セコラム!〜伴走者の立場から障害福祉を考えてみる〜

「みんなを意識しすぎると、1人ひとりがぼやけてしまいがち」(セコラム!第10回)

『セコラム!〜伴走者の立場から障害福祉を考えてみる〜』 vol.10 <毎月25日連載>

このコラムも10回を迎えました。〆切ギリギリに書き出す悪い習慣がありますが、何とか伝えたいことを伝え、書くことを楽しみながらコラムを発表しています。今後ともよろしくお願いします。

さて、福祉に出会う、福祉を話すワークショップ「ミーツ・ザ・福祉」の打合せが先日ありました。打合せの議題は、どんな障害を持った人が来ても、誰しもがワークショップに参加できるような仕掛けを考えること。

アイディアを出せば出すほど納得のいく答えが遠ざかっていきました。全員が満足する快を得られる状況を実現するのは、難しいのではないでしょうか?

というのも誰かの「快」を満たすことが、誰かの「不快」となり得て、誰かの「不快」となることが誰かの「快」を満たすことがあると思ったからです。

そもそも特定の個を抜きにし、みんなだけを意識し過ぎると、みんなの対象がボヤけ、曖昧になってしまいます。

耳が聞こえない人が全員、手話が出来るとは限らない。
車イスに乗っている人が全員、椅子に移ることが出来ないとは限らない。
目が見えない人が全員、点字を理解できるとは限らない。

こういう障害があるからこのような配慮をすると決めつけずに、「どんなことに困っているのだろう」「その困りごとはどうすれば解消できるだろう」と想像力を働かせ、対応する準備をし、「May I help you?(何かお困りでしょうか)」と一声を掛けます。

この声掛けがその場にいる1人ひとりに伝染していけば、場にいる人がほどほどの快を享受し、場から置いてけぼりになっている人がいない状況がつくられます。

みんな=1人ひとりの集合体です。つまり、違う個がたくさん集まってできた概念が、みんなです。僕たちがみんなを意識しているとき、そこから排除してしまう人や加わっていない人がいる可能性があります。

そのような可能性を孕んでいることは、目を背けずに考えなければいけない事実であると僕は思います。この事実を認め、人と接し会話をすることがみんなの幅をひろげていくことにつながるのでしょう。

1人ひとりを意識した配慮の積み重ねをすることで、わたしやあなたが持つみんなの枠線をひろげていく。みんなの枠の外からはみ出している人を限りなくゼロにしていく。そのプロセスが、誰しもが少しばかりの不快や障害、生きずらさを抱えながら、ほどほどに暮らしやすいまちに変えていくことにつながります。少しずつ、本当に少しずつ。

大事なことは、みんなという軸で考えるのではなく、1人ひとりを考えていくこと。1人ひとりを想像し、対話し、困っていることがあれば解消していく。そして関係性がつくられ、関係性が周辺にひろがっていくことが、ほどほどに暮らしやすいまちをつくっていきます。

世古口 敦嗣(せこぐち あつし)

世古口 敦嗣(せこぐち あつし)

就職活動に失敗し、何となく障害福祉の世界へ。障害者が暮らしやすいまちをつくるNPO法人サポネや医療福祉エンターテインメントのNPO法人Ubdobeなどを経て、農業を中心とした障害のある人が働く拠点「三休 – Thank You -」を今年4月にオープン予定。それ以外にNPO法人月と風と理事やKAIGOLEADERS OSAKAコアメン、ふくしあそび探求舎代表を務める。

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