「五体不満足」の作家・乙武洋匡さんに聞く~障害者のエンタメから差別と偏見まで

身体障害

「五体不満足」で知られる作家で、数多くのメディアで活躍し続ける乙武洋匡さんにインタビューする機会を頂きました。重度介護における人材不足やWebメディアの役割、差別と偏見の違いなどを伺っております。

重度障害者の介護への意見

──身近な生活についてお尋ねさせてください。

「基本的にはマネージャーが帯同してくださり、文章を書く仕事は自宅でパソコンを使っています。メディアの取材などは最近自宅からオンラインで受けることが増えてきましたね」

「通常、事務所というものは営業を回るものですが、我々はマネージャーが張り付きになるので営業はしていません。その分、やった仕事を営業にするというモットーで、仕事の出来で信頼を得ていく方針でやっています」

──就職活動の経験はありますか。

「就職活動そのものの経験はありませんが、大学1年の時にテレアポのアルバイトをしようと面接を受けたことがあります。一社落ちた時は『生意気に思われたかな』程度に思っていましたが、 二社三社と落ちて『もしや障害のせいか』と疑い始めます。それまで障害について意識することもなく、障害が大きな制限となることもなく生きてきたのが、バイトに受からないことで障害者が仕事を得る大変さを実感しました」

「『五体不満足』を著したのが大学3年の秋で、当時はその冬から就職活動を始めるものでしたが、 先にメディアで仕事をするようになったので企業に属して働くことはなくなりましたね」

──障害を持った方の就労の事全体について、今まで感じた事はありますか。

「戦後から復興を果たすまで奇跡的な上昇カーブが描かれていましたが、その主因は効率や合理性を重視したことだと思います。適さない者は後回し或いは排除することで効率化を図り、障害者とはまさに合理性から後回しにされてきました。戦後復興期においては苦しいけれど仕方ない選択だと理解しています。ただ高度成長を果たしたからには、後回しにしてきた人をメインストリームへ戻さねばなりません。しかし日本は効率性重視を続け、当時後回しだった人が今でも後回しのままにされている印象を受けています。労働市場や職場環境というものは『健康な成人男性』を前提に組まれており、それに外れれば働きにくくなる仕組みは現在に至るまで変わっていません」

──重度障害者向けの福祉サービスや制度は人材不足が懸念されますが、それについてどのような意見をお持ちでしょうか。

「私の場合は家族や友人に支えられていましたが、家族の入院など節目節目でサービスを受けたことはありますし、これからも部分的に頼るでしょう。しかし福祉サービスの多くは所得制限があり、『五体不満足』が売れてから収入の安定した時期が長かったぶん、公的サービスを受けられない期間もまた長くなっていました」

「遠回りに見えて大事なのは、『介護は家族がするもの』という意識を社会全体で変えていくことだと思います。どういえば適切か分かりませんが、誰でも障害者になりうるもので、好きで障害者になったり生まれたりした人はおらず、くじ引きでたまたま障害者の人生となったわけです。そう考えると、たまたま障害者のカードを引いたからといって、自分や家族が不幸とされ介護に人生を捧げよとなるのはアンフェアです。誰が障害者のカードを引こうとも、負担すべき労力や時間が変わらないことが理想的だと思うんですね。それが今の日本では『家族の介護は家族がやる』という固定観念を多くの人が根強く持っており、介護の仕事が特殊なものとしてイメージされているのではないかと。『介護は外部に委託するもの』と多くの人が転換すると、介護の重要性や普遍性、予算や税金をかける重要性が理解されてきます。卵が先か鶏が先かという部分はありますが、予算が適切につくためには、介護は家族でなく外部へ委託するものという認識が広まる必要があると思います」

Webメディアの役割

──これからのメディアにどのような役割を期待されていますか。

「Webメディア最大の特性として、発信するハードルが大きく下がったことが挙げられます。従来のオールドメディアでは自分の意見を発信するハードルが高かったと思います。しかしWebメディア、小さなところではSNSが普及してきたことで、誰でも気軽に発信できるようになりました。Webメディアには編集や校閲がいないところも珍しくなく、読み手のリテラシーが問われるという弱点があります。それを差し引いても、自分で発信できる手軽さを得たのは大きいことだと思います。昔は『お涙頂戴の素材』として障害者の存在を伝えるのが多かったので、障害者の『生の声』を届けられるようになったという点ではWebメディアやSNSの発展が持つ意味は大きいです」

──乙武さんはどのような思いで発信されていますか。

「98年に『五体不満足』を出してから、比較的日常的にマスメディアで登場させて頂きました。とはいえ、メディアが私の声をどう使いたいかは恣意的に感じられた面もあり、私の考えが純度100%で伝わっていないなという忸怩(じくじ)たる思いがあって、2010年からTwitterを始めるようになったわけです。以前はメディアで編集されていたのが、自分の声を自分だけで発信できるようになったのは大きな変化でしたし、それで気持ちが楽になった部分もありました」

──乙武さんは「note」で障害がある当事者の話題を積極的に発信されていますね。

「障害者の声を発信する機会が増えたのは良いことですが、その声に対して心ないコメントが飛ばされ、差別発言もまた可視化されやすくなったのも事実だと思います。私が誰の目にも触れるようなTwitterという場所で踏み込んだ発言をすると、賛否両論の末に差別発言を残させる余地を作ってしまい、その辺りのバランス感覚が非常に難しいです」

「マイノリティの問題とは、マジョリティにとって『見て見ぬふり』『臭いものに蓋』がまかり通る部分が大きく、当たり障りのない発言だけではスルーされてしまいます。だからこそ、時に炎上してでも気を惹こうとすることで、一般人が足を止め考察するきっかけを作っていくのも大事だと思います。その一方、炎上頼みでは同じ障害やマイノリティにとっても利にならないので、踏み込んだ意見を落ち着いて考察できる場所も必要ではないでしょうか」

「障害者やマイノリティだけでなく、ダイバーシティや属性を越えて繋がろうとする方々が、そうした社会へのヒントを求めて、この定期購読マガジン「note」に登録して下さっています。ダイバーシティ社会の実現を目指すうえで希望の持てる有難い傾向だと思います」

「障害者を『守ってやらねばならない弱者』とする時代は既に一区切りついたと思いますし、その面ではここ10年20年で確実にステージは進んだことでしょう。しかし、障害者と健常者で反目し合うような言説が溢れかえると理解も共生も進みません。どのように主張していくか、障害の有無に関わらず互いに快適な社会への建設的な議論に発展していくかは技術的な問題です。その辺りは私も試行錯誤しながら、問題提起の仕方をどうすれば理解が深まるかは今後も学び続けていきたいです」

差別と偏見は似て非なるもの

──障害者差別「解消」法を障害者差別「禁止」法にするには、一人ひとりがどのように行動していけばいいでしょうか。

「私が声を大にして言いたいのは、「人権というものは善意や思いやりによって成立しているも のではない」ということです。『優しくしましょう』『理解しましょう』というのは善意や思いやりに頼った言い方で、善意や思いやりは無いより有った方が良いにせよ、無くとも人権というものは存在しますし一人ひとりの尊厳は守られねばなりません。皆が理解してから差別を禁止にするのは順番として全く逆で、『理解の有無問わず人権は守られるべきで差別は禁じられるべき』という土台が先で、それに加えて理解が進めば尚良しとする順番だと思います。理解されて初めて人権が認められるという建付けについては疑問ですし、逆の順番が『差別解消法』『理解促進法』という名前にも出ているのではないでしょうか」

「日本では『差別と偏見』を一緒くたに扱っているので、両者がほぼイコールとして捉えられていますが、私は差別と偏見が似て非なるものと思っています。偏見とは脳内の問題であり、そこに立ち入って禁止するのは難しいしすべきでもありません。思うまでなら偏見ですが、その偏見に基づいて特定の層を格下に扱うのは差別となります。偏見は仕方ないが差別は絶対に許されないということを明確に切り分けて考える必要があります。差別と偏見を混同するせいで『差別は心の問題だから禁止できない』と誤解されることは多いですが、私は禁止できると思います

「ポスト乙武」は後追いで生まれない

──乙武さん並みにメディアで活躍される「ポスト乙武」と言うべき存在は、どうすれば生まれるでしょう。

「それは私も最大の悩みとして捉えています。『乙武しかいない』というのも不健全ですが、『乙武“すら”いない』となると尚更まずいわけで、前線に出ています。有力な若手が現れて『引退しても大丈夫ですよ』と言ってもらえる環境が整えばよかったのですが、2年間メディアから姿を消した中で後を任せられる存在は特に現れなかったので戻って来ました」

「このことをテレビ局の方にもお話しすると、『今の番組はバラエティ色が強く、真面目な議論でもお笑い芸人が欠かせない』『障害者に対して失礼ではないかと視聴者に思われそうな発言や振る舞いがあっても、乙武さんには何度も当意即妙な切り返しで笑いに変えてきた実績があり、視聴者に不快な思いをさせずに済む』『例えズバっと物が言える若手が居たとしても、芸人さんと喋らせたばかりにクレームがつくリスクを考えると、無難に乙武さんを出さざるを得ない』と根深い話を伺いました。私と同じ路線を貫くのが難しいのであれば、パラリンピックでメダルを取り一流のパラアスリートとなるとか、国会議員として政治に働きかけていけるポストを目指すとか、違った道で影響力をつけていくのがある意味近道でしょう。私と同じ『メディアで発信する』という路線でポスト乙武が生まれるのは難しいかもしれません」

「(メディアで活躍するなら)自分がどのような意見を言えるかは最も大事ですが、健常者のタレントさんと喋るとき視聴者に違和感を持たせないやり取りが出来るかどうかも伴になってくる気がします」

──障害者はどうしても社会体験が少なく、認識のズレが出がちですね。

「それは障害者自身だけの責任ではなく、健常者側も障害者と接する体験が少ないために、気を遣い過ぎて却って腫れ物に触るような扱いをして結局視聴者に違和感を与えることになりますし、その辺りの難しさもありますね」

──私の父は「五体不満足」を読んで、この本は素晴らしいと、とても衝撃を受けました。私の障害も個性だと思っています。世の中みんなが優しかったら、生きやすい社会になりやすいと思いますが。

「もし両親が私のことを『どうしてこの身体で産んでしまったのか、この子の未来は暗い』と思って育てていたら、私は暗く塞ぎ込んだ人生を送っていたと思います。しかし、両親はとても前向きに『寝返りが打てるようになった』『自分でご飯を食べられた』とプラスの面を見つめて育ててくれたので、私もポジティブな性格に育つことが出来ました。とはいえ、前向きな子育てが出来るのは楽観的か心の強い夫婦だけというのも健全ではありません。どんな親でも『社会がサポートしてくれるから、障害があっても関係ない』と思える社会になることが大切です」

──最後に何か伝えたいことがあれば。

「私たち障害者がなぜ不便な思いや苦しい思いをしているのか、それは決して私たちだけの責任ではなく、この社会の制度や環境が健常者向けに作られているからだというのを間違えないで頂きたいです。(障害者は)今の制度を我慢しながら受け入れ続ける必要などなく、『もっと改善されるべきだ』『障害者の存在も想定した社会に変わっていくべきだ』という思いを諦めずに粘り強く表明していくことが大事だと私は思います。とはいえ、心の調子や余力によっては声を上げ続けるのが難しい方も多いでしょう。少なくとも私は今までのキャリアによって声を上げやすいポジションにいるので、今後も皆様の声を私に託して頂き、その声を少しでも届けていけるように、引き続き尽力していきたいと思います」

障害者ドットコムニュース編集部

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