よく考えれば「キモい」「臭い」は単純に悪口では
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よく考えなくてもそうなのですが、「キモい」「臭い」は単純に悪口です。しかも、汚染土を相手の口に詰め込むレベルの攻撃である上に、砂かけ程度のつもりだったと嘯くような嫌らしさを兼ね備えています。
「臭い」とは体臭がクサいことであり、キザで気恥ずかしい文章や言い回しの「クサい」ではありません。それは置いておくとして、「臭い」が悪口として成立するのは、本当に臭いのか判別しにくい特性によるものと思われます。人はみな、自分の体臭については把握しづらいように出来ています。なので、「臭い」と言われても事実なのかそうでないのか分からない訳ですね。
逆の立場で考えれば、本当は臭くなくても「臭い」と罵ってしまえば、相手がエチケット意識にかけた社会性の低い輩だと周囲に印象付けられます。そういうガスライティング的な言い方もあるので、「臭い」はかなり強い悪口となる訳です。そして強い悪口は、使う側が品性を問われますので、事実の指摘でも言えなくなります。本当に体臭が出ていても、それを指摘すれば角が立つので言えない、ゆえに体臭の改善は遠のくという構造ですね。
本当に悪口として強くて便利で厳しいのは「キモい」のほうです。まさに、砂かけと言い張って汚染土を相手の口に押し込むような攻撃で、汚染土を食わせておきながら「砂かけ程度で倒れるなんて情けない。弱いほうに責任がある」と持っていけるガスライティング面でも優れています。
下手な例え話では伝わらないと思うので、率直に伝えましょう。暴言としてコスパが良すぎるんです。「キモい」には理論武装を要さず誰でも言い放てる手軽さと、言われる側が確実に傷つく鋭利さを併せ持っており、刺せる場面では本当に深く深く突き刺さります。トラウマを抱えているという人も中には居るのではないでしょうか。
加えて言う側には深い意味も罪悪感もないので、「軽い気持ちだった」のような陳腐な言い訳でも周りに通用してしまいます。そして、「言われる方に問題がある」「“傷付いた”なんて大袈裟だ」という空気さえ醸成され、言われる側の苦しみもなかなか理解されません。まさに“無敵の暴言”ですね。
そういえば「“キモい”は防御の言葉だ」みたいな意味不明な運動がありました。なんでも「力が弱く決定権もない女性にとって、唯一自分を守れる言葉」なのだそうです。なんというか、自分にだけ他人の尊厳を傷つける権利が認められていると思い込むような虫のいい行動はよく観測されますね。“特権”は誰でも欲しいものですが、その欲求を表に出すのは“幼い”というものです。