発達障がい〜神からの贈り物〜

column6月号 鬱から解放されるためになぜ読書が必要か?(『発達障がい~神からの贈り物~』第103回)

発達障害

画像:Photo by ZHENYU LUO on Unsplash


『発達障がい ~神からの贈り物~』 第103回 <毎月10日連載>

ここ数回は私が鬱を患っていた頃に目にした書物についてお話ししました。自室が書庫になるほどの数千冊の本に囲まれての苦しい日常は、今となっては私のかけがえのないものとなっています。その辺りのことについて今回はお話しします。

子供の頃から周りとは違うとよく言われた私ですが、その頃は本気で誉められていると信じていました。本当に幸せな子供ですね。そんな私も30代にさしかかって鬱を患ってからは自暴自棄になり「なぜ私は周りと違うのか、」とばかり自問自答していました。社会からどんどん孤立し、なんとか踏み留まろうと努力するも思うようにいかず疲弊するばかり、そんな時期に何とか自分を変えようと書店に通い答えにたどり着きそうな本を片っ端から読破していきました。

結果的には自身を変える良い本にたどり着くことはできなかったと思います。ただし、数千冊に目を通して良かったこともありました。それは自身で考える力が養われたということ。今から振り返ると当初の私は偏りのある自分本意の考え方が強かったように思えます。そんな思考だから結果的に何をやっても上手く行かなかったのでしょう。しかし、当時の私にそれを忠告する人がいてもきっと耳を傾けていなかったと思います。

10年近くのあいだ、何千冊もの本と対話することで私の視野が少しずつ開かれたように思います。そんな状態のときに出会えたのが前回前々回に紹介した著者によるものだったのでしょう。鬱当初の私がそれらの著書に出会っていてももしかするとそれほど影響されることもなかったかもしれません。

そうやって少しずつ視野が開かれ結果的に自身を無理に変える必要がないことにも気づきました。ただ一方で他人に自身の考え方を押し付けて変えようとしてもいけないことも学びました。この事が私が社会から阻害される一番の原因だったようで、その後は少しずつ社会に居場所が増えていったように思われます。

今は老眼の影響もあり、私にとってほぼ本を読む機械はほぼなくなってきましたが、どんな問題であってもしっかりそれを解きほぐす材料は過去の読書によって蓄えられ、それらを自身で解決する力を得られたように感じています。

今となっては鬱を経験できたこと、沢山苦しみ、沢山読書し、一つ一つ学べたことは私の財産です。以上の私の経験を踏まえ読書を進めている次第です。もちろんこれが一択の答えだなんて言うつもりはありません。私の経験を参考にしていただければ幸いと思います

次回に続きます。


公式ブログ https://ameblo.jp/suzie-net

Kei(ケイ)スズキ

Kei(ケイ)スズキ

★個人学習塾えるすた講師
★いずみハッタツ友の会代表、高知大学農学部卒
★過去職歴:放送ディレクター、スタジオ・ミュージシャン、カメラマン、道化師、学習塾経営、Webプログラマーなど
★10年の鬱の後に発達障害の診断を受ける。現在はピアカウンセリングサポートにも積極的に関わる。自称『人生を楽しむパイオニア』
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