「自閉症男性が痴漢扱いで通報」よりも、外の反応が目に余る
発達障害 暮らし
バスの座席を巡って、ASDの男性が痴漢扱いで通報されたという報道がありました。元の記事は「ASD者の外出に配慮を」のように展開されていますが、読んだ限りではASDかどうかあまり関係ないような気もします。強いて言えば供述弱者であることくらいでしょうか。
事の顛末はこうです。バスの窓側座席に座っていたASD男性の隣に、後から中年女性が座ってきました。ところが狭かったのか「太ももが触れるので詰めて」と注文しました。自分に話しかけられていると理解しにくく、且つ景色を見るのに夢中だったASD男性に応じる様子はありません。すると中年女性は「痴漢に遭った!!!」と警察に通報しました。
結局、防犯カメラの映像から冤罪だと分かって男性はお咎めなしとなりましたが、警察の取り調べを受けたことがショックだったようです。男性はヘルプマークを携帯していたのですが、それを見られていたのかどうか定かではありません。
元記事では「ASD者はこだわりや距離感から、不審者として通報されることもある」というツカミで、様々な事例を挙げているのですが、本質はそこではないでしょう。問題の中心となるべきは、ASDがどうのこうのではなく、中年女性側の認知や悪知恵にあると考えるべきです。
おかしいのは中年女性側の世界観
このニュースの少し前、小6女児が下級生への性暴力の冤罪を着せられたという記事がありました。その女児は身に覚えのない性加害を自白させられ、名誉を取り返すため多大な苦労を強いられています。「この騒動の後、“袴田事件”を知った。数時間詰められて限界だった私には、連日連夜詰められた袴田さんが自白させられても仕方ないと思うし、袴田さんの苦しみや遣る瀬無さがよく分かった」という女児の述懐が印象的でした。
我々は子どもの頃、どこかのタイミングで“逆ギレ的に”相手を大袈裟に糾弾したことが、或いは自分が悪者にされてしまった経験があると思います。咎められたり反抗されたりした腹いせに、「身体を触られた!」「首を絞められた!」などと大袈裟に騒ぎ立てた経験です。嘘をついて味方を増やし、相手が悪いという結論を押し通して自分の責任を回避する、そんな悪知恵を子どもの頃に何らかの形で経験した筈です。受けた側は堪ったものではありません。
その時は「ウチらに逆らうからこうなるんだよ、ダボが!」と成功体験に浸れるでしょうが、濡れ衣を着せてガスライティングすることが道義的に許されるはずもありません。発育段階のどこかで「冤罪は恐ろしいこと」「冤罪を着せるのは人として許されないこと」と学習する機会が必要となります。
誰かに叱られたり咎められたりするだけが立ち直りの機会とは限りません。多くの人は「自分が善人である」という自信を根底に抱えており、「冤罪を着せる」という大きな悪事を経験していれば認知的不協和に陥ります。その時に自らの過去を悔いて反省すれば、ひとりでに成長できます。しかし逆に、認知的不協和の苦しみから逃げる一心で「アイツにも原因がある」「アイツが弱いから仕方ない」と合理化や自己正当化に励んでいればどうなるでしょう。弱い自分に負けて成長できないまま、悪知恵ばかり発達した自己中心的な“子ども大人”が完成します。
「狭いから詰めて」と言えばいいものを「脚が触れている」と完全に相手が悪いように捉え、あまつさえ意を通すために「痴漢だ!!!」と騒ぎ立てるのは、中年と呼ばれる歳になっても人として肝心な部分が成長しなかった表れです。中年女性がその後どうなったかは書かれていませんが、幼稚な世界観と悪知恵を改めないまま“野放し”にされているのでしょう。
ところで昔聞いた話なのですが、幼児期の分かりやすい嘘を親が𠮟ると、そのたびに嘘が巧妙化していき見破れなくなるそうです。いわば、子どもの嘘を鍛えてしまっている状態ですね。嘘そのものには乗って話を合わせながら、親としての意見や気持ちを上手く伝える難しい塩梅が求められるのだそうです。閑話休題。
また乱立する“被害者の会”
障害者絡みの問題を嗅ぎ付けてやってくるのは、一人一派の「被害者の会」です。彼/彼女らは思い思いの真偽不明な“被害報告”を頼みもしないのに羅列し、障害者の凶暴性と危険性を必死に訴えています。SNSやYahoo!ニュースのコメント欄でくだを巻くまでに落ちぶれながら、その境遇を障害者のせいだと本気で考えていそうな輩。その遠吠えも聞き飽きたのですが、とにかく毎回こうして「被害者の会」が訴えかけています。
今回は痴漢と騒いだのもあってか、「障害者は性犯罪者予備軍なので外を歩かせてはならない」「健常者にも障害者から身を守る権利があるので、それも“配慮”すべきだ」「障害者から痴漢を受けて泣き寝入り、トラウマでバスや電車に乗れなくなった」「ヘルプマークがあるから性加害も大目に見ろと?ふざけるな!」と訴えにも熱が籠っていましたね。基底の価値観がヘイトなら何をどう言い繕ってもヘイトの域を出ないのですが。仮にその性被害とやらが本当だったとしても、それでヘイト思想に傾倒し続けるのは、属性を盾に好き勝手するというイマジナリー障害者と何が違うのでしょう。
また、知識量や読解力を疑問視せざるを得ない内容もありました。知的障害と発達障害を混同する程度の知識でいっちょ前に口を挟む輩は序の口。記事で「例えば、こんなケースだ」「といった事例の報告が」と挙げられていた“他人の”事例を、ただ外を眺めていただけの冤罪男性がやったことと読み違えた国語赤点級のコメントもありました。わざとやっているのであれば、障害者憎さのあまり反社会性が芽生えていることを自覚した方がいいと思います。
ASD者の外出や痴漢冤罪が云々よりも、斜め読みやチェリーピッキングはおろかタイトルだけ見て拡散しているような手合いが意外と多い事に、個人的には戦慄を覚えました。騒ぎを起こすのはいつも、思考を放棄しエモーショナルに生きる刹那的な人々からです。