彼らは世間や社会から爪弾きにされたことへの復讐あるいは拡大自殺として凶行に走りました。

しかし植松の場合は友人や交際相手など数多くの人間が証言台に立ったことから、世間から隔絶され孤立した感じがありません。家族関係についても、先述の秋葉原通り魔や光市母子殺害事件の犯人のような問題多き家庭とは違い、植松の家庭はごく普通のものでした。近年の凶悪犯にある孤独や家庭問題といったものが植松にはないのです。

では何が植松の人格を形成したのかと言いますと、渡辺さんの考察ではイルミナティカードやネット言説にのめり込んだ影響とされています。しかも、莫大な数の知人がいながら誰一人として植松の陰の趣味を知る者はいませんでした。ただ「ネットで持ち上げられたせいではないか」と囁かれるだけでした。

「これまで何ともなかった人がネットの差別的な言説に感化されヘイトスピーチに加担する」「妄想(陰謀論)に基づき弱者へ攻撃的である点は植松と共通する」と渡辺さんはいいます。高齢者が動画サイトでヘイト言説にのめり込み、子どもが困っているという報告がありましたが、あれと似たようなものでしょうか。

やまゆり園…

被告人質問の中でやまゆり園の先輩職員に関する問答がありました。「いつも命令口調で、利用者を人として扱っていないようだった。暴力について注意したら『お前も2~3年やればわかる』と言われた。自分もしつけと称して小突くくらいはした」と植松は語りましたが、やまゆり園での様子が主題に上がることはありませんでした。

それでも判決文では、差別思想の形成はやまゆり園での体験がもとになっていると示唆する文言が入っており、少なくとも裁判長は施設側の体制を疑問視しているようでした。これに運営側は猛反発しており、「軽々しくそう考えること自体が無責任で事件の本質を見誤る」「生育家庭の中に原因があるのではないか」「(植松は)もう外にアピールせず内省し続けてほしい」と、自分たちに厳しい目線が注がれるのを拒んでいる様子でした。

しかし、津久井やまゆり園やかながわ共同会(運営母体)の体質に問題がなかったかといえば、寧ろ逆といえるでしょう。利用者への過剰な拘束や元理事の性犯罪などが明るみになっており、指定管理者から外されるまでになりました。

事件を機に退所や転所をした元利用者への追跡取材からも施設側にとって耳の痛い話ばかり飛び出しています。「やまゆり園では『突発的な行動』を理由に車椅子に拘束されていたが、転所してからはカフェで食事をしたり地域の資源回収に協力したりできるようになった」「尿臭のきつい箇所があった。けれども保護者はホーム内に入れてもらえないので実情は分からない」「毎日風呂に入れてもらっている筈なのにフケも体臭も凄い。シモの世話も不十分で、職員の目が行き届いていないと思った」

その一方で、植松に連れ回されながら「みんな喋れるから刺さないで!」と訴えた職員もいれば、犠牲者とのありし日を想い涙したと語る元職員もおり、人間扱いしない職員ばかりではないことも窺えます。個人単位では志の高い職員が数人はいたということでしょうか。

なんにせよ、やまゆり園に限らず介護施設全般が大きな問いを投げかけられており、介護業界側こそやまゆり園事件の残した問いに向き合わねばなりません。激務で疲弊した心身に陰謀論はよく染みわたります。

参考サイト

14回の面会で見えた植松聖の“正体”
https://bunshun.jp

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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