触法障害者の出口支援がなぜ必要なのか~「ケーキを切れない非行少年のカルテ」にみる再犯の悲劇
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出典:Photo by Matthew Ansley on Unsplash
数年前に図書館で「累犯障害者」と題された本を手に取った私は、強い衝撃を受けました。
そこに書かれていたのは、福祉のサービス網から零れ落ちた障害者たちが犯罪を犯しては収監されるということを何度も繰り返しているという現実だったのです。何度も「シャバ」と「ムショ」を行き来する触法障害者
繰り返し刑務所に収監される障害者の多くは、生活苦から無銭飲食や窃盗を繰り返していることが「累犯障害者」には赤裸々に描かれています。
収監され、釈放されてはまた事件を起こし、再び逮捕される。まるで「シャバ」と「ムショ」の間を無限に往復し続けているようにも私には見えました。
特に知的障害のある人や、発達障害者の中でも急な予定の変更への対応がむずかしい人、見通しを立てるのが苦手な人のなかには、実は刑務所のなかの方が居心地がよいとまでいう人もいます。
何故なら刑務所では、起床する時間、食事をする時間、仕事をする時間、仕事の内容、就寝する時間……全てが決められています。もし病気になっても医療を受けられます。刑務官の指示にさえ従っていれば、生活できるのです。
しかし何度も収監されるうち、家族や福祉支援者から見放され、次第に「困ったら犯罪して刑務所にいこう」と犯罪に対する心理的ハードルが下がっていきます。
また、男性の障害者の中には、性教育が十分でないことから、女性や性行為に対する偏った認識を持ち、わいせつ行為を繰り返す人もいます。
その結果、次の犯罪が発生します。窃盗や無銭飲食なら金銭被害が、性犯罪なら確実に被害者が出ます。だからこそ、再犯をさせないための支援は、絶対に欠かせません。
「累犯障害者」を著した山本譲二氏は、自身が収監されて刑務所に障害者があふれていることに気付き「出所後の障害者支援が必要だ」と訴え始めました。
出所後の居住施設の確保、必要な福祉サービスの案内と手続きの補助、就労支援を含む生活基盤の構築などのサポートを総合して「出口支援」と呼びます。
その「出口支援」が十分にされていないために再犯に繋がった事例を、次の章からお話ししたいと思います。
具体的な事例は、宮口幸治氏著「ドキュメント小説 ケーキの切れない非行少年たちのカルテ」の中からふたつご紹介します。
といっても「ケーキの切れない非行少年たちのカルテ」はノンフィクションではありません。
著者である宮口幸治氏が、これまで矯正医官として対峙してきた多くの非行少年のエピソードを抽出し、そのエピソードを元に「架空ではあるが典型的な非行少年の例」として再編集されたものです。
事例その1 軽度知的障害がある少年Tのケース
少年Tは16歳の時に医療少年院に移送されてきたで、軽度知的障害者です。
彼は6歳のころから万引きを繰り返しており、児童自立支援施設に入所した過去があります。施設を出てからは建設作業員となりますが、職場での暴力行為、無免許運転や窃盗などの犯罪行為は続きました。
Tは「万引きで警察につかまった。『万引きは2度としない』と約束したが、誰も自分の話を聞いてくれなかった」と矯正医官にぼやいていたものの、やがて「自分はまわりのことを何も考えていなかった」と気付きます。
彼は院内で優等生として過ごし、好成績であったことから、入院期間が短縮されました。
退院後、母親から紹介された建設会社の社長から「君が頑張るなら支援しよう」と言葉をかけられ、Tは再起を決意します。
社長は他の社員に「仕事ができなくても、しばらくは大目に見てやって」と話していましたが、なかなか指示通りに仕事ができませんでした。
もし社長や他の社員が、彼の障害特性である「指示されたときは覚えていても、作業をするときには指示を忘れている」ことを知っていたら、後の悲劇は起きなかったかもしれません。
しかし障害特性を知らない社員たちにとっては、意欲に欠ける後輩にしか見えませんでした。やがて、先輩社員から厳しい叱責が頻繁におこなわれるようになります。
社員達には、うまく後輩を育てられないことによる焦りが生まれていました。しかしTにそれがわかるはずもなく「みんな僕のことを嫌っている」と被害感情を募らせはじめました。
あるとき、上司に「そんなに仕事が嫌なら、もう辞めろ」といわれた瞬間、彼のたまりにたまった被害感情が爆発し、上司を殴り倒してしまったのです。
この暴力行為は社内で問題視され、Tは解雇されました。
解雇された後、母親から「やっぱりダメね」といわれたTは「親から見放されるのではないか」と、怯えるようになります。
次の仕事が決まらず困っているときに、Tは偶然中学の時の同級生に出会いました。同級生から言葉巧みに誘われ、彼は詐欺に加担するようになります。
詐欺グループで「できるヤツ」と評価され、多額の報酬も得られたことから、Tは久しぶりに自分を認めてもらえる歓びを感じました。
ところが、ある時仕事を失敗してしまったTは、「50万円の弁償金を1週間後に用意しろ」と同級生から要求されてしまったのです。
貯金がない彼は焦りましたが、今付き合っている女性Aに、80万円ほどの貯金があることを思い出します。
Tが付き合っていたAもまた、軽度知的障害者でした。彼女には美容師になりたいという夢があり、専門学校の学費を自力で準備するために、2年ほどパン屋で働いていました。
さて、TはAを呼び出し「仕事の失敗を補填するためのお金を貸してほしい」と切り出しました。
Aは「学校のためのお金だからダメ」と断りますが、1ヶ月後には利子をつけて返済することをTが約束したことで考えが変わりました。
結局AはTに50万円を貸しました。彼は同級生から次の仕事を紹介してもらい、その稼ぎで借金を返そうと思っていましたが、同級生からの連絡は来なくなりました。
焦ったTは単発の仕事を必死にこなすも、1ヶ月で用意できたのは10万円だけ。返済の猶予をもらうべく、彼は再度Aを呼び出すことにします。
返済の猶予を求めたところ、Aは「約束したのに」と激昂しました。Tは説得しようとするも「警察に行く」と言われて逆上し、落ちていた石でAを殴打、その後首を絞めて殺害してしまったのです。
少年院を出た後、Tには支援と呼べるものがまったくありませんでした。Tには障害特性に理解のある職場と、安定して得られる収入、心細くなっている時に頼ることができる支援者が必要でした。
「事前に職場に障害特性についての説明をする」「適切な指導方法を、職場と協力して考える」「面談で生活や仕事の悩みを聞く」などの支援があれば、T少年は解雇されることもなく、解雇されたとしても詐欺グループにつながることはなかったはずです。
また、T少年に貯金が全くなかったということも気になります。実は見通しを立てることが苦手な人は、給料を計画的に使うことができず、中にはたったの数日で給料を使い果たしてしまうひともいます。
もし彼にその傾向があったと仮定するならば、金銭管理についても支援が必要だったのではないでしょうか。
しかしそのような支援がなかったために、学費を懸命に貯め、美容師になるという夢を抱いていた、Aという犠牲者が出てしまったのです。
事例その2 自閉症スペクトラム症候群の疑いのあるI少年のケース
I少年が医療少年院に移送されてきたのは14歳の時。鑑別所で「自閉症スペクトラム症候群の疑いあり」と診断されました。
Iは小学校低学年から、陰湿ないじめを受けていました。そのストレスがゆがんだ方向に作用したのか、高学年になると下級生の体を強引に触る、女子トイレを覗くなどの問題行動を起こすようになります。
学校からの指導により問題行動は収まったものの、Iへのいじめは中学でさらに悪化。
父親は息子がいじめられていることに気付かず、そのうえ彼の成績が悪い時には暴力をふるっていました。
いじめと虐待からストレスを貯め続けたまま中学3年になったIは、ある時「強姦された女性が、最後には行為を受け入れる」というアダルト動画を見て「女性は強姦されたら嬉しいんだ」と誤認します。
そのゆがんだ認知のまま、彼は最終的に幼児に対し、わいせつ行為に及んでしまったのです。
少年院でのIは食事を運んできた教官に「ここは食事が出るのが遅い」と発言したり、矯正医官に「先生は面白い顔だから、すぐ顔を覚えました」と言い放つなど、たびたび周囲に不快感を与えていました。
しかしそうした言動が原因で、彼が集団から無言のうちに阻害され、生活上大変な思いをしたであろうことも伺えます。
Iは入院中に、性加害者むけの更生プログラムを受けることになりました。そのプログラムの中で、Iは自らの行為が非常に自分勝手なものだったと気付きました。
矯正医官との何度目かの面談で、Iは「被害者に一生消えない心の傷をつけてしまった」と話しましたが、医官は「どこかで聞いたような文句だ」と違和感を覚えます。
この時に、矯正医官が少年院に働きかけて何か対策をとっていれば、再犯は起きなかったかもしれません。
少年院を出た後、Iは父親がかなり遠方に構えた新しい家に住むことになりました。
息子の罪が世間にバレることを恐れている父親を安心させるべく、Iは就職しようと考えます。しかし面接でいつも緊張して思うように話せず、不採用が続いてしまいます。
その日も就職活動に失敗し、公園で時間をつぶすことにしたI。すると数人の幼児のグループと、そこから離れてひとりで遊んでいる女児に気付きました。
「一緒に遊んであげよう」と声をかけた途端、彼の後ろから「うちの子が何か?」と声がしたのです。
振返ると女児の母親らしき女性が立っていました。Iは「さびしそうだから遊んであげようと思った」と説明したものの、女性は「次やったら、警察呼びますよ」と女児を連れ、足早に離れていきました。
その様子を見ていた人たちが「最近公園に不審者が出るって聞くけど、もしかして……」と噂している声が、Iの耳に入ってしまったのです。
警察を呼ぶと言われたこと、周囲から不審者扱いされたことに、Iは激しい怒りを覚えるのでした。
やがて仕事は見つかりましたが、彼はなかなか仕事を覚えられず、よく叱責されていました。仕事でストレスをためた少年は、以前声をかけようとした女児が、再びひとりでいるところに遭遇します。
女児と目が合ったときに「警察呼びますよ」といわれたことが頭をよぎり、更に女児が自分を睨んでいるように見えたことから、彼は衝動的に再びわいせつ事件を起こしてしまったのです。
Iは再犯したことを父親に話しませんでした。父親は事件の翌朝、自宅に訪ねてきた警察官から事件のことを聞かされ、息子への信頼が揺らぎ始めました
その後、Iは再び医療少年院に送られます。最初の入院では父親は面会に定期的に来ていたのに、今回は面会回数が減っていき、ある時父親との連絡がつかなくなります。
父親は職場もすでに退職しており、失踪と判断されました。
身元引受人がいない状態では、Iを少年院から出すことが出来ません。少年院の教官たちは受け入れ先を探して奔走しましたが、どこからも「性犯罪をした子は引き受けられない」と断られ続けました。
やっとIを受け入れてくれる施設が見つかったのは、父親の失踪から3カ月も経った後でした。
少年Iの事例でわかるように、特に性犯罪を犯した触法障害者は、周囲から忌避されやすくなります。
彼の場合、小学生のころからストレス発散のための性加害行為を繰り返していたため、行為依存になっていた可能性があります。
また矯正医官がIの言葉に違和感を抱いたのは、被害者に与えたダメージがどれほど深刻なのか、入院中に理解するところまで至らなかったからだとわたしは考えます。
もしもそうであれば尚のこと、退院後も性加害をしないための支援を継続したり、依存が深刻であれば医療につなげることも必要だったのではないでしょうか。
加えて、Iの場合は就学支援も必要でした。どうしても就業したいのであれば、福祉につながっていれば、就労移行支援や就労継続支援の利用も出来たはずです。
また父親に対しても、息子への対応の仕方、障害理解や受容などのアドバイスができていれば、息子に対する理解が深まったかもしれません。
しかし彼も少年Tと同様、適切な出口支援を受けられなかったために再犯してしまい、その結果家族からも見捨てられたのです。
孤立防止と再犯防止のためには支援が必要
2つの事例を通して「仕事に恵まれなかったこと」「安定した生活が出来なかったこと」「必要な福祉につながれなかったこと」が、再犯の引き金となったことを、理解して頂けたかと思います。
特に仮出所率が低く満期出所となりやすい知的障害者の場合、出所しても帰住先が不詳となっている人は大勢います。
古いデータではあるのですが、平成18年(2006年)の調査では、帰住先が不詳の知的障害者は40%を超えています。両親含む親族が帰住先となっているのは、25%程度。
逆に言うと約75%の触法知的障害者が、社会的に孤立している状態です。
「障害があることは気の毒だけど、犯罪をする人を支援したくない」という声は、実は福祉関係者からも上がっています。
実際、障害者が逮捕されてしまうと「犯罪を犯した以上、あとは司法が判断することだから」と福祉支援者が手を引くことは過去にあったそうです。
一方の司法についても、障害者を釈放した後は「私たちの仕事はここまでなので、あとは福祉につながってね」と放置してしまい、自力で福祉につながれない触法障害者が、どこからも透明化された状態が長く続いていました。
しかし、安心して暮らせる環境と一定の収入が保証された仕事につき、必要に応じて生活保護や障害年金の取得などの支援があれば、二度と犯罪を起こさない人もいるのです。
最近は司法と福祉が連携し、早ければ収監直後から司法を通じて福祉関係者が障害者と面会し、更生支援計画を組むことも増えてきました。
これは早期に福祉と障害者をつなぎあわせ、信頼関係を構築することで、その後の更生支援をより充実したものにするためです。
何よりも障害者にとって刑務所の方が「シャバ」よりも居心地が良いと思うようなことはあってはならず、「安全なムショに戻るために犯罪に手を染め続ける」ということは、誰にとっても不幸でしかありません。


