発達障がい〜神からの贈り物〜

理不尽が教えてくれること(『発達障がい~神からの贈り物~』第93回)

発達障害

画像:Photo by Anna Kovaļova on Unsplash


『発達障がい ~神からの贈り物~』 第93回 <毎月10日連載>

この夏は私にとって思いがけない理不尽なできごとが重なった。もちろん良い気がするわけがない。

誰しも幾度となく理不尽な思いを経験しているだろうが、私と同様に嫌な思いをしていることでしょう。誰にとっても理不尽なことなど受け入れられるものではありませんね。

一方でこのコラムを通して私自身が人生のあらゆることを受け入れることが幸福につながると述べてきた。その理屈を通すと『理不尽さえも受け入れると幸福になれる』となってしまう。

果たして理不尽を受け入れると本当に幸福になれるのか?更に理不尽を受け入れること自体可能なことなのか?この夏は自問自答の日々が続いた。

現在の結論を述べると、やはり感情的に受け入れることは不可能だ。しかし、そのできごとの要因を一つ一つ分析していくとこれまでとは違う景色が見えだした。

理不尽な思いとは自身に非がないことを責められることが大半だと思うが、自身に非はなくとも反省点や他の選択肢があることもある。それは自身の視野を広げてくれる。

また、物事をしっかり精査せずに決めつけたり、好き嫌いのような判断基準で物事を見るような人間の浅はかさも見えてくる。そういう人たちを許せはしなくても、そういう人格を持ち合わせていることは留意しておくべきことで、できていなければ自身の至らなさとも考えられる。

更に、人には誰しも間違いはあり、私自身も勘違いや好き嫌いで他人に理不尽な思いをさせているかもしれない。そういう意味でも自身を振り返る良い機会かもしれない。

先ほども述べたが、私自身も理不尽を受け入れられない。がしかし、憤ることは回避できるかもしれない。理不尽なできごとの奥にあるものを一つ一つ視て行けば多くが学べる。理不尽が私にとっての先生であると思えば、ほんの少しの理不尽なら受け入れられるかもしれない思いも芽生えてくる。

自身が幾ら正しい行いをしていても理解されなかったり誤解されることはある。また、正しいと思える価値観がそれぞれ違うなら理不尽と感じる感情さえ自身の正しさの押し付けとなってしまう。

きっと以上を突き詰めていけば理不尽という感情さえもなくなってしまうのだろう。そうなれば確かに幸せな毎日が送れるのでしょうね。現在の私には到底不可能なことですが。

理不尽はきっと大切な何かを教えてくれる、そう信じようと思います。



公式ブログ https://ameblo.jp/suzie-net

Kei(ケイ)スズキ

Kei(ケイ)スズキ

★個人学習塾えるすた講師
★いずみハッタツ友の会代表、高知大学農学部卒
★過去職歴:放送ディレクター、スタジオ・ミュージシャン、カメラマン、道化師、学習塾経営、Webプログラマーなど
★10年の鬱の後に発達障害の診断を受ける。現在はピアカウンセリングサポートにも積極的に関わる。自称『人生を楽しむパイオニア』
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