アメリカの負の歴史、1990年代に起こった「偽の記憶論争」
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出典:Photo by National Cancer Institute on Unsplash
「この頃夫婦仲がサイアクで、家に帰りたくないんだ。もう別れるしかないのかも」「そう早まらないで。一度カップル・カウンセリングを受けてみたら?いいセラピストを知ってるから、紹介してあげるよ」
アメリカで制作された映画やドラマで、登場人物がこのような会話をしているのを見たことがある人もいるでしょう。
日本ではカウンセリングにかかるとなると、よほどの悩みが有るのかと思われますが、アメリカではカウンセリングの存在はとても身近なのです。
しかしそれゆえに、この国には「偽の記憶論争」という苦い過去があるのですが
精神分析の大家たちが続々とアメリカに亡命してきた過去
1896年にアメリカで初の臨床心理クリニックが、ペンシルバニア大学内に設置されました。
アルフレッド・ビネーによって開発された知能検査がヘンリー・ゴダードによってアメリカに紹介されるなど、心理学はアメリカに根付きつつあったのですが、精神科医に比べると心理学者の地位ははるかに低いものだったといいます。
しかし、ナチス・ドイツの台頭により、アドラーを代表とする精神分析の大家たちがドイツやオーストリアからアメリカなどへ亡命をはじめました。精神分析家の殆どがユダヤ人だったため、生きるためには逃げるしかなかったのです。
1929年には欧州とロシアの精神分析に関わる諸学会に所属する精神分析家は205人いたとされていますが、そのうちの実に190人がアメリカに亡命。
1932年に亡命した精神分析家を援助する機関が形成され、やがてアメリカ精神分析学協会の「救援と移民のための緊急対策委員会」に引き継がれます。
カンザス州のメニンガークリニックは多くの精神分析家を受け入れ、やがてメニンジャークリニックはアメリカにおける精神分析の重要拠点になるのです。
メニンガークリニックの他には、教育分析者のハンス・ザックスがボストンに、犯罪心理の精神分析的研究をおこなっていたフランツ・アレキサンダーがシカゴにそれぞれ精神分析研究所を設置。
こうして、アメリカは急速に精神分析学の発展を迎え、やがてカウンセリングが医学的インフラの一要素として根付いていくのです。
「あなたの生きづらさの原因は、幼少期に性的虐待を受けたから」
ここまでの話で、アメリカにおいて精神分析やカウンセリングが、いかに身近な存在であったかおわかりいただけたでしょう。
気軽にカウンセリングを受けることで、カウンセラーの力を借りて自分の抱えている問題を明らかにし、整理する。そして、整理したものをひとつずつ解決していく。やがて生きづらさが改善し、苦しみから解放される……
これがカウンセリングの良さなのですが、肝心のカウンセリングに問題が有ったとき、悩みから解放されるどころか、精神的に異常をきたしてしまうこともあるのです。
1990年代、アメリカでは子どもに裁判を起こされる親が後を絶ちませんでした。親たちが告発された罪状はどれも同じでした。「幼少時の性的虐待」です。
「それなら、告発されても仕方がないのではないか」と思う人もいるかも知れません。
実際に過去に性的虐待を受け、その際精神的なダメージを負い、ダメージが人生に影を落としている被害者は、アメリカだけでなく全世界に大勢いると推測します。
そしてこれまで泣き寝入りしていたけれど、昨今のフェミニズム運動の台頭により、思い切って訴訟をするという人たちが出てくることは予測できます。
従ってこれは、今まで沈黙を強いられてきた女性たちが起こした社会現象だ、と当初は考えられていました。
しかし、告発した人々にはある共通点がありました。全員が「記憶回復療法」を受けていたのです。
「記憶回復療法なんて、聞いたこともない」と思う人もいるでしょうし、私も「偽の記憶論争」について調べていて、はじめて知りました。
記憶回復療法が爆発的なブームを起こしたのは、1988年に出版されたエレン・バスとローラ・デイビス共著の「生きる勇気と癒す力」に端を発すると言われています。
この本の中にはあるチェックリストがあり、そのいくつかに該当すると「あなたは幼児期に深刻な性的虐待を受け、その辛さから記憶を抑圧した可能性がある」と、ショッキングな事実が読者に突きつけられるのです。
「生きる勇気と癒す力」は一部のカウンセラーや精神科医にも多大な影響をもたらしました。その結果、彼らは相談者のトラウマを「幼児期に受けた性的虐待」だと決めつけ、そのトラウマを取り除くことで精神的不調が改善されると信じてしまったのです。
チェックリストの結果を信じた女性だけでなく、過食がなかなか治らない、あるいは親子関係がうまくいかず悩んでいる女性たちが、もしも「女性の悩みの原因は、全て幼少期の性的虐待によるトラウマ」と思い込んでいる医師やカウンセラーたちに出会ってしまったら……?
そこで起こることは、容易に想像できますね。彼女たちは「あなたの苦しみは、幼少期に性的虐待を受けたことが原因だ」と、カウンセラーに決めつけられてしまうのです。
セラピストによるたくみな「誘導」
勿論「あなたは性的虐待を受けたのだ」といわれても、身に覚えがなければ否定しますよね。
ところが「『解離』という心の自衛手段のために、思い出せないだけ」「思い出せば、あなたの悩みは解決する」とカウンセリングや診察のたびに言われ続けると、中には「ひょっとしたら、本当に虐待は有ったのかも」と考え出す相談者が出てくるのです。
そう考える相談者は、セラピストによる記憶回復療法を受けることをすすめられたり、同じような相談者が集まるグループ療法へ誘導されます。
さて、肝心の「記憶回復療法」ですが、これに関しては基本的には催眠療法が採用されました。
依頼者を催眠状態に導き、セラピストが「どの年齢の記憶の中に、性的虐待のトラウマが隠れているのか」を探るのです。
問題はこの催眠療法において、セラピストが本来濫用してはならないアミタールなどの催眠作用がある薬物を使用したり、催眠状態の患者に誘導的な質問をして「隠された記憶」を作り上げていったことにあります。
たとえば依頼者が「父親が自分と口論しているイメージがある」「父親の後姿をながめている夢を見る」と話すと、セラピストは「それは幼児期に父親から性的虐待を受けたせいです」と決めつけてしまいます。
さらに次の催眠療法で「小さいころ、父の手伝いをするとお小遣いをくれたことを思い出した」と話すと、セラピストは「それはあなたがお父さんの性的欲望を解消する手伝いをしたから、その報酬を渡したのです」と、いい出すのです。
小さいころ親にお手伝いをお願いされたあと、ご褒美としてお小遣いをもらった経験は、誰にでもあるでしょう。
しかし、催眠療法を受けるたびにセラピストの思い込み過剰な説明を受けているうちに、ありきたりの記憶を「性的虐待」に結びつけてしまう相談者が後を絶ちませんでした。
一方で、グループ療法ではグループの“全員”が「自分は過去に性的虐待を受けていた」と思い出すという、奇妙な事態が発生したケースもあります。
そのケースでは、カウンセラーが幼児期にあった嫌なことを思い出し、今まさにその出来事が起こっているかのように説明してみるようにと促したところ、ある女性が「お母さんに無理やり陰部を触られた」と泣き崩れたのです。
その女性が母親にどんな虐待をされたか話している最中に、今度は別の女性が「お父さんが、私をベッドに押さえつけている」と叫び始め、ついには全員が「近親者から性的暴力を受けた」と泣き叫び出したと言います。
このように、偽の記憶がありとあらゆるところで次々に「呼び起こされた」のですが、依頼人の中には親と一方的に縁を切ってしまうだけでなく、この「呼び起された記憶」という証拠を手に、虐待した親を告訴するものが出始めました。
我が子から告訴された親たちは困惑しました。なぜなら、ほとんどの親は全く身に覚えのない、虐待の慰謝料の支払いを求められていたからです。
ある弁護士からの一本の電話
1990年の夏、認知心理学者のエリザベス・F・ロフタスのオフィスに、ある弁護士から奇妙な電話がかかってきました。
その弁護士はダグ・ホーングラッドと名乗り「ある事件の専門家証言を引き受けて欲しい」と、仕事を依頼してきたのです。
エリザベスは事件のあらましを説明されたとき「こんな妙な話は、聞いたことがない」と、眉をひそめました。
ダグが助力を求めてきた事件は、20年間犯人が見つからなかった殺人事件でしたが、つい先日ある男性が警察により、告発されたのです。
逮捕に至った証拠は「目撃者の記憶」。そしてその目撃者は、容疑者ジョージ・フランクリンの娘であるアイリーンただひとり。
彼女は29歳のある日、突如として「父が自分の親友スーザンを石で撲殺した」という記憶が蘇ったと警察に打ち明けたのでした。アイリーンの通報を受けた警察は、彼女の父ジョージを逮捕。
エリザベスは「検察は何の裏付けもない記憶しか証拠がないのに、どうやって立証するのだろうか?」と強い疑念を抱きます。
そしてもうひとつ彼女が疑問視したのは「なぜ20年の時を経て、アイリーンに記憶が鮮やかに蘇ったのだろう」という点でした。
「アイリーンは第三者の介在により、記憶に何か影響を受けたのではないか」と彼女は仮説を立てますが、それには「人為的に偽りの記憶を植え付けることは可能」だと証明せねばなりません。
記憶に大きな影響を与えたいが、その影響は後の人生に影響を与えない程度のものが望ましい。この少々わがままなロフタスの願いをかなえたのは、デニス・パークという心理学者でした。
デニスは「迷子になったってのはどう?」とアイディアを出し、エリザベスはそこに「大きなショッピングモールで迷子になった、という記憶をすりこめるかやってみましょう」と自らのアイディアを付け加えたのです。
彼女はその後、認知心理学の学期末レポートで「子どもの頃ショッピングセンターで迷子になったという記憶を、さも本当に起こったかのように信じ込ませることが出来るか」という課題を学生たちに出すことにしました。
課題をクリアした学生のうち、ジム・コアンという学生の提出したレポートがなかなか面白かったので、紹介します。
ジムの14歳の弟は母親から「あなたは5歳の時にあるショッピングセンターで迷子になり、あなたを見つけられなくて家族中パニックになっていたところを、背の高いおじいさんが手をひいて連れてきてくれた」という話を5日間に渡って繰り返し聞かされました。
最初は「そんなこと有ったかな?」といぶかしげだったジムの弟は、日が経つにつれ母親の話にはなかった「迷子になったときにおじいさんにかけられた言葉」や「おじいさんの容姿」などを次々と「思い出し」ていったのです。
最後にジムがショッピングモールの話は全部嘘だ、とネタばらしをしたところ、弟は「僕はみんなを探し回ったのも、ママが僕を抱きしめて『迷子になっちゃダメ!』っていったのも覚えてるのに?」とショックを受けていたとか。
ジムが実行した手法をさらにアレンジし、エリザベスは8歳から42歳までの被験者に、偽りの記憶を植え付けることに成功しました。
この成功実績をもとに、彼女は「セラピストが催眠状態の依頼人を誘導し、『偽の記憶』を植え付けた」という論説を展開。過去の性的虐待の記憶を元に告訴された保護者側に立ったのです。
このため、告発者からのエリザベスに対するイメージは最悪の一言。さらに彼女の「偽の記憶を植え付ける」やり方についても、原告側や一部の心理学者から批判があとを絶ちませんでした。
たとえば「迷子になった経験と性的虐待を受けた経験では、トラウマのレベルが違い過ぎて検証の材料にならない」「そもそも被験者に意図的に偽の記憶を植え付ける実験は、倫理的に間違っている」など。
しかしエリザベスはこの他にも「子どもの時に溺れかけた」「子どもの時に猛獣に襲われた」などのよりストレスフルな偽の記憶を植え付けることに成功。
エリザベスによる論説により、世間には後に「偽の記憶論争」と呼ばれる一大議論が巻き起こったのです。
しかし、性的虐待された女性を疑うかのような論説は多くのヘイトを呼び起こし、彼女は一時SPがいないと外出もできなくなるほどの危険にさらされました。
さて、ジョージ・フランクリン事件のその後の経過を少し説明すると、ジョージはエリザベスなどの専門家の証言もむなしく、1990年に終身刑を宣告されてしまったのですが、1995年には裁判所が一部判決を撤回。
実は、アイリーンの兄弟ふたりが「アイリーンが『催眠療法』を受けて、殺人の記憶を取り戻したことをはなしていた」と証言したのです。
そればかりか、アイリーンが兄弟のうちのひとりに「わたしが催眠療法を受けたことを、裁判では言わないでほしい」と口止めしていたことも。
アイリーンの証言の信憑性が問われる事態はほかにも起こっていました。
彼女は「父親はスーザン殺害だけでなく、他にも2人の女性を強姦の上殺害した」とも証言したのですが、ジョージにはその2件ともにアリバイがあり、それどころかそのふたりの被害者から検出されたDNAは彼とは別人のものだったのです。
結局、ジョージは1996年に釈放されました。そして裁判所が彼に対する判決を一時撤回した時期あたりから、少しずつ事態が変化しはじめます。
「記憶回復療法」を受けた依頼人の中には、治療中に精神状態が悪化して何度も精神病院への入院を繰り返したり、向精神薬の服用が増えたり、リストカットなどの自傷が止まらなくなるものが続出しました。
無理もないことです。治療を受けるたびに、陰惨な性的虐待の”記憶”を突きつけられるのですから。
治療を受けているはずなのに、精神状態が悪化していく依頼人を見かねた家族や友人たちは「他のカウンセラーや精神科医にみてもらおう」と、依頼人にセカンド・オピニオンの提案を始めたのです。
提案を聞き入れてセカンド・オピニオンを頼った依頼人の多くが、次第に親から受けた虐待の記憶が薄れ「なぜ自分はあんなに愛してくれた家族から、虐待されたと信じたんだろう」と疑問を持つようになりました。
その結果、何と今度は「記憶回復療法」を実施したセラピストや精神科医が「不適切な治療を強いられた」と、かつての依頼人から訴えられるようになったのです。
依頼者がセラピストや精神科医を訴える訴訟が無数に起こる中、記憶回復療法はどんどん下火になり、消えていったのでした。
歴史は繰り返されるかも知れない
「呼び起こされた性的虐待の記憶」のために訴訟の嵐が吹き荒れたアメリカ。しかし、アメリカを中心とした欧米諸国に、今奇妙な現象が起きていることをご存じでしょうか。
それは、10代の少女達の中に「自分はトランスジェンダーであり、男性として生きたい」と訴えるものが急増していることです。
いわゆる「性別違和」の70%は幼少期に発現し、そのほとんどが男児であるということがこれまでの定説でした。しかし2010年後半に入ると、状況が一変します。
これまで自身の性別違和を一度も訴えたことのない思春期の少女たちが、家族に全く説明せず学校内で男性として過ごし始めたり、ジェンダークリニックに連れていくことを要望することが急激に増えたのです。
そしてクリニックのほとんどが、本人の「男として生きたい」という訴えをありのまま受け入れ、すぐに思春期ブロッカーの投与やホルモン療法、さらに胸部除去手術などを受けさせていることが、最近問題視されているのです。
「本人が男性として生きたいと言っているのだから、治療してあげても問題はないのでは?」と思う方は多いでしょう。
しかし、ホルモン療法は一見可逆的治療に見えるのですが、もし「やっぱり自分は女かも」と治療をやめても、声が低くなったまま元に戻らなくなったり、不妊になるケースが多発しています。
加えて、思春期ブロッカーを投与することで性的機能に不可逆なダメージが残ることもあります。
さらに胸部の除去手術は乳腺まで取ってしまうため、「やっぱり自分は女かも」と思い直しても、乳腺の復元は叶わなくなります。
性同一性障害の治療に長年携わってきた針間医師は「本人の性自認などの悩みは肯定しなければならない」と前置きしつつも、こう警告しています。
「特に思春期における性自認は、人間関係などの悩みなどに影響されやすく、思春期前の子どもの性自認が変わりうるというのは、医学的なデータもある」「ゆえに性自認だけを根拠に、思春期ブロッカーの投与をいきなり始めるのは、拙速だと考える」
実は、すでにアメリカの州のいくつかで「不適切なジェンダー肯定治療を受けさせられた」として、ジェンダークリニックが提訴される事案が発生しているのです。
このあたりのことは、産経新聞出版の「トランスジェンダーになりたい少女たち」で詳しく解説されています。
ちなみに、この本は「トランスジェンダーを否定するヘイト本だ」と大炎上しましたが、著者であるシュライアーはトランスジェンダーの存在を否定しているわけではありません。
むしろずさんな医療体制の批判と、簡単に親子が分断されるシステムへの糾弾に終始しているので、ヘイト本とまでは言い切れないと考えます。
これも私見ですが、もしかすると第2の「偽の記憶論争」に発展するかも知れない、と憂いています。もしそうなったとしたら、アメリカは過去から何も学ばなかったということになりますね……
危ない精神分析: マインドハッカーたちの詐術 矢幡洋著 亜紀書房
抑圧された記憶の神話 偽りの性的虐待の記憶をめぐって E・F・ロフタス K・ケッチャム共著 仲真紀子訳 誠信書房
【フロイトを取り巻く時代(3)-知識人の亡命、新天地アメリカ】
https://ameblo.jp/seishinbunsekigakukoza
【法廷で取り戻された記憶(英語)】
https://fmsfonline.org
【“焚書”とさえ話題になった『トランスジェンダーになりたい少女たち』を性同一性障害治療の第一人者が解説】
https://gendai.media


