双極性障害の転地療養

暮らし

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ある時、私は鬱状態になっていました。もうにぎやかな都市部に住むことがいやになっていました。大阪が嫌で嫌で仕方なくなりました。そのような時、環境を変えてみようと思い、山に囲まれたとある地方に引っ越すことにしました。そこは田舎で、空気が美味しく、緑豊かな土地でした。また、冬になると雪がつもり、とても寒くなる土地でした。はじめはとても楽しく、充実していました。

はじめは良かったのですが

私が引っ越した時期は夏でした。私が移り住んだ土地は夏がとても涼しく、快適でした。私は夏に弱く、夏の暑さに対して倒れるのではないかという不安がありました。そのため、夏が涼しいことは私にとって、不安が小さくなる良い土地でした。はじめ、わたしはお寺巡りをしたり川にいったりして田舎暮らしを満喫しました。しかし、働き口がなかなか見つかりませんでした。したがって掃除、料理、洗濯などの家事をしていました。良く言えば専業主夫、悪く言えばヒモでした。

冬が得意だったはずなのに

季節は巡りやがて冬が来ました。私は冬が好きだったので、何の不安もありませんでした。しかし雪国の冬をなめていました。まず、日がさしません。日中は薄い雲に覆われていています。そしてとても寒いです。私が住んでいた大阪の最低気温が、その地方の最高気温より高いのです。一番やっかいだったのは雪です。大阪は、雪はたまにしかふらず、つもることはありません。その地方は雪が積もり、雪に慣れていない私は、しょっちゅう滑って転んでいました。そうすると外出するのが億劫になり、家に引きこもるようになりました。スタンダールの「赤と黒」のお話に、「急な山を登りつめて頂上に腰をおろす旅人は、ほっと一息いれるのがもうかぎりもない喜びだろうが、もし永久にそうやって休息していろと無理じいされたら、彼は幸福であるだろうか?」というくだりがあります。私は何かしていないと不安になります。双極性障害を患っている方は、もともと活発な方が多いと思います。しかし仕事も見つからず、家に毎日引きこもる日々が続く中で、スタンダールの旅人のように永久に休息をとらされるのと同じ状況になりました。すると躁も鬱も悪化していきました。躁状態の時は「兄が画家なので僕も画家になる!」といって芸術大学予備校に通い始めたり、その次は「小説家になる!」といって出版社の懸賞小説に自分のかいた小説を送ったり、またある時は「弁護士になる!」といって司法試験予備校の通信教育を受けたりしました。どれも長く続かずフラストレーションがたまっていきました。そして鬱になると幻聴、幻覚を見聞きするようになりました。窓の外を見ても真っ白な白銀世界です。しかも大阪より長い冬です。精神は疲弊しきって限界になりました。

また春が来る

長い冬が明け、ようやく春がきました。日差しが出て温かくなるにつれて、精神の緊張もほぐれていきました。それとともにまた仕事を探し始めるためにハローワークに行きました。そして自分の病状のことを初めて相談しました。すると就労移行支援事業所について教えてもらいました。私が住んでいた地方では、就労移行支援事業所が少なく、自分に合った事業所がありませんでした。そこで大阪に帰って、一から出発しようと思い、就労移行支援事業所を探し始めました。そして、今通っている就労移行支援事業所を見つけ、お世話になっています。

転地療養は私には合いませんでした。私は大阪に帰ってきて、地元のありがたみをかみしめました。もう私は大阪から離れる事は無いと思います。地方に行く前は、あれだけ嫌っていた地元大阪のにぎやかさも、今となっては愛おしく思えます。転地療養は日頃抱えているストレスから一旦離れられると思います。しかし自分に合ったストレスの対処をしなければ、療養先でも病気が悪化する可能性があります。私は認知行動療法やストレスマネジメント等、薬と同時並行して実践するのがいいと思いました。

参考文献
赤と黒 上巻 著者スタンダール 出版 岩波書店

ヒロシ

ヒロシ

双極性障害の20代男性です。大学1年生の時に母の死をきっかけに発病しました。何とか単位を取得し、4年半で卒業後、教員免許を取得するためさらに3年間大学に残りました。趣味は読書とスポーツ観戦です。カラオケでよく歌う曲はクレイジーキャッツの「悲しきわがこころ」です。

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