相模原殺傷事件裁判(1月17日~27日)元交際相手らの証言と被告人質問、責任能力争い本格化へ
その他の障害・病気 発達障害相模原障害者殺傷事件の植松聖被告に対する第一審の公判が現在進んでおります。公判はペースアップしており、裁判を見守っておられる月刊「創」編集長の篠田博之さんは平日横浜に付きっ切りの状態で、詳細な状況を記録してくださっています。
NHK特設サイト「19のいのち」も久々に更新され、遺族調書の読み上げと元交際相手などの証言が分かりやすくまとめられています。遺族調書は19人分とサイトにはありますが、同じページで「一部のご遺族はその心中や被害者の人柄などが不透明なまま」と記されており、愛された家族とそうでない家族の差が仄めかされています。
さて、公判では元交際相手や元同級生など知人が証言台に立ちました。24日からは被告人質問が始まり、植松被告自身の気持ちが聞けるとあって傍聴希望者は再び激増しています。ペースが上がっていく公判ですが、ひとまず27日までの様子を振り返りましょう。
被告、弁護側の方針に不満
少し遡って14日、植松被告は篠田さんとの接見で弁護側の方針に不満があると吐露しました。弁護側は「大麻精神病による責任能力の欠如」を理由に無罪を主張しているのですが、「心神喪失者に価値は無い」「医療大麻の導入は必要だ」とする被告の考えと衝突していたのです。
更に22日、TBSとの接見に対し「弁護団を解任したい」と言ったことが報道されました。結局弁護団の解任はしていないのですが、裁判の流れを案じていた人からは一様に驚きの声が上がっています。ただ弁護側の方針に納得している訳でもなく、24日の被告人質問では「自分に責任能力はある。ない者は即刻死刑にすべき」と弁護側へ言い切りました。
責任能力が認められれば検察側の主張が通ってまず極刑でしょうが、極刑を避けるには被告にとって死すべき人間である「責任能力なし」とされる必要が(どっちつかずの判決にならない限り)あります。何にせよ複雑な状況です。
24日に弁護側が聞いたのは、被告自身が書いた「新日本秩序」という巨大メモについてが主でした。篠田さんも「新日本秩序」については被告本人から受け取っており、「個々の項目はしっかりしているが、全体的にテーマがバラバラで矛盾だらけ」という印象を持っていました。そのため、篠田さんは弁護側の意図を「あらゆる持論を引き出させて俯瞰し、矛盾点を突くことで責任能力の欠如を証明しようとしている」と読んでいます。
彼はいつの間にか変わっていた
17日の第5回公判では、元交際相手などの知人による証言が行われました。小学校から大学卒業まで、「支援学級の子にも優しかった」「教員を目指していた」「大学2年から脱法ハーブや入れ墨を始めた」「教育実習での評価は普通。教員免許も取っていたが教職には進まなかった」などの証言がそれぞれの旧友から述べられます。中には「子どもに障害があったらという話題で、『俺には無理だ、育てられない』と言っていた」という証言もありました。
被告は2012年12月に津久井やまゆり園の非常勤職員となります。当初、旧友たちには「入所者たちが可愛くて仕方ない。入れ墨のある自分でも必要としてくれる。天職だ」と喜んで話していました。一方、「給料は安く職員も死んだ目をしている」と処遇への不満も就いてすぐからこぼしています。ただ、処遇と犯行の関連性は被告本人が否定しています。
ところが2014年にかけて危険ドラッグを経て大麻を常用するようになっていき、その姿は何度も目撃されていました。元交際相手は2014年8月から被告と付き合い始めていましたが、その頃はまだ入所者を可愛がっていたそうです。
2015年6月から徐々に障害者への不満を募らせていく被告ですが、一番長く接していた元交際相手すらも9月の復縁まで知らなかったため、心情が変化した理由や経緯は分かりません。本人にしか知り得ない空白期間があるのです。
「意思疎通できない障害者は必要ない。安楽死すべきだ」という執念はこの年に萌芽し、2016年2月までには明確な殺意にまで成り果て、衆議院議長宛ての犯行予告・措置入院・やまゆり園の退職となります。
当時大統領選の最中だったドナルド・トランプ氏を見ては「本音を語って称賛されるあのような人になれる」と言い、映画で「自己認識できるのが人間だ」というくだりを見ては「俺の言いたいのはこれだよ!」と膝を打ち、整形をして体を鍛え格闘技も始め…と、犯行日までの生活模様はこのように進んでいきました。
仕事に無意味さを感じていた?
植松被告はやまゆり園職員としての約2年間で、当初「自分を必要としてくれる」としていた入所者に対し「生きていても意味がない」「生産性がない」「どろどろの食事を食べている」「ありがとうも言わない」と悪意を募らせていきました。ただ、「職員が死んだ目をしている」という点だけは就いた当初から言っています。
やまゆり園での仕事に不満を抱いていたことは窺えますが、低い給料と過酷な業務が犯行の理由でない(やまゆり園側への恨みではない)と被告本人が言っています。では、被告が仕事に対し不満や徒労を感じた原因は何でしょう。
ここからは個人的な考察になるのですが、植松被告が本当に恨んでいたのは「『ありがとう』も言えない奴ら」ではないかと思います。働き続ける中で挨拶さえ難しいほど重度の障害者が被告の中で悪目立ちするようになってきたのでしょう。勿論、挨拶する入所者もいましたが、確証バイアスのかかった被告には挨拶しない入所者しか見えていなかったのではないかと思います。犯行当初「喋れるのか」に拘っていた点にも関わっているのではないでしょうか。
被告は「疲れ切った暗い表情でそそくさと帰っていく」という入所者家族の態度にも不満を持っていました。家族にも感謝しない入所者か、「お世話になっております」も言わない家族か、どちらに恨みを抱いていたかは分かりません。
ただ注目したい一幕があります。元交際相手の証言で、「俺がやる」と意気込む被告に対し「一人ひとり人権はあるし、入所者を支えるご家族の気持ちを考えるとそれは間違っている。」と説得した時、被告に「お前は本気で言っているのか!」と強く言い返されたのです。元交際相手の説得について「間違っているのはお前だ」と被告は感じたのでしょう。
元交際相手の説得には「ご家族も入所者を支えている」「入所者を手にかけたらご家族が悲しむ」の2点があり、被告もそう受け取ったものと考えられます。これらに対し被告は「本気で言っているのか」と一蹴しています。この辺りは、被告が「『ありがとう』も言えない障害者を支える意義などないし、手にかけたところで悲しまれる筈もない」と信じ込んでいるように感じました。
やりがいさえ感じていた仕事を憎むようになったのは、感謝の意思表示を十分に受け取らなかったこと、もっと根源的な所では「世話してやっている」という傲慢な気持ちが端緒にあったのではないかと思います。それが重度障害者差別でコーティングされ、優生思想や本音主義に傾倒していき、被告の中で「世直し」にすり替わっていったのでしょう。
責任能力を巡る争いは本格化
さて、27日の被告人質問では犯行を思い立ったきっかけについてが主となりました。弁護側からの質問には「大麻を吸っていて第一に思ったのが『重度障害者を殺害せねばならない』」と答える一方、「実行を決意したのは措置入院中。大麻も情報もないが自分一人で考えるだけの時間はある」とも述べていました。
検察側の質問は犯行の準備についてです。これに被告は「職員の少ない夜勤で、女性職員のいるホームから狙った」「取っ組み合いに備えて体を鍛えていた」と供述しました。また、事件の動機については「『重度障害者を安楽死させるべき』と社会へ主張するため」とし、出頭したのも「錯乱していない様子を警察に見せることで主張を伝えやすくするため」と答えています。
弁護側は大麻、検察側は事前の計画についてを焦点にしており、責任能力を巡る争いは既に本格化しています。被告と弁護側の相性も今後注目すべき点でしょう。
参考サイト
相模原事件、植松聖被告の元交際相手女性が証人として法廷で語った衝撃内容(篠田博之)- 個人
https://news.yahoo.co.jp
相模原事件裁判の被告人質問で植松聖被告が語った証言の気になる点(篠田博之)- 個人
https://news.yahoo.co.jp
19のいのち 事件の内容を傍聴して|NHKオンライン
https://www.nhk.or.jp
その他の障害・病気 発達障害