私の病気と経歴~統合失調症の教師の経歴

統合失調症 仕事

出典:Photo by darshan patole on Unsplash

私は現在統合失調症と診断されています。精神の病気になって約15年経ちますが、今の病院に行くまでは違う病名で診断されてきました。私は病気と闘いながら、私の夢であった教師にもなりましたが、体調を再び崩し辞めました。その後、違う仕事もしましたが、再び病気なり退職し、今現在は就労移行事業所に通っています。

精神の病気になるまで

私は、大学4年の卒業研究の頃に、精神の病気(当時はうつ病)になりました。

高校時代は進学校で勉学に励み、晴れて某国立大学に合格しました。大学では、高校時代の勉学の反動が来てあまり勉強せず、アルバイトに明け暮れます。

なんとか留年すれすれで、大学4年に上がり研究室に配属されました。しかし、卒業研究が上手くいかず、さらに研究室内の人間関係も上手くいかず、精神的に参ってしまい、大学卒業の頃、クリニックでうつ病と診断されてしまいました。その後クリニックに通いながら大学院に進学するも、病気の症状がさらに酷くなり、休学しそのまま翌年退学してします。

<教員免許取得まで/h2>

休学中に下宿先から実家に帰ったときに、両親に「復学するのか、また別の道を探すのか」と聞かれ、少しの間考えました。私は悩みましたが、一つの結論を出しました。教師になりたい。今の大学院とは違う大学に通って、教員免許を取りたいと思いました。

その後、複数の大学に通い、時間はかかりましたが、30歳の時に教師(高等学校、非常勤講師、理科)になりました。その間には、精神科にも1度入院しましたが、夢が叶いました。ちなみに、この時の入院時に、双極性障害広汎性発達障害と診断されました。

講師在職時

私は講師1年目、2つの高等学校の非常勤講師を掛け持ちしました。後でわかったのですが、その内の1つの学校では、精神科にかかっている先生もいて、精神の病気にも理解がありました。1年目ということで、わからないことも一杯ありましたが、他の先生が優しく教えて下さり、トラブルが起きたこともありましたが、なんとか1年間2つの学校で非常勤講師を勤めることができました。

1年目を終え2つの学校とも契約満了となり、2年目は違う高等学校で非常勤講師をすることになりました。そこでは、同じ教科の教師と授業方針や、人間関係において上手くいかず、次第に体調が悪化しうつ病の診断書が出て、退職することになってしまいました。

講師退職後

その後、体調が回復し、教師の道が諦められず、1年間教員採用試験の勉強する学校に行きながら、講師の連絡を待ちました。しかし、講師の話は無く、教員採用試験も不合格でした。その後、友人と人間関係で上手くいかず、体調も悪くなり、前にお世話になっていた病院に再入院することになりました。半年間入院し、就労移行事業所に通うことが決まりました。

その就労移行事業所にも半年通いましたが、馴染めず、母に相談すると「フルタイムの仕事に採用してもらえたら、就労移行事業所を辞めてもいいよ」と言われ、1日8時間の仕分けの仕事を見つけました。

仕分けの仕事は最初、上手くいっていましたが、入って3ヶ月くらいで、人間関係が上手くいかず、体調も急激に悪くなりました。そこで、現在お世話になっている病院に行くと適応障害と診断され、休職することになりました。休職中に約1ヶ月程、幻聴が起き、頭の中で誰かに話しかけられているような感じがしましたが、とんぷく薬を飲むことで改善しました。休職の延長が続き、職場の上司と話し合いの結果、退職することになりました。

そして、現在

その後、病院のデイケアに3ヶ月行き、主治医から就労移行事業所に行くことを勧められました。いくつかの就労移行事業所を見学、体験して今の就労移行事業所に決め、約1年経ちます。その間に、日商簿記2級とWordとPowerPointのMOS「Specialist」Excelは「Expert」を取得することができました。

今後は実習を重ねながら、簿記2級等の資格を生かして、経理事務等の仕事を中心に、就職活動をしていきたいと思います。

taka

taka

学生時代は塾講師、野球場の場内案内係、模擬試験監督、ホテルのフロント等、アルバイトに明け暮れる。大学時代にうつ病を発症し、現在は統合失調症と診断される。その後、教師になる夢を抱き、教員免許を取得。教師になるも、体調が悪化し、退職。その後、紆余曲折を経て、現在就労移行事業所に通所。趣味はテレビで野球観戦、インターネット、YouTube視聴。

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