自閉スペクトラム(ASD)と愛着にこだわる現場

発達障害
出典:Photo by Stephanie Greene on Unsplash

自閉スペクトラム(以下、ASD)の原因を全て親の態度や教育に求める「冷蔵庫マザー理論」は、1960年代末期に打ち倒されたことで学問の主流から疑似科学にまで落ちぶれました。しかし、50年以上経った今もなお完全な駆逐には至っておりません。

ナショナルジオグラフィックの日本版Webサイトでは、児童精神科医で医学博士の神尾陽子さんへの取材レポート(筆者は文筆家の川端裕人さん)が全6回にわたって載せられています。その最終回にあたる第6回で神尾さんが語ったのは、「ASDが愛着障害と誤診されうる」「ASDと愛着障害で判断を迷う医師がいる」という現実でした。

ASDと愛着障害は全く別なのですが、そこで判断を迷う医師がいることは即ちASDへの古い価値観が未だに残っているという意味でもあります。価値観のアップデートが進んでいないのは、親学が幅を利かせる現状を見ても分かるのですが。

愛着障害は軽々しく出せる診断ではない

神尾さんによれば、そもそも愛着障害とは軽々しく診断できるものではないそうです。愛着障害が疑われるケースというのは、激しいネグレクトを受けていたり養育者が短期間で何度も変わったりするもので、決して多い事例ではありません。少なくとも子どもを連れて来院する親子関係ならば該当する方が稀です。愛着障害に該当する事例として神尾さんが挙げたのは、かつてルーマニアで社会問題となった「チャウシェスクの落とし子」でした。

「チャウシェスクの落とし子」とは、1960年代後半のルーマニアでチャウシェスク政権のもと行われた政策(人工中絶と離婚の禁止)による余波を指します。「産めよ増やせよ」する余裕のなかった当時は貧困や育児放棄が広がり、ストリートチルドレン(子どものホームレス)が増加していきました。引き取る施設の環境もあまり良くなかったそうです。

親から捨てられた子どもたち(3歳まで)の一部は国際的な養子縁組によってイギリスなどの比較的裕福な里親に引き取られました。養子としてルーマニアを出た子ども達を最大40年追跡した調査があるのですが、その結果は「親から離された期間が長いほど、成人しても対人関係や社会生活やメンタルヘルスの面で甚だ不利となる。」というものでした。

要するに、親に捨てられるほどの壮絶な来歴でもない限り愛着障害の診断は選択肢にすら挙がらないのです。しかし「親の愛情が足りないからオマエ愛着障害な」と安易に診断されているのが日本の現状です。愛着障害の特徴にASDやADHDとの共通項がみられるのも一因ではありますが、主因ではありません。

愛着にこだわる現場

神尾さんは、かつて90年代にASDの児童が通う施設を巡回していた経験があるのですが、そこで目にしたのは真剣に「抱っこ療法」へ取り組む人々でした。これに神尾さんは衝撃を受けています。なぜならば、抱っこ療法は当時の時点で有効性が否定されていたからです。イギリスでは有害性まで疑われており、日本におけるASDへの理解度は完全に周回遅れでした。

ここまで愛着にこだわる背景を、神尾さんは「昔からの文化や価値観や地域性に、科学的なエビデンスが勝てていない」としており、更に「愛着にこだわる状況が親を苦しめる。」と述べています。「愛着があれば自閉に勝てる」という考えは、翻せば「自閉症に悩むのは親の愛が足りないからだ!」という的外れな指摘に過ぎません。

なにせ「愛着に問題があるなら、発達障害と診断してはいけない!親が発達障害に逃げて愛着形成を疎かにするからだ!」と研修会の場で発言した者が居たぐらいです。「安易に発達障害へ逃げるな!」と言いつつ安易に愛着障害を持ち出す手合いは未だ多数派だと思っていいでしょう。

グレーゾーンは愛着の問題にされやすい

安易に愛着障害を出される原因は医師側にもあり、神尾さんによれば「診断名を出すことへ意固地になるあまり、愛着を持ち出す」そうです。診断名を出して確定させない事には障害にも疾患にも向き合えないばかりか、診療報酬(=食い扶持)すら出ないことさえあります。「分からなければ愛着障害」という診断方針だと、割を食うのがいわゆるグレーゾーンの人間です。

発達障害の診断で特徴的なのは、同一人物に幾つか別々の発達障害や精神疾患がある方が多いことです。寧ろ単一の発達障害だけ診断されている方が珍しいくらいで、後に別の障害特性が強く出ることさえあります。他の医療ではセカンドオピニオンが浮上すれば前の診断結果は「ありえない」として除外されますが、発達障害の診断は「全部込み」が十分あり得る環境なのです。

愛情を知識に転換しよう

とはいえ、「子どもには自分の発達障害と折り合いをつけて育ってほしい」と願うのは親の愛情があってこそです。療育でも何でも最初にあるのは親が子を案じる気持ちで、診断を受けに行くのは愛情ゆえにとった手段といえます。ただ「愛情で愛着を補おう」などと考えると的外れで終わりのない愛着補給で無駄に疲れ果ててしまいます。

愛情ゆえに何をすればいいのかというと、やはり発達障害や精神疾患について関係のある範囲だけでも勉強し知識を付けることだと思います。闇雲に漠然と「愛情を注ぐ」など唱えるよりも、愛情を知識と経験に転換していくほうが後々プラスとなるのではないでしょうか。

参考サイト

第6回 自閉スペクトラムを「愛着」の問題で済ませてはいけない|ナショナルジオグラフィック日本版サイト
https://natgeo.nikkeibp.co.jp

幼児体験が影を落とす「チャウシェスクの落とし子」|Fobes Japan
https://forbesjapan.com

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

自閉症スペクトラム障害(ASD)

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