5回目のデプレッション③〜抗うつ剤は禁断の果実?

うつ病 発達障害

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2回目のうつから回復したのは、会社を退職してから数ヶ月経ってからでした。回復後に一番苦労したのが処方されたパキシルという抗うつ薬(SSRI)の断薬でした。その後新たに東京で就職活動をした結果、旅行会社に就職が決まり、新たに東京に引っ越すことになりました。うつ自体は回復していて、当時の主治医からも就労の許可はもらえていたのですが、断薬を完了する前に引っ越すことになり、転院が必要となりました。

減薬・断薬と離脱症状

病状が安定し、就職するにあたり、私は主治医の指導の元、段階的に減薬を行いながら断薬を目指しました。例えば、1日1回飲むものを2日に1回に飲むというように頻度を減らしていきます。これまで習慣的に服用していた薬の飲み方が変わるので、稀に飲み忘れなども起きます。

私の場合、SSRI系の抗うつ薬パキシル(一般名パロキセチン)を飲み忘れた際、うつ病で自覚していた症状とは別に、頭痛や偏頭痛、軽いめまいを伴う吐き気のような強い不快感といった症状がありました。この症状のことを都度罹っていた医師に説明しましたが、当時はこの薬に関して離脱症状という認識はあまり浸透していなく、薬を飲まなかったことからのうつ病の症状が発現しているのでは、という回答の一点張りでした。MR職を経験していた私としては、これだけ離脱症状が強く、断薬も難しいのにもかかわらず、何故専門医でない一般の内科医でも簡単に処方できる仕組みや状況になっていたのか理解できず憤りを覚えます。

当時の製薬会社や業界の説明不足を疑ってしまいますが、最近では添付文書等にも反映されており、離脱症状が強く、断薬に際しては専門の医師が慎重に行う必要があることは大分浸透してきているかと思います。とはいえ、依然として精神科領域の治療は薬物療法が中心になっている印象ですが、私が今までお世話になったどの診療所も患者さんが多かったので一人の医師がそれぞれの患者さんの状況を細かく把握し、最適の処方を行うには限界もあると思います。最近では認知行動療法を中心としたカウンセリングに一定の効果があることも分かってきていますので、リワークなどのデイケアだけでなく、個別のカウンセリング面談にも保険が適用されれば、経済的に苦しい多くの精神疾患の患者さんも助かるのではないかと思いますので、実現されることを願っています。 

3度目のうつ

関西を出る前、当時の主治医は、「ある程度自分の判断で減薬して問題が無ければそれでいい」と言われましたが、念のため東京で新しい転院先を設定しました。ただ、私自身当時の土地勘が甘く、結果的にその転院先からフェードアウトしてしまいます。新しい環境での生活と仕事に忙殺され、離脱症状があったとしても、無自覚になっていたかもしれません。それはそれで結果良かったかもしれませんが、問題はここからでした。

東京での生活がある程度落ち着きだしたころ、家の近所にある内科に軽い風邪などでお世話になっていたついでに、断薬の為パキシルの処方をお願いしていました。私自身MRだったという傲りに近い自負があり、また内科の先生も割と勉強熱心な印象を受けていました。その時の体調やストレス具合で量の調整も行ったりはしていたのですが、断薬が終了する前にまた少し仕事が忙しくなり出したタイミングでうつ病が再発しました。まだこの頃は一般の内科医でも簡単に処方され、断薬や離脱症状に関する認識は浅かったようです。

転職後のうつで苦労したこと

中途採用で契約社員として入社した状態で私は休職を余儀なくされました。会社によって規定は違うかと思いますが、私がこの時就職した会社では契約社員と正社員では給与は同じでも賞与は半分、有給休暇が割り当てられる日数も違います。病気で休む際の休職期間満了までの期間も違いました。入社の際に提示された雇用条件も休職を機に給与が下がるなどの内容で契約内容が変更され、正社員になるまでは休職後の条件のまま更新され続けました。結果的にですが、この3回目のうつがきっかけで、同時期に入社した社員が次々と1〜2年で正社員になりさらに昇進する人が出る中で、私自身は正社員に登用されるまでに5年程かかりました。先輩社員や上司にはとても心配され、親身になって私の私生活を含め様々な面でお世話になりました。そんな上司や先輩方に恵まれていたので、何とか元気になって成果を出すことで恩返しをしたいと強く思う一方で、会社に迷惑をかけたことや出遅れてしまっている感やら後ろめたさ、休職と長い契約社員の期間からの厳しい経済状況、離婚のトラウマなど、自己肯定感が下がりやすい温床のようなものが自分の中で、できつつありました。3回目は割と早めに回復出来ましたが、減薬の失敗とこれらの思いや葛藤が後々自分に重くのしかかることになります。

それまで全く経験のない業界での慣れない業務だったこともありますが、小さなケアレスミスが散発したり、注意されたのにもかかわらず、なかなか改善できなかった事でさらに叱咤されるような場面もしばしばあり、報告する前に別のことに気を取られ報告を一時的に失念したり、報告が漏れたりすることも目立つほどではないですが、まれに起きました。「やる気がないのでは」「責任感がないのでは」といったようなことを言われたこともありました。「そういうつもりがないのになぜ自分がそうなってしまうのか?」と結構悩んだこともありました。こういったことの小さなストレスの積み重ねと減薬のタイミングが悪かったこともあり、今回はうつになったのではないかと思います。今振り返るとこれらは私のADHD傾向が表面化していたのではないかと思いますが、頻度が少し多い程度で、他の社員でも同じような場面を見かけていましたし、それが当たり前だという感覚でいました。その上、「そんなことで潰れてしまう自分」を責めてしまっていました。

▶︎続きのページ:5回目のデプレッション④〜4度目のうつは、アップ、再度ダウン

参考文献

うつ病とは:ご存知ですか?うつ病|こころの耳:働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト
http://kokoro.mhlw.go.jp

SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害剤))調査・検討対象 | 薬害オンブズパースン会議 Medwatcher Japan
http://www.yakugai.gr.jp

抗うつ薬中断症候群 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org

ハイパーアクティブキッド

ハイパーアクティブキッド

大阪生まれ、NY育ち、高校大学は京都育ち。音楽、サッカー、サブカル好きなアラフォー男性です。帰国子女です。うつ病を5回発症し、後にその背景にADHDの傾向があることが分かりました。いわゆる大人の発達障害というやつです。新卒で製薬会社にてMR職を経験した後に、旅行会社へ転職。約10年勤務した旅行会社で5回目のうつで休職し、休職期間満了のため退職を余儀なくされ、実家に戻りました。趣味でDJをやっていました。いろんな人とわいわいするのが好きです。いわゆるパーリーピーポーていうやつです。

うつ病 注意欠陥多動性障害(ADHD) その他の障害・病気

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