2019年ノーベル化学賞受賞者の生き方から学ぶ
暮らしこんにちは、ジョンとSです。先日、吉野彰氏のノーベル化学賞の受賞が決まりました。文系出身の私は化学に関して無知ですので、どのくらい立派な功績なのかは分かりません。ただ、この方のお話を聞いて「この人のような歳の取り方がしたい」と感じました。これは、賞をもらって誰かに認めてもらいたいという類の感想ではなく「おじいちゃんになっても生きることを楽しんでらっしゃるなあ」といった感情です。
「堅実」と「柔軟」の共存
吉野氏のインタビューで印象的だったのは、次のような一言です。「化学者に重要なのは、一つのことに粘り強く執着する“剛”の部分と、研究がうまくいかない時に「まあ、なんとかなるさ」と気持ちを切り替える“柔”の部分のバランス。ですかね?」。つまり、物事をコツコツ続ける堅実さ、プラス、柔軟な発想力やひらめき。と私は解釈しました。この方の価値観が私自身も似ているので強く共鳴し、この姿勢は化学者に限らず、どんな職業の人でも、おのおのが身に付けておきたい処世術と感じます。当然、障害者も例外ではありません。
自己の「強みと弱み」に向き合う
健常者として生活されている人でも、この方のような姿勢で日々を過ごしている人は多くはないでしょう。仕事、家庭、SNS。目の前のことに追われて精神的にも肉体的にも余裕のない人で現代社会はあふれています。障害者となれば「自分は余計なハンディを背負っている」と思い込んでいる人が多い分、なおのことかも知れません。でも実は、障害者だからこそ得意な分野だと、私は勝手に思っています。それは、障害者は健常者以上に自己の「強みと弱み」を確かめる機会に恵まれていると考えているからです。
障害者と言っても特性は様々ですが、障害と言われる所(凹:へこみ)が他者より少しだけ目立つから、その部分を埋め合わせる感じで自分の長所(凸:飛び出ている所)を探そうとする人はたくさんいるのでは?と思います。実際に障害者が仕事を探す時、受ける会社の人事担当者に面接で聞かれるのは「あなたの強みと弱みは何ですか?」ではないでしょうか?障害者を採用する企業側としても、その人にどのようなビハインドがあって、その点を考慮した上で「それでもこの人を雇いたい」と感じられなければ、法定雇用率の達成という国が設定する義務的な問題を外したら、積極的に障害者を採用しようとは考えないのが現実と思います。自身の「強みと弱み」に向き合う機会が健常者より多いかもしれないという意味で、障害者なりのメリットは、それなりにあると感じます。
体験談を通して
“剛”と“柔”の話題に戻ります。個人的な経験を一つ挙げます。私は自転車で遠くへ旅することが好きで何度もやってきました。例えば、1日8時間くらいペダルを漕ぎ続けるのを1週間連続で繰り返すことは、私にとっては普通のことでした。ここでは、物事をコツコツ続けるにつながると思います。また唯一、旅の途中でイレギュラーな事態が起きて、目標の場所まで辿り着けなかった経験もあります。その時は目標を達成できなかった残念さや悔しさより「まあ、こんな場合もあるよね」のほうが上回り、臨機応変に対処できました。ここでは、柔軟性が発揮できたと思います。
まとめ
基本はそこそこ頑張るけれど時と場合によっては適当に上手く手を抜く(?)ことができるようになると、視野が広がり余裕もできて楽しみながら生きられます。健常者にもあるあるな「わたしはもう〇〇歳だから…」みたいな、年齢だけで出来ないと諦めてボヤいている人は、そこから先へは進めないでしょう。それはそれで一つの生き方ですので、それ自体は肯定も否定もしません。ただ、吉野氏の生きる姿勢と不平不満が口癖になっている人の生き方が対極としてあるとしたら、あなたなら、どちらに近い方を一度きりのご自身の人生に望むでしょうか?
その他の障害・病気