愚行権ってなんですか

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Photo by Elimende Inagella on Unsplash

「愚行権」という言葉があるようです。実際にそのような権利が定められている訳ではありませんが、「たとえ愚行と言われるようなことでも、他者を害さない限り邪魔されるいわれはない」という考え方として存在しています。

これが言われだしたのは160年以上前、イギリスの哲学者であるジョン・スチュアート・ミルが「自由論」にて言及したのが始まりで、他者に危害が及ばない限り自由は制限すべきでないという「他者危害排除の原則」の考えが基となっています。ただ好きにせよと言っている訳ではなく、行為の結果としての批判や懲罰などは本人の責任として受けるべきとされており、対象も意思が成熟した成人以上に限っています。いわば「自由と責任とは何ぞや」の問いに出された答えの一つでしょうか。愚行の自由を行使しながら責任を拒否するような態度はさすがにダメでしょうね。

愚行権の考え方には大きな弱点があります。「何をもって『愚行』とするか」「何をもって『他害』とするか」の基準が決まっておらず、今後も決められないことです。目の前の愚行を止めるかどうかについて、元々明確な正解などありません。

愚行としてよく例示されるのが酒とタバコとギャンブルですが、他にも夜更かしや暴飲暴食、係争相手への挑発行為など幾らでも挙げられるでしょう。人によっては、人工中絶や代理母出産、ポルノ視聴や目的なき散財、冬山登山や深海探査さえも愚行とされることがあります。なんなら、目くじらを立てて過剰な制限に走ろうとすることもまた愚行かもしれません。

他害の基準はもっとあやふやで決められません。傷害や窃盗や侮辱といった何らかの法に抵触する行為なら明らかに止めるべきと分かるのですが、法には触れず道徳の範囲だけで賛否両論になる行為はどう見ればいいでしょう。もっと言えば「私は不快になった!謝罪と撤回を!」と一人が騒いだ時点で他害として捉えるべきなのでしょうか。或いは不幸になるのが本人だけならOKというのでしょうか。

あやふやなものをあやふやなままにするのは、場合によっては性善説への依存と妄信に繋がります。例えば地域の内部にグループホームを新設するのは「愚行」となるのでしょうか。例えば迷惑だからといって近隣の中学をまとめて出禁にするのは「愚行」と呼べるのでしょうか。使う人や場合によって都合よく意味が変わるのであれば、それは概念として軽くて未成熟であることを意味しませんか。160年以上もの間、全く磨かれてこなかった概念を、果たして手放しで受け容れて良いものでしょうか。

参考サイト

みると通信:愚行権について考えよう
https://www.miruto.


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遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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