「宝の持ち腐れ」と言われた時の話

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Photo by Jouwen Wang on Unsplash

タイトルだけでは何のことか分かりませんが、一種の思い出話です。かつて利用していたA型事業所でのことで、以前のコラムでも何度か取り上げた、努力が実らず潰れてしまった事業所です。

A型事業所の朝礼などで「宝の持ち腐れ」という単語が出るのはどういった場合だと思いますか。本当は働けるのに、障害者であるがゆえに忌避されて就労のステージにすら立てない、その現状を表現しているのでしょうか。確かに社会参画を拒んで自ら納税者を減らしておいて、働き手不足を嘆いている様子は滑稽なものですが、残念ながらそういう意味ではありませんでした。

その時は経営が傾いていた頃で、作業で使うパソコンも何台か古いノートパソコンに変えるコストダウンを図り、成績の悪い利用者はそこに落とすと示唆されていました。そこで当時のサビ管(何度か変わっていてこの時は4代目)が言ったのが「宝の持ち腐れ」です。正確には「性能のいいパソコンを使わせても宝の持ち腐れになる者がいる」みたいなニュアンスで、利用者の無能ぶりを詰るような言い回しでした。サビ管がです。

施設長や開設当初からの職員は、見えないところで仕事の受注など頑張っていました。しかし見えるところにいたサビ管や利用者上がりの職員は空回りのやる気と根性論ばかりで、仕事のできる利用者から離れていく原因にもなりました。ある時は「憎まれるのも自分の仕事だ」などと言っていましたが、いたずらに悪手を連発している以上、自己正当化の域を出ません。

福祉勤めも一枚岩ではないというか、様々な考えを持つ人がいます。中には「障害者にこんな上等なものは贅沢だ」という考えの者も潜んでいるでしょう。職場や作業場の内部で分断やカースト分けを煽るような措置は環境を潰すなどと誰でも分かるようなものですが、「貧すれば鈍する」というものでしょうか。

加えて思うのは、優秀な職員となるために必要な素養として、焦燥感など負の感情を表に出さないことも一つであることです。仕事を仕事として割り切れる人ほど、利用者との距離感も適切に保てるような気がしてなりません。要するに、クールな人材は大切という話です。

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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