岡山県のハンセン病療養所「長島愛生園」。その歴史と現在の取り組み、愛カフェなどに迫る

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岡山県瀬戸内市にあるハンセン病療養所「長島愛生園(ながしまあいせいえん)」。昭和初期のハンセン病隔離政策の中で、同施設は簡単に立ち入れない離島で産声を上げました。やがて本土を結ぶ橋が建設され、らい予防法が廃止されてからは旧管理棟をハンセン病の歴史を伝える歴史館にするなど啓発活動に力を入れ始めています。


長島愛生園は瀬戸内海に浮かぶ長島に位置する

今の入居者は愛生園を終の棲家として余生を過ごしていますが、平均年齢88歳と高齢化が進んでおり、語り手の減少は避けられません。そこで愛生園では毎月最後の火曜日に入所者と自由に語らえる「愛カフェ」の取り組みを開始しています。

長島愛生園のこれまで


長島愛生園の入所者の住居

長島愛生園は昭和初期、らい予防法に伴う隔離政策の一環として岡山の離島に建設されました。ハンセン病は今でこそ感染力が弱く伝染しない病気として知られていますが、有史以前からあったとされるハンセン病にとってそれはごく最近のことに過ぎず、永い年月をかけて醸成された偏見や誤解は未だに払拭されていません。戦後から急速に発達した薬物療法により1970年代には既に「治る病気」となっていますが、らい予防法の廃止は1996年までもつれ込んでいます。このタイムラグが、偏見の根深さを物語っています。

離島で逞しく生きることを強いられた入所者たちは、長幼関係なく畑の開墾や道路整備などをして自力で生活環境を整えていかねばなりませんでした。1955年にはハンセン病施設で唯一の高等学校とされる、県立邑久(おく)高等学校新良田(にいらだ)教室が開校されました。4年制の定時制高校である同校は、全国各地のハンセン病患者が入学し、1987年の閉校までに307名もの卒業生を輩出。卒業生の中には医師や実業家など大成した人もいたそうです。

1988年には邑久長島大橋が開通し、長島と本土が正式に繋がりました。わずか22メートルの海峡ながら潮の流れが激しく、生身で海を渡ろうとして亡くなった入居者も少なからずいたそうです。そんな過去を抱える海峡にようやく橋が架かり、「人間回復の橋」という別名も同時に刻まれました。橋が完成してからは本土から訪れる人も多く現れ、年間8000人ほどの観光客が訪れるといいます。

様々な運動が実を結び、1996年にはらい予防法が廃止されます。また、2001年には国賠訴訟に勝訴し、元患者らは人権を勝ち取りました。そうした中で、次にやるべき事が生まれます。誤った国策を繰り返さないために、ハンセン病にまつわる史料を遺して次の世代に知ってもらわなくてはいけません。

これからの取り組み


愛カフェが開催される日出会館

次のステージは、過ちを繰り返さぬよう次の世代へ語り継ぎ、風化を防ぐことです。まずは2003年、かつて管理棟だった建物を改装し、歴史館として開きます。そして、2012年には多目的集会場として日出会館が開設され、後述する「愛カフェ」の会場などで使われるようになりました。

長島愛生園には昔、2000人を超える入居者がいました。現在は78人まで減っており、平均年齢も88歳と高齢化もかなり進んでいます。いま愛生園が直面しているのは、過去の体験を生で伝えられる“語り手”の不足です。入居者の中にも、過去の体験を話したがらない人は少なくありません。

そこで2012年から開催されている取り組みが「愛カフェ」です。愛カフェは毎月最終火曜日の昼に1時間だけ開かれている完全予約制の定期イベントで、参加している入居者らとお話しすることが出来、体験を生で聞けるようになっています。月1回かつ少人数前提なので準備もなしに参加するのは難しいですが、生の体験を持つ入居者から実際に話を聞きたいのであれば手間を惜しまず予約するべきでしょう。

他にも、長島愛生園を含めた幾つかのハンセン病療養所が世界遺産への登録に向けて活動しています。世界遺産には、戦禍などを後世に伝える反面教師としての「負の遺産」が存在しており、その方面であると考えられます。もし実現すれば、風化を防ぐ目的に大きく近づくことでしょう。風化を防ぎ後世へ伝えるステージへと変わり、運動は続いています。

実際に愛カフェへ伺いました

実際に愛カフェへ伺って、入居者の方々と話をさせていただきました。戦時中のことから好きな番組まで幅広く雑談できる、気軽ながらも貴重な時間でした。入居者や職員などから主に以下の話を伺っています。

「2つ上の姉は被爆を乗り越え80まで生きた。ただ葬式は東京だったので行けなかった」
「上階から見た自然が、この島で一番好きな景色」
「昭和57年に天理大の学生と一緒に工事した排水溝が今も残っている」
「入居者は最年少で70代」
「元々ハンセン病療養所だったので、基幹となる法律もまた特別だと思う。多摩や熊本や草津にも大きい療養所がある」
「21歳で入所してから70年以上、一度も出身地に戻ったことが無い」
「情報源は今でもテレビが中心。それにしても最近は歌番組が減りましたね」
「この間、友達と姫路セントラルパークまで遊びに行った」

ハンセン病関連の語り手として貴重であることは事実ですが、それぞれの人生が残されているのもまた事実です。気負わずに最後まで余生を謳歌することを願います。

参考サイト

国立療養所長島愛生園 公式HP
https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/hansen/aiseien/

ハンセン病隔離政策で苦しんだ「孤島・長島」の今「人権の島」を生きた人々の数奇な人生
https://toyokeizai.net

風化させてはいけないもの ハンセン病・長島愛生園の歴史
https://mariamatch.hatenablog.com


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