平野区の3歳弟虐待死事件、劣悪な家庭環境を語る。~障害年金の独占に座敷牢etc.
その他の障害・病気 知的障害昨年4月、大阪市平野区の自宅で3歳の弟の腹を踏みつけ死なせたとして、24歳の姉が逮捕・起訴されました。大阪地裁は後述する被告の家庭環境から、懲役3年・執行猶予5年の温情判決を下します。
被告の一家は40代の両親と6人きょうだいの計8人で同居していました。被告は長女で、歳の近い20代の長男がおり、5歳から2歳の弟妹が4人(次女・次男・三男・四男。うち亡くなったのは三男)という家族構成です。
被告は親子ほど離れた年齢の弟妹を世話するよう言いつけられていました。しかし、これは従来の虐待死事件と同列に語れるものではありません。寧ろ被告は身勝手な両親によって虐待を受けている側だったのです。
さらに、知的障害を持つ長男が「座敷牢」に入れられていたことも明らかになりました。座敷牢は1950年(沖縄は1972年の返還後)に法律で禁止されましたが、現代にも依然残っているのです。
搾取し続ける両親
本題へ入る前に被告の話をしましょう。被告には軽度の知的障害があり、小学4年生ほどの精神年齢という鑑定結果が出ていました。とはいえ、20代の健常者が幼い実子を死なせる虐待死事件ならごまんとあるので、知的障害が判決へ与えた影響はごく小さいと思われます。
法廷で被告は、三男を死なせたことを泣いて詫びました。一方、家庭環境の話になると一変して両親の身勝手ぶりを語り出します。父親は日常的に被告へ暴力を振るい、母親は「殴ってでも言うことを聞かせろ」と幼い弟妹の世話をすべて押し付けて放蕩三昧だったというのです。
外に出て働こうとしても「お前には無理だ」と言われ、証明写真を撮る代金すら貰えません。挙句の果てには被告と長男の障害年金を独占しており、財力的な虐待も行っていました。40代の子持ち既婚者としてはあまりにも幼稚で自己中心的な生き方です。拘置所を「誰にも縛られない生活が出来た」と述べる辺りが被告の家庭環境を如実に物語っています。
裁判中に出所後の受け入れ先となるグループホームや成年後見人も見つかり、その点も執行猶予の付く理由となりました。被告は「両親とは二度と会いたくない」とまで言ってのけます。虐待から逃れ自由を得たのは結構ですが、三男の命という大きな犠牲があったことには変わりません。裁判長は被告へ、「これからも変わらず、朝晩弟に手を合わせなさい」と最後に呼びかけました。
現代の座敷牢
一方、知的障害を持つ長男はというと、家宅捜索に入った捜査員が見つけた内側から空けられない部屋に閉じ込められていました。以下の本題となる座敷牢です。
長男が閉じ込められていた一室には照明器具がなく、排泄はバケツへ行っていました。被告は座敷牢の管理も押し付けられており、毎日バケツを取り換えていたのです。長男が暴れ出せば被告が殴られていました。その上で障害年金は両親が独占していた訳ですから、完全に金づる扱いだったわけです。年の離れた弟妹も、健常者を産んでやり直そうと思い立ってのことでしょうか。
両親は監禁容疑で逮捕されましたが、起訴猶予の不起訴処分で自宅に戻されています。長男への風当たりと束縛はより一層強くなっていることでしょう。被告の障害年金は成年後見人が管理するため、その分一家の収入は減ります。
座敷牢とは「私宅監置」とも呼ぶ戦前の風習で、障害を持つ身内を家の限られた空間に幽閉することを指します。戦後になって1950年に法律で禁止されましたが、沖縄だけは日本に返還される1972年まで続いていました。
座敷牢は引きこもりと違い、食事や排泄すらも自由がありません。食卓を囲むことも便器で用を足すことも出来ないのです。明かりがないために視覚が衰えたり部屋が狭いために骨格が歪んだり、身体に取り返しのつかない悪影響を及ぼすことも少なくはありません。心身の両方を踏みにじる生き地獄です。
座敷牢は他にも
現代の座敷牢と言える事件は他にもあります。これから取り上げる2件はどちらも2010年代に発覚した事件で、違法と認められて60年以上が経ってもなお私宅監置の横行が続いていることが分かります。
大阪府寝屋川市の事例
2017年12月、寝屋川の自宅で33歳の女性が衰弱死しました。発見時の体重は19kgまで痩せ細っており、女性の両親は監禁と保護責任者遺棄致死の罪に問われます。
女性には発達障害と精神疾患があり、自宅のプレハブ小屋で15年ほど監禁されていました。食事は1日1食しか与えられておらず、直接の死因は栄養失調による凍死でした。しかも両親は女性の死後5日間も放置してから自首しています。
両親と弁護側は「あくまで娘の幸せを願って努力した」と必死に弁明しましたが、検察の鋭く厳しい追及もあり、求刑通りの懲役13年という判決となりました。この事件についてはまた別の機会に改めて単独で紹介したいと思います。
兵庫県三田市の事例
2018年1月、三田(さんだ)に住む当時73歳の男性が42歳の長男を福祉施設に預け、同年4月に監禁容疑で逮捕されました。庭のプレハブ倉庫に檻を設け、精神疾患の長男を閉じ込めていたのです。座敷牢は大阪市に住んでいた頃から始めており、三田市に越してからも続けてかれこれ25年以上になります。
倉庫は天井1mに1畳という極小空間で、長男はすっかり腰が曲がってしまったうえに目もほとんど見えなくなっていました。室内はファンヒーターと扇風機だけが置かれ、排泄は床へ垂れ流しにしていたそうです。
男性は「2日に1回は食事を与え、風呂にも入れていた。自分が帰宅する22時から約12時間だけ外出を許可していた」と弁明しますが、深夜から未明だけ外出を許すというのも逆に嫌らしいです。
市の杜撰な対応や近所からの苦情など理由を並べてはいますが、結局は「部屋で飛び跳ねてうるさい」「暴れて妻にも噛みついた」という我が身可愛さで座敷牢を作ったのでしょう。長男とのコミュニケーションも「会話が出来ないから一度も取っていない」と最初から諦めているようでした。
それでも自分なりの努力や反省の態度を必死にアピールしたのが実り、執行猶予付きの判決が下りました。長男の25年と身体機能は二度と戻りません。
「親も可哀想」では座敷牢はなくならない
こうした話でよく言われるのが、「親だって誰にも相談できず苦しんでいた」という擁護です。確かに近所の目線や苦情などは気になりますし、相談先を知らないこともあるでしょう。しかし、座敷牢を設けて身内の人生を奪うというのは明らかに人間としての一線を越えています。確かに社会問題として広く取り扱うことは大切ですが、座敷牢を設ける親の罪が希釈されることはありません。
厳しい言い方になりますが、そういう親が悔やんでいるのは障害者を産んだことそのものではないかと思います。口先では「悪いことをした」と言っていても心の底から反省している訳ではありません。聞いた話ですが、虐待をする親の多くは加害者の自覚が薄く被害者意識だけが強いそうです。
発達障害の息子を殺害した元農水事務次官の裁判で、母親が「アスペルガーに産んでしまってごめん」と供述していましたね。ああいった「普通の子に産めなくてごめんね」の裏には、「健常者だったらよかったのに」という真意が隠れているものです。飽くまで自分は悪くないというスタンスが座敷牢・虐待・子殺しという形で爆発しているのです。
参考サイト
3歳弟踏みつけ死なせた24歳姉が語った「劣悪」環境
https://www.sankei.com
【衝撃事件の核心】四半世紀も監禁された息子 親の責任感と孤立の末
https://www.sankei.com
「外から五寸くぎ、ヤギや豚のような扱い」1.5坪の小屋が物語る闇の歴史、沖縄に残る私宅監置跡
https://www.okinawatimes.co.jp
7800:寝屋川・長女監禁死 両親に懲役13年判決
https://ameblo.jp
知的障害 その他の障害・病気