「発達障害が増えた」と嘆く定型発達者の方たちへ
暮らしPhoto by VizAforMemories ... on Unsplash
教員を名乗るアカウントが「最近は発達障害児が増え過ぎだ!僕らの少年時代はせいぜい0~1人だったのが、今ではクラスに4~5人はいる!環境やスマホのせいかなあ」みたいなことを発言し、これが結構注目されました。反応は様々ですが、その中でも「教職は意外と世間知らず。発達障害が先天性だと知らなかったり、知的障害と発達障害を混同したりするのは珍しくない」というのが全てだと思います。
こういう「発達障害増加論」に対して私が強く言いたいのは、「発達障害が増えたのではなく、健常者(定型発達者)の基準が厳しくなっただけ」ということです。確かに診断を受ける心理的ハードルが下がった側面もあるでしょうが、病名だけ知れ渡ったことで定型たちの“こだわり”もまた強くなっていきました。定型たちの流儀や不文律に合わない人間を診断や障害の名の下に排除しやすくなり、“温室育ち”が増えているのが現状です。
「ちょっと変わり者だけど…」で済ませて社会に組み込んでいた時代に比べて、定型発達者はとても“軟弱”になったと思います。察してくれなければASD、口答えすればADHD。我慢が出来ない、器が小さい、甲斐性がない、教養がない、悪知恵だけは回る、そんな定型発達者が増えた現状を端的に表しているのが先述した自称教員の書き込みです。
極端に言えば、実際に発達障害でもそのコミュニティで苦労しなければ「障害」にはならず手帳の交付も必要ありません。逆に、軽いグレーでもコミュニティで生きていけないほど苦労していれば「手帳なき障害」です。コミュニティ、すなわち環境を形成するのがマジョリティである以上、定型発達者たちに堪え性がなければ発達障害者は増えます。「障害になる人間」のぶんだけ障害者が増えるのは当然ですよね。
障害種の違いすら理解できない素人が訳知り顔で語る「発達障害の増加」は、軟弱になった定型発達者が「ダメ」「ムリ」「ヤダ」で拒絶してきた結果でもあります。なにせ障害とは“社会が課したもの”という意味も含まれていますからね。温室育ちで生きて来た定型さんは自身をよく見つめ直した方がいいですよ。特に「こだわりの強い察してちゃん」は下手をすれば定型発達の方が酷いですから。
発達障害