就労移行支援事業所に通ってみて~体験談 Part.4 「境界を超える寸前」

仕事 うつ病

出典:Photo by Lauren Fleischmann on Unsplash

▶ムギチャの就労移行支援事業所に通ってみて

当然

2週間が経ち、次第に私は通勤する事ができなくなりました。症状としては「発熱」「吐き気」「眩暈」「動悸」。私がうつを発症したときの症状そのままです。気分は憂鬱。さすがに通勤できる状態でもなかったのですが、就労移行支援の担当の方に電話すると、「休むのはまずいから、無理してでも行ってください」と言われます。この頃になると、担当の方は私の臭いのことでひと騒動あったので、電話口でも分かるほど常にイライラとしていました。それが怖くて助けを求める事もできず、何度も駅のトイレで嘔吐を繰り返し、壁に這うようにして仕事に通っていました。

母に相談しても「そんなことに負けるな。病気に負けるな。頑張って行ってこい」と、送りだしてくれます。途中で引き返すこともできません。

頑張って、ガンバって、がんばって……。

ある日のことでした。突然、駅のホームに向かう上り階段の前で足が動かなくなりました。

停止

段数にして20段。それまでは何気なく上っていた階段が遥か彼方の上方へ続いているかのようでした。

1歩、1歩、段を踏み、上に登ればいいだけです。幼い時から場所は違えども階段を上ってますし、同じように登ればいいだけなのですが、その1歩が踏み出せない。いや、ホームに上ることを身体が拒否してしまっていました。

無理して階段と向き合えば吐き気が襲ってきます。私は何度となくトイレに駆け込みました。そうこうしてるうちに始業時間の20分前。もう電車に乗っても始業時間には間に合いません。仕方がなく、私は就労移行支援の担当の方に電話をして助けを求めましたが、「忙しいから自分で対応してください」と突っぱねられてしまいました。

当然ながら無断欠勤は避けなければなりません。意を決して職場に電話をし、その日は会社を休みました。

しばらく駅のベンチで休んでると、就労移行支援の担当の方から電話がかかってきました。

「今から事業所まで来れませんか?」

私は少し落ち着いてから職場に行く電車とは別の電車に乗り、就労移行支援事業所に向かいました。不思議と足は動き、今度は階段もすんなりと上り下りできました。

周りのことも考えて

「いい加減にしてください。」

就労移行支援の担当の方から開口一番に言われた言葉がそれでした。どうやら、出先に行ってらしたそうで私が職場に行けなかったことを受けて急遽事業所に戻ってこられたそうです。非常に機嫌が悪いのが一目でわかりました。事業所に着いた私は無言で近くの喫茶店に案内され、対面で席に座らされました。

「あなたは身勝手だ。もう少し周りの迷惑も考えてください。」

今にも目の前の机を蹴り上げて怒鳴り散らして来そうな勢いでした。威圧感がすさまじく、周囲にいた他のお客さんたちも何事かとこちらに注目しています。座っているのは、いい年したおっさん2人。どう考えてもただ事じゃありません。しかし、担当の方は周囲のことを気にせず、私に次々と言葉を投げつけてきます。

「社長さんが心配してる、ありがたいと思わないと……」

「今後、結婚しようと思っているんでしょ。だったらもっと頑張らないと……」

「医師は就職の世話なんてしないからすぐ辞めろなんて無責任なこと言うけど、私には企業側にも責任があるので……」

「臭いだけしか問題になっていないんだから、もっとがんばってください……」

そんなことを言ってたと思います。はっきりとは覚えてません。なんせ体調が優れないと言っている日に3時間も説教を頂いているわけですから、意識も朦朧としています。

「明日からは必ず行ってください」

そう言われて、私は喫茶店から見送られその日、自宅に帰りました。

邂逅

すごく長い説教を頂いた翌日。私は度々、駅のトイレに駆け込んでは吐いて、落ち着いたら電車に飛び乗り座席に座ってぐったりして。いつもは1時間ほどの道のりを3時間以上かけて出勤しました。店に着いた私を出迎えてくれたのは店長さんでした。店長さんはそのまま私を店の近くにある喫茶店へと連れ出しました。

その店で私は今の自分の状態とこれまでの経緯を店長に話しました。臭いのことで上司が私に注意しているのを店長は知っています。私はこれまで自分が臭いの対策としてやったこと、今している防臭のための生活、それにかけている時間のことを全てお話しました。

「まだ足りませんか?」

私は店長に問いかけました。

「そこまでやってくれてたんや……」

店長は涙ぐみながら、答えてくれました。そして、企業としての意向を提示してくれました。

・対策はやってくれてるから、そのままでいい。
・勤務場所の移動はできるけど、これから一緒の仕事をやっていくにあたって上司と顔を合わせて話す必要もあるから、できる限り勤務場所の移動は避けてほしい。

私はその提示を受け入れました。同時に上司は店長から何らかの注意を受けたらしく、その日からなにも言わなくなりました。

黙ってりゃいいのか

店長さんとの面談があった翌日から私は再び働き始めました。しかし、体調は一向に良くはならず、頻度は減ったものの通勤中に嘔吐したり、途中で足が止まったりと不安定でした。そして、思考は常に下向きで「このままこの会社で働いてていいのだろうか」「辞めたとして次の就労先はあるのだろうか」「自分に生きてる価値はあるのか」と自分に絶えず問い続けていました。

職場では変わらず、一室に私と上司、それにパートの女の子の3人が仕事をしています。言葉を交わす回数は減ったものの常に同じ部屋で仕事をしており、仕事の指示を貰わないといけないため会話しなければいけません。臭いのことで言われなくなったとはいえ、あれだけ言われ続ければトラウマのようになり、顔を合わせるだけでこれまでのことが思い出され、嫌な緊張感を感じるようになりました。

そして、今まで上司も同じ時間で働いていたのですが、急に早退したり遅刻したりを繰り返すようになりました。胃腸の調子が悪いのか、胃薬を飲み、トイレに席を立つ回数も非常に増えてました。

いい気味だと思えばそれまでなのですが、それでも自分が関わっているかもしれない変化に、いつか報復されるのではないかという恐怖を感じていました。

帰りは帰りで電車の中でまた自分を責め、落ち込むということを繰り返しました。

その日が

土日を挟んで月曜日。私はとうとう家を出ることにすら恐怖を感じるようになっていました。身支度を整え、会社に行く。それすらもできなくなってしまったのです。外に出るのを躊躇っていると、母が「一緒に行こう」と無理やり外に私を連れ出しました。

駅に向かう道。いつも歩いて通っている道が長く、車道を通る車を見て良からぬことを考え、その度に意識を取り戻し前へ。1歩、1歩、駅に向かいます。途中、自動販売機でお茶を買い、口に含み、喉を通す。1つ1つの動作が重く、苦しく感じました。

そして、最寄りの駅の改札口に着いた時、私は母にこう言いました。

「もうあかんわ。病院に行こう」

私はそのまま、かかりつけの心療内科に向かいました。

良からぬこと……

それは「飛び込むこと」だったのです。

病院で

私が病院に行くと、医師とケースワーカーさんが出迎えてくれ、すぐに診察室に通されました。医師もケースワーカーさんも職場で何があったのかを知っています。実は週に1回、私は病院で診察を受けてました。時には就労移行支援の担当の方も同席し、今後の方針と対策を一緒に考えてました。実際にはそれを無視して独断で就労移行支援の担当の方が私に喝を入れ続けたわけですが。

そして、医師の判断により就業禁止となり、私はその日のうちに退職することになりました。

つづく……

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ムギチャ

ムギチャ

32歳、うつ病で精神障害3級の手帳持ちです。
現在、就労移行支援訓練に通っています。
趣味はガンプラ!

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