「“境界”で片付けていい」という甘い誘惑

知的障害

Photo by Justin Luebke on Unsplash

「ケーキを切れない非行少年たち」というベストセラーがあります。あまりにもベストセラー過ぎて漫画化などもしていますね。あれのお陰で「境界知能」について多少は大衆の知るところとなりましたが、境界知能について不健全な解釈というか消費が為されるようにもなりました。例えば、気に入らない層や思想や行動を「あいつらは境界だから」と片付けるなどです。境界、グレー、ボーダーといった単語は一種の逃げ口上、「マトリックス」でいうブルーピルにもなりました。

また、「非行少年=境界知能」という固定観念を植え付けかねない懸念もあります。確かに少年院の勤務で境界知能の子と接した実体験が基ではあるのですが、「非行少年の全てが境界知能とは限らない」「境界知能だから非行少年になると決まった訳ではない」という当たり前の観方さえ欠落させるようであれば、もはや思考の放棄を奨励するにも等しいことです。

ただ、“境界”として片付けて済ませられること自体の魅力は否定できません。「“境界”で片付けていいよ」「気に入らないんでしょ?“境界”ってことにすればいいじゃないか」なんと甘い誘惑でしょうか。悪魔の囁きといえばそうなのですが、思い出の中に“境界”で片付けてしまいたいほど邪悪な人間が居るならば、強く否定はできないと思います。

私は小中高で1回ずつ、面識のない他校の不良に絡まれたことがあります。また、のちに非行少年として少年院送りとなる者と同じクラスになった年は、息苦しい体験を何度もしてきました。ハッキリ言って、人間ではなく自然災害の類に等しく、生まれや育ちで歪んだ背景を推し量る余裕も義理もありません。

そんな当時の惨めな自分が「あれは境界知能と呼ばれる人間で…」とその場で教えられていたら、大きな励ましになっていたでしょうし、同時に選民思想も芽生えていたことでしょう。「あの時のワルどもは境界知能、ケーキの切れない人種だから仕方ない…」と自己暗示していれば、古傷の疼きも和らぐものです。面識のない他人から理不尽な暴力を振るわれた経験があるなら分かると思います。

「思えばあの人は境界知能だったのかもしれない」真偽はどうあれ、そう一人で納得することで得られる安寧もあります。さすがに、いい大人になって何でもかんでも境界境界と喚くようでは、単なる現実逃避者でしかないのですけれども。

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

関連記事

人気記事

施設検索履歴を開く

最近見た施設

閲覧履歴がありません。

しばらくお待ちください